九里 【九里】を探して三千里

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保内商人のこと。

2022-05-08 | 九里バラバラ情報

保内商人のまとめ役?調整役?だった【源員定】は、九里ではないだろうか?と言われている人物。(蒲生郡史)

其の裔に【九里四郎次郎員秀】がいたと思う。(員が通字・同じ役目)

 

 

コトバンクより

保内商人とは

中世に近江(おうみ)国蒲生(がもう)郡得珍保(とくちんのほ)(滋賀県東近江市)に住み、農間副業として、伊勢(いせ)、美濃(みの)、若狭(わかさ)、京都などを結ぶ遠隔地間の仲継商業に従事した商人。得珍保内商人のこと。近世の近江商人の源流をなすもので、鈴鹿(すずか)山越えの伊勢通商を独占した四本(しほん)商人(石塔(いしどう)、小幡(おばた)、沓懸(くつかけ)、保内)の一つである。塩、呉服、紙などの流通路を抑えて、問屋的な営業独占権を行使し、近隣の小幡郷、横関(よこぜき)、五箇(ごか)商人などと争論を起こしている。得珍保は六郷、下八郷からなり、後者が商人団の中枢をなした。その一郷にあった今堀日吉(いまぼりひよし)神社文書には、保内商人の中世商業のありさまがよく示されている。商人団の構成は徒足(かち)の商人と、馬で運ぶ駄荷(だに)の商人の2階層からなるが、1世帯には馬1匹分の参加しか認めないという平等規制をもっていた。

脇田晴子

 

保内商人【ほないしょうにん】

中世,近江国蒲生郡得珍保(とくちんほ)(滋賀県東近江市)のうち,西部4ヵ郷(保内野々郷(ほないののごう))に発生した商人団。本来は農民であるが,延暦寺衆徒や守護六角氏の保護のもと,団結して市場専売権や街道通行権などの特権を獲得し,伊勢国若狭国尾張国など遠隔地商業に従事行商に際しては周辺地域の農民らを足子(あしこ)として動員,商品運搬・下請などを行わせた。取扱商品は塩・呉服・紙・海草・馬などで,それぞれに座を結成。中心は今堀(いまぼり)郷で,鎮守十禅師(じゅうぜんじ)社(今堀日吉神社)の庵室が保内商業の事務室的役割を担ったが,織田信長楽市(らくいち)設立で商業活動は衰退していった。《今堀日吉神社文書》は周辺商人との確執を排除し,自らも規制しながら成長していった保内商人の実体や,惣村内実を知る基本史料。
鎌倉・室町時代における近江国(滋賀県)蒲生郡得珍保の農村的商人。南部の地域にあたり、保内座として団結し、商業活動を行なった。領主である比叡山延暦寺の保護のもとに、御服座・紙座・塩座・伯楽座などの座を結成し、近江を中心として若狭(福井県)・伊勢(三重県)・美濃(岐阜県)・尾張(愛知県)から京都にかけて、隊商的行商をして活躍した。〔今堀日吉神社文書‐大永八年(1528)七月八日・佐々木定頼書状案〕
近江国蒲生上郡得珍保(とくちんのほ)の下四郷の商人をさし,野々郷(ののごう)商人,野々川商人ともいわれる。得珍保は比叡山の僧得珍が開発したという伝承をもつ荘園で,滋賀県八日市市の南部に位置する。室町時代以降,保内商人は延暦寺東塔東谷仏頂尾の衆徒と,守護佐々木六角氏の保護をえて,織田信長の安土城下の形成まで特権的な座商業を展開した。保内商人を輩出した下四郷は畑作地帯で,上四郷に比較して水利の便が悪く,水田化がはなはだしく遅れたが,他方得珍保は東海道と東山道に挟まれ,伊勢山越ルートである千草街道八風(はつぷう)街道に接続しているため,農業の不利を商業で補った。

【近江商人】より

 

…鎌倉時代後半に姿を現し,室町時代初期から商業圏を確立してゆく延暦寺領近江国蒲生郡得珍保(とくちんのほ)の商人(保内(ほない)商人ともいう)は,荘園のなかでは農業生産に恵まれない農民が近江・伊勢の国境の鈴鹿山脈の八風(はつぷう)街道千草街道の両街道での山越商業に従事したものである。保内商人は延暦寺や守護六角氏から排他的独占権(座権)を認定された。独占権の対象になる商品としては麻苧(あさのお),紙,陶磁器,塩,曲物(わげもの),油草,若布(わかめ),鳥,海苔(のり),荒布(あらめ),魚,伊勢布があげられる。…

 

員定・・・員秀 → 隆員となるのだと思う。

隆員は【員】が後ろに来ているので、養子だったかもしれない。

隆員も同じ今堀日吉文書等に顔を出している。

 

員秀の働きが地図になっていた!

http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2021/03/post-33f4a6.html

私の知らなかった裏話も書いてあり、お勧め! 蒲生氏は応援してくれていた!と思うと嬉しいです~~!

 

隆員を調べていて員秀の「番場合戦」明応五年(1496年)を見つけたので貼っておこうと思う。


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