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帥升、その一族は? 依知秦氏には楽師も多く関係がある?
2023-10-09
|
古代からのつながり
まず、帥升が倭国王として後漢安帝朝に認められ…とあるのが107年のこと。
此の本が、気になる方は国立国会図書館のデジタルで、登録後見ることができます。
依知秦氏には楽師が多い、とあり、帥升が楽師であったことと、ラップしますね。
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6 コメント
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Unknown
(
百畑キクリ
)
2023-10-09 17:49:45
芸能の秦氏に合致する訳ですね
返信する
帥升が伊弉諾尊?
(
katumoku10
)
2023-10-09 18:20:24
どんな想像をしてもかまわないのですが、他人に言うからにはそれなりの事実に基づく話が必要ですよ( ^)o(^ )
邪馬台国を出雲にしたいためなのですかね?
2世紀末の倭国大乱は出雲だというような感じですが、当時の出雲で集団戦の痕跡は見当たらないのです(^_-)-☆
返信する
こんな説もあります。
(
kunorikunori
)
2023-10-09 21:20:36
刮目天一様
このような説もあるという事で出したものです。
私には何が合っていて、何が違うのかまでは、到底分かりませんので、いろいろな方の考えをここに留めています。
刮目天様のブログに『「師升」は奴国でも宮中祭祀や宴会で楽師を担当していたシナ人の可能性がある』とありましたが、それをヒントに「銅鐸」と結びつけますと、清原氏が思い浮かびます。
清原氏は鎌倉時代に銅鐸を鋳造していたという記録があったはずですし、その清原氏と近いのが中原氏でもあります。
私は出雲では清原氏であったものが、近江では中原氏になっていたのではないか?と勘ぐっており、そこに『依知秦氏』が関与した居たのでは?と思うのです。
なぜなら、久利氏が清原氏とともにいて(石見国)、九里氏が中原氏とともにいる(近江国)
こんな偶然があるだろうか?と。
おまけに江州中原氏には雅楽関係者も出ています。
中原景安(景康)は、鎌倉時代初期に鎌倉に移り住み、中原光氏に続く系となっていきます。
そこが、楽師であったかもしれない帥升とつながるか?と想像しますとおもしろいです。
但し、「帥」の一文字は、大宰府帥「そち」などの長官の意味もあると思うので、「升」という苗字であったかもしれないと思ったりもします。
また、「帥」ではなく「師」であった可能性もあるのではないでしょうか?
春秋中期、盲目の楽師,師曠(こう)は音楽家であるだけでなく,社会のあらゆる分野に立派な見識を持っており,悼公の次の平公の顧問であった。とありました。(紀元前ですが。)
https://www.eco.nihon-u.ac.jp/wp-content/uploads/2023/05/83-03.pdf
https://kotobank.jp/word/%E5%B8%AB%E6%9B%A0-1329808
返信する
依知秦氏
(
kunorikunori
)
2023-10-09 21:32:13
百畑キクリ様
依知秦氏と雅楽は結び付いているので、大雑把に楽師とし、
【「師升」は奴国でも宮中祭祀や宴会で楽師を担当していたシナ人の可能性がある】と刮目天市様のブログにあったので、飛びつきました。
銅鐸で、音楽を奏でていた時代もあり、その銅鐸を清原氏が鋳造していたり、銘をうったり、とありますので、同じ地域にいた秦氏と清原氏 秦氏と中原氏が、音楽・舞を継承していった可能性を感じています。
雅楽師には、他にも大神氏・豊原氏・狛氏等がおります。
江州中原氏からも雅楽関係者が出ております。
繋がってくると面白いのですが…
返信する
Unknown
(
katumoku10
)
2023-10-09 23:00:13
わたしの意見を取り上げていただき有難う御座います。
おっしゃるとおり帥姓は元は楽師の官位を示す師姓ですのでkunorikunori様の連想を否定したのではなく、帥升と伊弉諾尊を同一視する仮説について疑問視していることを述べたのです。
誤解させて申し訳ありません!
倭国大乱は帥升が奴国王スサノヲを討って倭国を奪ったのが原因で起こった旧奴国勢力と帥升の子孫難升米の倭国との戦争だと言う考古学の証拠を得ています。だからスサノヲの父伊弉諾尊と帥升は同一人物ではないと断言できるのですよ☺️
秦氏はご紹介いただいた記事からコメントさせてもらった事実が分かり、日本書紀で弓月君の末裔とされたので、百済王が秦氏と繋がりがあると言うことにしたと言うことでしょう!秦氏は武内宿禰の長男波多八代宿禰が半島南部の辰韓や弁辰で配下にしていた養蚕、機織り、土木などの技術を持った集団で歌舞,楽器演奏なども得意とした技能集団で、一つの血族ではないことが分かりました。武内宿禰はスサノヲの子孫大国主久々遅彦を隠すために創作された人物ですので、百済とは対立関係にあった新羅の初期の辰韓の王だったと推理しています与🥸
だから藤原政権では秦氏の正体を隠すために日本書紀に合うように百済王氏と秦氏の関係を装わせたと推理しています。でも、ウソ付くと祟りがあると恐れて近江一帯をかつて支配していた息長氏の祖先女王台与の本地仏の十一面観音を百済寺で祀り、百済神社では大国主の祖のスサノヲを牛頭天王として祀っているのだと分かりました👍今回も良いヒントを頂き、心から感謝します。また、色々と教えて下さい♪
返信する
この方の説
(
kunorikunori
)
2023-10-10 08:19:29
刮目天一様
この金子常規様の説は、古代文化を考えるのシリーズにたくさん載っており、参考になります。
古事記も、何かしらのヒントがあってつくられた話であろうと思うので、私としては面白い説なのです。
その「何かしらのヒント」を見つける姿勢こそに、アイディアをもらえるような気がします。
刮目天一様のブログにも、ヒントがちりばめられていると思います。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします!
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秦氏はご紹介いただいた記事からコメントさせてもらった事実が分かり、日本書紀で弓月君の末裔とされたので、百済王が秦氏と繋がりがあると言うことにしたと言うことでしょう!秦氏は武内宿禰の長男波多八代宿禰が半島南部の辰韓や弁辰で配下にしていた養蚕、機織り、土木などの技術を持った集団で歌舞,楽器演奏なども得意とした技能集団で、一つの血族ではないことが分かりました。武内宿禰はスサノヲの子孫大国主久々遅彦を隠すために創作された人物ですので、百済とは対立関係にあった新羅の初期の辰韓の王だったと推理しています与🥸
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