503年に「新羅」という正式な国号とした…という事は、神功皇后の時代も、スサノヲの時代も「斯蘆 」(しろ)であったのかもしれませんね。
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こんなコメントや記事を見つけました。
数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。 ↑「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。
本当に!
ずっと「高麗」も、通るたびに気にはなっていました。
新羅郡?
きっと私が忘れているだけと思いますが、新羅郡…そう言えば新座のときに聞いたような…
あのあたりが新羅の人々が開拓したかもしれないと思うと、その中に暮らしていたのですね、私。
一度も神社も行かず、歴史的な遺跡?にも出会わずに暮らしていました。
もう一度、そのような眼で見直しの旅に出掛けたいくらいです。