藤原季範 1090年生まれ、範智は五男である。
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この季範の息である範智も、熊野別当第20代の範智も同時代と思われる。
熊野別当の系統と熱田神宮と何かしら関係があったのだろうか?
この季範の父は季兼であり、母は熱田大宮司尾張員職(かずもと)の娘である。
尾張氏ということは、中原氏や大中臣氏と関係があると思うのだ。
そして、季兼の父親は藤原実範であり、その家系は次のようになる。
藤原実範
生没年:
父:左兵衛佐 藤原能通
従四位上
蔵人
文章博士
大学頭
妻:(父:小野資通)
成季
季重
1044-1101 季兼(熱田神宮大宮司家へ)
妻:(父:美濃守 高階業敏)
季綱
女:
行綱
興義
実慶
(養子)業仲(父:美濃守 高階業敏)
藤原不比等の長男である武智麻呂の系となる。
この範智が熊野と関係があるならば、熊野別当と小野氏とのつながりもできたことになる。
小野義孝=横山資孝(資隆) の「小野」なのだろうか?
また、資通という名前だけに注目すると、源資通もいる。
藤原資通(九条判官代)もいるが、年代が違うかもしれない。
また、「小野」に注目すると、
下野国都賀郡日光二荒山神社の神職であった小野氏はこの「猿丸」を祖とすると伝わる。
この猿丸大夫も今まで解明されていない人物だそうだ。
藤原季兼の父藤原実範の母:藤原元尹の娘(藤原南家巨勢麻呂流出身)で、この巨勢麻呂の妻には、丹治比氏の娘がいて、その丹治比氏は「武蔵国では丹治比氏の後裔を名乗る武士集団丹党が勢力を持つようになり、武蔵七党の一つとして力を振るった。」とある。
この前駅伝やっていて熱田神宮から伊勢を目指すルート見ていてそろそろ熱田神宮行きたいなあ〜と、しみじみ。けどまだ早いみたいです。
尾張のついては、奈良の高の付く尾張さんから変化してしまっていると思います。なので個人的には初期尾張氏って区別してます。ただね、女系は因子が移動するんで頼朝辺りでも接点が出ますよね。今源氏絡みで伊豆と東京とでだいぶ理解が出来てきましたよ。もしも初期尾張の関係者だと思うと弁慶さんですよ、力強いですので。今日も調べてたら熊野関係の生まれの説ありますね、実際はどうか?
奈良に関して言えば尾張が和邇ともくっ付いてきてるはずです。私は現在関東でもあるので弟橘媛寄りなんでどうも熱田はまだいけないようです。奈良は安心。
あと記事の中のキーワードでは柿本?ありましたよね?猿丸さんも以前探りました。あともう一個あったような気がします。飛んでしまいましたよ。
あとそう不比等の関係でも橘の因子は動いてますし知識はあるはずです。そうそう横山っていうのは私現世でひどい目にあった事もあるのでイコールにはしたくないかな?男のがいいけど女系が強くて苦手です。
お薬師さんもやっぱり関係しそうですよ。藤原さんの阿弥陀さんの前で。でお薬師さんのベースは山の神田の神でしょう。そこが初期尾張とくっ付くと埼玉だけでなく神奈川東京も山岳絡みでも関係出そうな地がいっぱいです。
好きな尾張系の男系はみやぞんさんみたいな方。
心は穏やかで自分から上には出ようと思わず才能と肉体的な身体能力でみんな自然に忖度する男。
和邇さんにもその流れが入ってる男系なら暴力的でなく平和で安心ですね。男尊女卑しないか?で見極め出来るとも思います。弱い者に優しい尾張さんの男性がいたら今後安心ですね。2295
知恵の本物の文殊さん出てきて欲しいですね。子供を山から救出したあの方も尾ありましたね。尾も目印だと思いますよ。
「奈良の高の付く尾張さん」って、どなたなのだろうか?と??