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源行真申詞記に関しての考察(1)

2016-04-22 | 功力と櫟

櫟井(いちい)氏は近い場所にはいても永田氏ではなかったらしい。残念。

一井・市井氏、そして櫟、櫟井氏、どれも「いちい」である。

和邇氏であり、櫟井氏となっている。ある事件が関連するのではないかと思いだした。繙く鍵になるかもしれない。


~~~*~~~


『源行真申詞記』について。永治二年(1142年)四月三日に書かれた文書である。

原文は、東京大学史料編纂所で見ることができるが、虫食いが多い。

データベースから人物と簡単な説明を書いてみようと思う。(web情報:佐々木哲氏・保立道久氏)




散位 源行真申詞

右行真申云殺害字新六郎友員之・・・から始まる。


新六郎友員が殺された。「源行真」が申し云うには、河内源爲義の郎等源七郎道正が怪しいと。


その理由として「友員」と「道正」とは共兄弟之子である。

はじめに友員が道正の母と弟道澄を殺した。

その仕返しとして友員と母親と兄友房を殺害に及んだ。

友員と道正はともに行真の甥にあたる。

道正の妹の夫もその殺害の同意者であろう。(愛智家次のこと)


行真本人の子息は4人で、長男は先年死亡。

次男は左大臣殿御領(源有仁)下司である。・・・(有仁とは、後三条天皇の皇子輔仁親王の第二王子である。)

三男は佐渡国司の許(前関白藤原忠実(1162没))に仕え、(忠実63歳で、1140年には出家している。)

四男は陸奥判官 源爲義 郎等である。・・・(あの六条判官と言われた、爲義である。)

行真の娘婿道澄と三男行正共に爲義の郎等である。(道澄、行真の娘婿であった。)



行真の持っていた情報としては、

事件の夜に友員の従者伊波源太と申す男が疵を被り、

成勝寺領伊庭庄内の清追捕使安貞の許に逃げ込んだと伝え聞いた。

(伊庭氏は友員の従者であり、清追捕使安貞は、近江国の警察権を握る近江追捕使を勤めた人だそうだ。)

�成勝寺は崇徳院の御願寺であり、友員は崇徳院に仕え、成勝寺領伊庭庄の下司を勤めていた。


~~~*~~~


・・・と云うのが、『源行真申詞記』に書いてあったことと、少々の補足である。


とても遠い古代からの話にも通じてしまうが、書いてみようと思う。全く違っていたらごめんなさい。
今思っている事なので、ただそれだけなので、ご了承願いたい。


まず、私はその友員の苗字が櫟井や、また櫟と関係のある苗字なのではないかと思っている。

(永原氏も、事情があって佐々木氏の庶流とは語れないのではと言われているので可能性はあると思うが、わからない。)

というのは、「新」(神・真野の真・深尾の深・秦)という音。どの人かはわからないが、関係がある人がいるのではないだろうか。


『古代氏族系譜集成』系図を見ていると

友員が「新六郎」、不思議なことに道正の子どもが「新五郎」である。友員と道政は従兄弟同士である。

従兄弟とは言っても、年が離れていて、道正の子どもの方が先に生まれている可能性もあるか?とも思う。

もしくは、新六郎の本当の父親は道政だったのだろうか?

この道正、またを道政と書き、祖母の姓を称して「紀の道政」ともいうそうである。(神々の間奏曲 小林茂美 桜楓社)


~~~*~~~


そうして、これと九里、がどうかかわっているのかを書いてみたい。

まず、九里は中原であったが、九里となる以前に橘氏となっている。

この橘氏は誰なのかは不明である。

しかし、橘氏という隠れ蓑をかぶっていたのだと思う。はっきりと苗字を語れず、隠しているのだと思う。

それが、櫟井氏・真野氏・深尾氏とすると、和邇族である。そして、日本の苗字七千傑【橘氏】のなかに真野氏は含まれている。

日本の苗字七千傑さんでは、真野氏から新村氏、そして深尾氏と繋がっている。

深尾氏は同じ日本の苗字七千傑さんの「大外記中原氏」の中で、清原氏から中原氏に養子に入った人物だが、その系に『深尾職久』が一名書いてある。


この清原祐安は、頼業の弟で、造酒正等を歴任し中山忠親等の家司も勤めた。
それが大外記中原師元の養子となり中原姓を称したという。この祐安の子が職国である。と『中世公家と地下官人』中原俊章著には書いてあった。
江州中原ではないが、父親や兄の頼業はこの源行真申詞記と同時代を生きていた人である。



その真野氏・新村氏・深尾氏、どれも『新』(しん)という字と関わっていて、イミシンである。

(長くなるので、続きは(2)となります。)



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