昨日図書館より「武門源氏の血脈」野口実著 中央公論新社 を借りてきた。
ここには、片岡氏やその周辺やその心情が書かれており、感激!
さらに、義朝、頼朝の周辺も、わかりやすく学びとなった。
その本の中にあるヒントを基に、新たに調べていくと…
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【六浦庄】に関して
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%E4%B9%85%E8%89%AF%E5%B2%90%E9%83%A1
源義朝から恩賞として大中臣実経に与えられているのである。
wikipediaより↓
「古くは六浦荘という荘園が設置され、国衙(こくが)や郡衙の支配を受けない私有地であった。六浦・金沢・釜利谷・富岡が4郷から成り立っていた。当初の領家は仁和寺(皇族の門跡寺院領)であったとみられている。現在も真言宗御室派の寺院が東国では珍しく金沢区内に分布している。保元2年(1157年)に源義朝から恩賞として常陸国の那珂実経(大中臣実経)に六浦荘が与えられ領主になったとされている。
1157年というので、1160年に頼朝に付き添った資経の息「実経」とは違うとは思うのだが、奇妙な符合と思う。
この実経がいたために、大中臣に入ることとなった「長田実経」は「広経」(弘経)と名を改めた…等何かあるかもしれない。
この大中臣実経は私が何度も見ている系図(大中臣略系図)の中にいて、網野先生がその周辺を著作集⑭巻目に書かれているからである。その系図の最後にまとめて、自分たちの関わった領が書かれているのだが、そこに「六浦庄」も書かれていた。
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海や川の水上交通と義経との関係も、なるほど!
片岡経春が義経に加担していった心情と共に、水上交通の威力がクローズアップされた。
そこが近江国の琵琶湖の水上交通が得意だった「永田氏」とのつながりを見出してしまった私である。
大浜へ移住した長田氏も水上運輸が得意であったそうである。
①義朝の家司的な長田氏
②義経の郎党となった片岡氏
③大浜へ移住した長田氏
④湖上運輸の永田氏
みな、海・内海・湖と関係している。
この①と②が大中臣氏と関係しているのでは?と思う。
また、④の永田氏は戦国時代に信長を船で運んだ氏である。
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ココと平系の中原氏が繋がっていると思う。
特に義朝の家司には、中原氏も居たと思う。
さらに義常にも右筆として中原氏
さらに義仲を匿い育てたのも中原氏
…ここが、スタート地点なのか…と思う。