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【イチキシマヒメを祭神として祀る市杵島神社では、「市杵島姫命は天照大神の子で、皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている」という説明板がある。 】
つまり、此の近江八幡の日牟禮神社という名称になる以前の神社と関係がある。場所も日牟禮よりも北津田の方に寄るかもしれない。
いずれにせよ、今のその周辺と昔とではかなり地形が違っていたようなのだ。
『奥津島神社 』には「多紀里比売命(たぎりひめのみこと)」
『大島奥島神社』には奥津比売命(おくつひめのみこと)で、実は、この女神は、奥津島神社に祀られる多紀里比売命、玄界灘沖の島に祀られる田心比売命と同神なのです。
沖島の北側には『厳島神社』には「市寸島比売(いちきしまひめのみこと)」
が祀られているそうで、つまり宗像と同じく三柱揃っていることとなる。
それらを守ってきた紀氏と和邇氏。
その神社の中に、呉織・漢織 の「綾神社」があり、秦氏が育てた蚕や織物を奉納していたと思われるのではないだろうか?
息長氏のいた米原には天野川があり織姫と彦星を思い起こさせる。
天野川周辺には、製鉄の痕跡もあるそうだ。
神功皇后が新羅から連れてきた秦氏がそこにも住み着いていたのかもしれない。という事は、その最先端の技術が近江にも入っていた。
伊吹山の麓から米原周辺に住み着いていた秦氏たちがやがては依知秦氏となり…と想像するとつながる。
琵琶湖に浮かぶ竹生島に弁財天様がおられるが、この神様も元は「市杵島姫」であったと思う。
天野川の付近にある「日撫神社」も「火撫」とも思われ、製鉄と関係していたかもしれず、そこに相撲神事も残っている。
大地を掘り起こし製鉄することと大地を鎮める相撲が繋がるのかもしれない。
実を言いますと、来月初めに琵琶湖に旅行することが三カ月前に決まっていました。余りにタイムリーなことに、これは「行け」と言うことですね?
不思議なことがあるものです。
それは、それは、実りある素敵な旅となりますように!
百済王との関係が知りたいのです。
また百済王の氏神を祀る枚方市百済王神社で江戸時代までは牛頭天王スサノヲを祀っているのです。多分、大国主だと思いますけど、百済王が大国主と台与とどういう関係なのか知りたくて!
なにかお心当たりがあればお教えください。突然お邪魔しましました( ^)o(^ )
東近江は息長氏の拠点より南になるように思います。
百濟寺に関する本を次の記事でアップします。
ご参考になると良いのですが…