九里・久里・久利一族の本からである。
http://ek1010.sakura.ne.jp/1234-7-22.html
http://www.nextftp.com/well/roots/new_page_8.htm
上記二つも参考にし、再考していきたい。
久利民部真利は、尊卑分脈には記載がなかったので、養子かもしれないし、あとで付け加えたかもしれない。
が、道真の側近?に久利がいたようなので、再度調べてみた。
「”北岡城は菅原道真に仕えた秦久利の居城である、秦久利は老いて一女のみであったので、管公の族子をもらい跡継ぎとして久利長門守といった、その後香西氏に仕え、戦国時代に長曽我部軍に敗れる。”」と、以前書いた記事に在った。情報はweb上にあったと思う。
久利の名を氏となし久利長門守…とある。
http://www.edu-tens.net/syoHP/enzaHP/tiiki/gosikiume.html
唐梅ともいわれ,久利長門守が太宰府を訪れ,菅原道真公とお会いしました。
その時,大変喜ばれ,飛梅の種を賜わりました。持ち帰ってこの地に植えたのが五色梅です。
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ
梅の花
あるじなしとて 春を忘れそ
菅原道真
本当だとしたら、すごい話だと思う!
ご先祖様かもしれない人が、道真に気に入られていたとすると!
そして、橘氏との接点はどうなっているのだろう。
菅原氏の祖は野見宿禰という。大江氏と同じである。
大江氏は橘氏と養子縁組が何度もある。
下記は接点と思われる箇所をいただいた。http://ek1010.sakura.ne.jp/1234-7-22.html(橘氏考)
更にこの橘氏を通して、片岡氏とも重なってくる。
中原経任の養子先の橘氏が見つかると良いのだが。
橘次経任。