九里 【九里】を探して三千里

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菅原在良の周辺(3) 橘氏一族という箇所を考える。

2022-03-25 | 菅家

前回、中途な記事であったので、もう少し書き加えておく。

菅原在良が唐橋氏の祖であり、菅原家は遡ると大江氏と同祖(野見宿禰)である。

菅原道真(854-903)は橘広相(ひろみ)(837-890)の窮地を助けていた。

橘広相は、道真の父是善に教えを受けていた弟子であった。

 

是善の兄が「善主」であり、その裔に真利がいて久利民部を称している。

其の事例より先に、道真の側近に秦久利がいて、菅原の家より婿養子を迎えている。

其の婿養子の人物が久利長門守となっていたようである。大宰府に道真に会いに行き、飛梅の種をもらっているという説がある。

 

広相の娘は宇多天皇妃となり斉世親王を産み、その室に道真の娘を迎えた。(菅原寧子)

母違いの弟が敦実親王(あつみしんのう)で、源雅信の父である。

源雅信が藤原元方の娘をもらい、生まれたのが源 扶義(みなもと の すけのり)で、近江国の佐々木氏の祖となる。

 

藤原実方の母は、源雅信の娘なので扶義の姉妹である。

 

話が佐々木氏よりにずれてきたので戻す。

 

橘俊通(1002-1054)の妻は菅原孝標(たかすえ)の娘であり、孝標は道真の高孫であり、上総介・常陸介の経験もある。

この孝標の息に【定義】がいて、定義の息に【在良】がいる。(唐橋氏の祖)

叔母の夫に橘俊通がいた事になる。定義の妻には藤原実方の娘がいる。

 

孝標のもう一人の妻は高階氏であった。

 

そして、大江氏と橘氏は何度も婚姻関係・養子縁組が行われている。

菅原氏とも同祖であり、同じように系図には見えていないが、婚姻関係等はあったのではないだろうか?

もしかすると菅原から入ってという事で「唐橋」を称していたのかもしれない。(ここは仮想)

 


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2 コメント

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Unknown (jikan314)
2022-03-25 17:37:35
橘広相と言うと阿衡事件で基経に因縁を付けられ、道真に助けられたのですね。
京都の神護寺の国宝の鐘の銘文を、橘広相之詞、菅原是善銘、藤原敏行書在銘とありますよね。
つい思い出したので。
一とせの思ひ出でのあるさくらかな
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Unknown (kunorikunori)
2022-03-25 21:26:31
@jikan314 Jikan様、さすがです!

事件は、知りませんでした。
調べてみます!

何度も前を通っていたのに、全く関心が無かったのか、見落としていた神社。
この先のガーデンパレスに長く泊まったことがあり、毎日行き来していました。
道真様、ごめんなさい🙏ですね。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/菅原院天満宮神社

行き帰り 桜舞い散る 京の道
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