「今、私はこの和田氏・藤原氏・土岐氏の中から「富木氏」がうまれたのか、
大中臣氏略系図の「那珂氏」の中から「富木氏」がうまれたのかを、悩んでいる。」
の部分を突き詰めていたら、思いがけない方向に進んでいる。
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茂原の藻原寺のことから、始まって。
茂原には斉藤遠江守兼綱がいる。
建治2(1276)年11月12日の創立。宗祖日蓮大聖人立教開宗後、御題目の信者となった方との唱和したお題目・南無妙法蓮華経をもって「御題目初唱之霊場」ともいわれる。
また、東身延とも称する日蓮宗の本山(由緒寺院)である。
開山は宗祖日蓮大聖人。
開基檀越齊藤遠江守兼綱(常在院日朝)。
建長6(1254)年に藻原の領主齊藤遠江守が城内の草庵に宗祖を迎え、一族を帰依したのがはじまりである。後年、兼綱が出家して常在院日朝となり、一族の墨田五郎の長男は中老僧日秀となって当山第3世を継いだ。
https://higashiminobu.sougenji.nichiren-shu.jp/
http://chiba-saibu.net/1016-sougenji.html
日蓮大聖人降誕800年まで、あと 818 日だそうである。
その斎藤氏は、実はあの清原氏ではないかと仮想して、調べてみた。
あの清原氏とは清原清定である。
本姓は斎藤氏で、清原清定の息が後に斎藤浄円となったのではなかったろうか?
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/9d2462f229f4f39ce756b31484d05135
上の記事の中に出てくる大野右衛門大夫清原政清は日蓮の母親の兄と言われている。
wikipediaの日進のページによると
「日進の父・曽谷教信は皇后宮大進清原真人行清の子孫・大野右衛門大夫清原政清の子で、政清は日蓮の母の兄と著されている。」とある。
この大野氏は「大中臣氏の末裔」ともいわれていたそうである。それは諸説あるようであるが…
確かに上総国の所領も大中臣那珂氏はもらっており、
那珂西城:藤原秀郷流那珂氏の居城と考えられていたが、現在では大中臣姓(おおなかとみせい)那珂氏の居城とする説が有力となっている。大中臣姓那珂氏の祖は賴継の子宗経で、実経、実久と続く。実久は御家人として常陸国那珂東郡・那珂西郡などの地頭職を得て那珂中左衛門尉を称し、その子時久は那珂三郎左衛門を称している。那珂氏はその後、丹波国天田郡金山郷へと移って行くがその時期は明確ではない。那珂宗泰が足利尊氏に従って丹波へ移った説が有力ではあるが、その祖父経久の時代とも云われる。いずれにしても那珂氏は古くより丹波の地に所領を得ていたようである。
調べてみるとこの茂原には「秦氏」「賀茂氏」が多いという。
詳しくはわからないが、清原、大中臣、大中臣那珂、大野、斎藤という、つながりがありそうである。
でここからは妄想なのですが、人間ウォッチではナカは相当合わなそうですよ。強すぎて、職人なので仕方ないんですけど。色で言って申し訳ないんですが、青い方のが合いそう思えます。金属でいうと青い銅が清原氏斎藤氏の方。赤い銅は、那珂氏の方。そうだこれ性差かもしれませんよ。
父とか男系だと青で母とか女系だと赤になるような気がします。富木がどちらかからきたか?でいうと両方で、実際に自分の性がどっちかなのかもしれないなあ?青い方は原系?赤い方は中系?で赤い中系はカモになりそうに思います。なのである意味どちらからも愛されるんですけどね、トミは。でもそのトミに憑依している赤があるんでそれはどうも女系が違う赤なんですよね。そこは注意です。鉄の奪い合いですけど本家は農耕のための鉄で、憑依家は武器の鉄です。
という事で見極めは平和とか争いを好まない方のトミを探します。でルーツは単純に兄妹的でそれほど違いはないんですけど男か女由来かで結構変わるかも?で青い方にもやたら争いたい者がくっ付くので争わされてますけど、それも親戚間とかで。そもそもの戦いの目的で考えると争わないでいい事もいっぱいあったと思います。
私は巫覡を探しているのもそれが理由かも?武将って結構兜の中に巫覡忍ばせてるみたいですけど動機が護る事ならその素材の方しか戦うべきではないはずです。逆にいったら神との間で戦わないというのが出来る素質が大事かもしれませんね。
このルーツには多分ありますよ、きっと。
斎藤の娘もやり過ぎちゃってますもんね、それを止めるのは父か兄?女は子供でブレますからね。
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