万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

中国経済に目が眩み”現代のヴェネチア”になること勿れ

2017年03月09日 13時57分20秒 | 国際政治
中国、年内に探査機打ち上げへ 月面サンプルの持ち帰り目指す
 ロンドン在住のハンガリー人政治評論家であるガブリエル・ローナイ氏が著した『モンゴル軍のイギリス人使節』には、モンゴル軍襲来の惨状のみならず、モンゴル側の狡猾、かつ、巧妙な侵略手法が記されています。そして、バドゥの征西の背後で暗躍した、黒幕ともいうべき存在をも暴露しているのです。

 キリスト教国を裏切り、モンゴル側と手を組んだ黒幕の正体とは、一体誰なのか。その正体は、”水の都”とも謳われるイタリアの共和国、かのヴェネチアです。ヴェネチアと言えば、シェークスピアの『ベニスの商人』でいささか芳しくないイメージがあるものの、今日では、中世の面影を残す街中の水路を長閑にゴンドラが行き交う観光地として知られています。しかしながら、かつて東方彼方にまで植民市を建設し、一大通商国家を築いた栄華の日々は、今では殆ど歴史に埋もれてしまっています。しかも、バドゥの征西におけるヴェネチアの黒歴史を知る者は、数えるぐらいしかいないかもしれません。

 バドウの征西とは、東方から来襲したモンゴル軍がヨーロッパ東部を壊滅させた一大事件です。ヴェネチアの黒歴史とは、この遠征を手助けしたヴェネチアの”裏切り”を意味します。遊牧民族であるモンゴル族には、有能な外来者を登用する風習がありましたので、おそらくは、征服事業の遂行には異邦人の入れ知恵もあったことでしょう。モンゴルがヨーロッパを征服を計画するに当たって、最初に着手されたのは、狙いを定めた相手方の内部に情報機関を設けることでした。モンゴルとヴェネチアのどちらが先に接近したのかは定かではありませんが、ヨーロッパ征服事業において両者の利害は一致し、既にヨーロッパ全域に情報網を張り巡らしていたヴェネチアは、バトゥの征西を前にして、情報収集、並びに、情報提供の役割を担うのです。そして、この時のヴェネチアの行動は、道徳的にも道義的にも批判に値するものです。

 第一に、ヴェネチアとモンゴルとの結託は、ヴェネチアのライバル通商国家であったキエフを壊滅に追い込みます。当初、バトゥは、ドイツに狙いを定めていましたが、クリミア半島でのヴェネチア領事との”謎の交渉”の後、この計画は急遽変更され、キエフ住民を大虐殺した末にキエフの街を完膚なきまでに叩きのめし、人影もまばらな廃墟とします。第二に、モンゴル到来と共に奴隷貿易が復活し、ヴェネチアは、モンゴル軍が征服によって捕虜にした東欧の人々を買い取り、カイロの奴隷市場で売りさばきました。奴隷の買い手とは、当時、十字軍との闘いで兵力を要したイスラム諸国であり、ヴェネチアは、奴隷兵士の供給元となったのです。奴隷兵士が絶え間なく供給された結果、十字軍との闘いは長引き、双方の人的被害も拡大しました。しかも、十字軍遠征に際してヴェネチアは、遠征軍の海上輸送や食糧供給などを引き受ける”十字軍ビジネス”の担い手でした(キリスト教側とイスラム教側の敵対する方双方から利益を得ている…)。第三に、ヴェネチアは、モンゴルから貿易に関する貿易特権を取得したことで、同国の保護の下で”世界市場”において莫大な貿易利益を独占しようとしました。いわば、モンゴル帝国の”政商”の地位を獲得したのです。さらに、第4に挙げるとすれば、ヴェネチア自身は、共和制の下で総督を選挙で選出する民主的な国家体制を誇りながら、モンゴルの専制政治を支えました。この点は、民主主義よりも経済利益を優先したという意味において、悪しき歴史の前例です。

 今日、軍事、並びに、経済の両面において中国は飛躍的な成長を遂げましたが、元朝支配の歴史は、現代中国におけるモンゴル流の思考や行動を説明しているように思えます。そして、モンゴル帝国の”後継帝国”としての中国の台頭は、13億の市場に目が眩み、中国と手を組み、その手先となることで、自らの利益を貪りたいと考える国、企業、勢力が出現する可能性を暗示しているのです。ヴェネチアの利益優先の貪欲な行動が、結果としてコーカサス地方から東欧にかけて死屍累々たる惨状をもたらし、モンゴル流の専制支配の影響が未だに癒されない深い傷を残している現状を考慮しますと、”現代のヴェネチア”には決してなってはならないと思うのです。

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コメント (6)
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