万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

東宮家と政治ー目指す女帝像とは?

2017年03月23日 13時56分52秒 | 日本政治
愛子さま、両陛下に卒業を報告
 昨日、学習院女子中等科の卒業に際し、東宮家の”愛子内親王”の映像が報じられると共に、宮内庁は、卒業記念文集の作文も公表しました。”愛子内親王”については、ネット上では別人説が囁かれており、国民の多くが不信感を抱く状況にありますが、こうした別人説に加えて、昨日の一件では、東宮家に潜む別のリスクをも表面化したように思えます。

 その一つは、記者団のインタヴューを受けた”愛子内親王”の返答にあります。中等科に進学はしたものの、不登校気味であったことは周知の事実であり、昨年の夏季には、殆ど登校していなかったそうです。ところが、記者の一人に中学校生活の感想を問われたところ、”毎日学校に通い…”と述べ、事実と異なる虚偽の発言をしているのです(仮に別人であり、別人との入れ替わりの時期が昨年の夏季とすれば、別人は、毎日通学していたことになり、虚偽ではない可能性もある…)。おそらく、質問の内容は事前に伝えられていたでしょうから、回答も、事前に準備していたはずです。その回答に虚偽があるとしますと、国民の範とはなり得ませんし、東宮夫妻や職員が止めなかった、あるいは、回答文章を作成したのはこれらの人々であるとすれば、虚偽発言の責任は、むしろ、周囲の大人達が負うべきことにもなります。

 さらに深刻な問題は、卒業記念文集の作文の内容にあります。宮内庁が直々に公表したのですから、この作文も、公開を前提とした相当に練られた文章です。作文の内容が、学校生活をテーマとした日常的なものであれば、誰もが気にかけなかったことでしょう。しかしながら、その作文たるや、実のところ、政治家のスピーチといっても過言ではない文章なのです。広島への修学旅行での思いから書き起こし、核なき世界平和を訴えているのですから。日教組や創価学会の先生からは”大絶賛”を受けそうなのですが、天皇に政治的権能を認めていない日本国憲法を考慮しますと、この作文は、微妙な問題を提起します。果たして、天皇ではない皇族であれば、特定の政治思想を有し、自らの政策方針を訴えることは許されるのか、という…。しかも、宮内庁が発表していますので、公的な性質をも帯びています。否、宮内庁は、皇室、あるいは、東宮家の意向に従って、敢えて国民に対する政治的なアピールを目的として公表した可能性も否定はできないのです。

 譲位(退位)問題に関連して、女帝論も再提起されておりますが、今般の一件は、女帝論が単なる皇位継承の問題に留まらず、天皇の権能の変更にまで及ぶ可能性をも示唆しております。日本国の天皇が、今日まで継続してきた理由が、日々潔斎して天神地祇を祀り、ひたすらに国家と国民の安寧を祈る国家祭祀者としての中立性にあり、そして、それゆえに、政治から切り離され、憲法において「象徴」と定められていることを考慮しますと、東宮家は、自らその存立基盤を壊しているように思えてならないのです。

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コメント (3)
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