万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

核兵器禁止条約よりNPTの方が“まし”な理由

2017年10月13日 11時01分52秒 | 国際政治
「核禁条約不参加は裏切り」ノーベル平和賞のICAN
 今年のノーベル平和賞は、核兵器禁止条約の成立に向けての活動が評価され(2017年7月7日採択)、国際NGOである核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に授与されることが決定されました。しかしながら、既存のNPTと比較しますと、核兵器禁止条約には、以下のような問題点が見受けられます。

 第1の問題点は、核保有国が一国たりとも核兵器禁止条約に加盟していないという、歴然とした現実に基づきます。NPTの場合には、核保有国は、保有の特権が認められる代わりに、核不拡散の義務をも負わされています。否、仮に、非核保有国への核拡散が生じた場合には、国連の常任理事国と凡そ一致する核保有国がその責任を負わされる立場に置かれているとも言えます。一方、核兵器禁止条約には、如何なる国にも保有の特権を与えない代わりに、核拡散に対して責任を負う国も存在していません。

 第2に、第1に関連して指摘し得るのは、核兵器禁止条約は、核保有国、並びに、その核の傘の下にある諸国が参加を見送っているため、一般国際法としての要件に欠けている、あるいは、そのレベルが極めて低い点です。正当防衛をも不可能とする性質を持つような武器等の法規制は、適用の一般性、すなわち、例外無しの適用が保障されていませんと、違反国が出現した場合、逆効果となる場合が少なくありません。この問題は、アメリカの銃規制問題とも共通していますが、侵害行為が現実に起こり得る場合には、自らの身を自らで守る手段の放棄強制は、他者による自らの殺害の容認をも意味しかねないのです。

 第3に、核兵器禁止条約には、日本国憲法第9条と同類の重大な欠陥があります。それは、核兵器の開発から使用までの一切の放棄という行動規範を定めてはいても、仮にこの行動規範に反する違法行為を行う国が出現した場合ついては、強制排除のための有効な最終手段が全く準備されていないことです。同条約の第4条は、確かに核兵器全廃に向けての措置が記されていますが、ひたすらに加盟国に対して核兵器廃棄の義務履行を求めるのみであり(IAEAとの保障措置協定の締結や国連事務総長への申告等…)、違反国の核保有によって安全保障を脅かされる他の加盟国に許される唯一の措置は、領域内に違反国が設置した核の撤去措置に留まります(第4条4)。第11条でも紛争の解決に関する条文を置いていますが、これも、平和的手段に終始しているのです。

 第4に指摘すべき点は、核兵器禁止条約の成立により、核分野における国際法が、内容の異なる二つの法が併存する状況に陥ってしまったことです。核兵器禁止条約では、核保有は如何なる国であれ“違法”と観念される一方で、NPTでは、核保有国による保有は合法的な行為となります。つまり、同一の行為であっても、概念上、一方では違法、もう一方では合法という全く異なる法的判断が成り立つこととなるのです。こうした混合状態は、一つの法域としての国際社会を引き裂く、あるいは、混乱させる要因となりますので、決して望ましいことではありません。

 今日、北朝鮮等の核保有が深刻な危機に至っていますが、核兵器禁止条約がNPTに完全に取って替る状況を想定しますと、以上に述べた諸問題により、国際社会は“お手上げ”の状態となるのではないでしょうか。核兵器禁止条約は、北朝鮮のような無法国家には無力なのです。このように考えますと、ICANは、核の攻撃的使用が懸念される中国やロシアに対して甘い点も含めて、どこか偽善と謀略の匂いがします。ノーベル平和賞の受賞により核兵器禁止条約が関心を集めていますが、国際社会の“治安向上”に対しては、国際法としての一般性の高いNPTの方がよほど“まし”なのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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