万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

風前の灯となったのは保守?-深刻な社会面での保守政党のリベラル化

2017年10月06日 11時26分30秒 | 日本政治
 今月22日に予定されている衆議院選挙では、立憲民主党の設立により三極構図の成立が謳われながらも、“寛容な保守系改革政党”を標榜する希望の党が鳴り物入りで旗揚げしたこともあって、日本国の政界再編は、保守色が強まる方向に進んでいるとするイメージがあります。しかしながら、この見方、果たして的確に政治現象を捉えているのでしょうか。

 防衛や安全保障の分野に限定しますと、急速に保守化が進行しているのは疑いのないことです。自民党が北朝鮮問題を最大の選挙の争点に据えているのは、過去の実績も手伝って、差し迫った危機への適切な対処を望む有権者の大半からの支持を期待できるからです。こうした憲法改正にまで繋がる防衛力と日米安保強化の方針は、希望の党や日本維新の会の政策方針とも軌を一にしており、争点化し得るほどの与党と立場との違いは見られません。そして、マスコミから三極構図の一角の指定席を設けてもらった立憲民主党でさえ、日米同盟を頭から否定してはいないのです。中国の急速な軍拡や北朝鮮問題に直面している現在、この分野だけに注目すれば、日本国の政治は国民意識を含めて保守に傾斜しているのです。

 ところが、社会面に視点を移しますと、そこには、防衛や安全保障分野とは全く違った光景が見えてきます。それは、特に教育の分野において顕著であり、どの政党も、少子高齢化対策の一環として、教育への公的投資の増額を基本方針に定めています。この方針は、OECDの統計にあって、先進国の中でもとりわけ日本国の教育分野への公的投資が低い数字に留まっていることと関連していると推測されますが、政党間の横並び的な姿勢は、どこか違和感を覚えます。見方を変えれば、何れの政党も、教育への国家介入の強化に向けて一斉に動いているのです。

 教育というものが、経済面のみならず、国民性、人生観、モラル、家庭の在り方、そして、日本の社会全体に有形無形の影響を与えるという厳粛なる事実を考慮しますと、公的介入の強化については疑問を呈さざるを得ません。真の保守政党であれば、家庭教育の大切さや伝統・文化の継承を訴えるでしょうし、幼児教育や大学教育の無償化といった社会・共産主義風味な政策には本能的な警戒感を抱くことでしょう。こうした政策の推進者は、兎角に教育を受けるチャンスの平等化を根拠として挙げていますが、受ける教育が、公的なマニュアルの下での画一化された教育であれば、個々の個性や能力はむしろ押しつぶされ、無味乾燥としたモノクロ人間が大量に“生産”さることでしょう。ソ連邦しかり、中国然りであり、北朝鮮に至っては、全ての国民がクローンなのではないか、という錯覚にさえ陥ります。

 第二次安倍政権が誕生するに際しては、“日本を取り戻す”が選挙スローガンであったことを思い起こしますと、今般の選挙は、全く以って様変わりです。“日本”という国名が殆ど聞こえてこず、これまでのところ、日本国の歴史や伝統の尊重や移民政策反対を掲げる政党も見当たらないのですから。リベラルを親社会・共産主義的な改造主義として定義しますと、今日の日本国では、防衛や安全保障といった政治面においては全体として保守化し、リベラルが消えゆきながら(もっとも、社会・共産主義の本山であったソ連も中国も、自由主義国よりも攻撃的な国家主義国…)、社会面においては、前者とは全く逆にリベラル化して、保守色が風前の灯の状態にあります。

そして、保守政党のリベラル化は、日本国のみならず、アメリカの共和党、イギリスの保守党、そして、ドイツのCDUなど、全世界的な現象でもあります。こうした奇妙な現象の裏側に何があるのか、参政権を有ればこそ、国民には、その背後関係を知る権利があるのではないでしょうか。

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コメント (3)
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