SLBM発射台で動きなし=米研究所
朝鮮半島では、米朝間の軍事的睨み合いが続いており、両国のどちらによる先制もあり得る緊迫した状況にあります。何れの武力行使に対しても反対の声も少なくありませんが、少なくともアメリカの対北先制は国際法上において許されるのではないかと思うのです。
戦争というものが、一方の国家が他方の国家から自らが欲するものを力で奪う手段として行われていた時代の戦争観にあっては、奪う側が一方的に標的とした国家に攻撃を仕掛ける先制の形態が多々見られました。しかも、国際法が存在しない時代には、こうした行為は必ずしも侵略行為として倫理的に批判されたわけではなく、逆に、版図を広げた英雄として讃えられるケースもあったのです。また、戦争が国家間の国益の衝突を解決する最終的手段として認められていたクラウゼヴィッツ流の近代戦争観では、先制と雖も、最後通牒の伝達や宣戦布告といった正当な手続きを踏んでいれば、一先ずは、合法的な戦争とされていました。それでは、普遍的な倫理観に根差した国際法秩序が出現した現代という時代に発生した北朝鮮問題は、どのように考えるべきなのでしょうか。
国際社会において戦争を一般的な国際法によって抑止しようとする試みは、凡そ、第一次世界大戦後における国際聯盟規約(1920年発効)の成立辺りに始まります(ヨーロッパでは、ウェストファリア条約(1648年)等に既に萌芽がみられる…)。戦前には不戦条約(1929年発効)なども成立しますが、この方向性をさらに強めたのは、第二次世界大戦後の1945年10月に発効した国連憲章です。こうした試みは、各々の国家に主権を認め、利己的侵害行為を禁じるに至る人類の倫理発展の流れを示しており、少なくとも、一方的に他国を侵害する行為は、一先ずは侵略と認定されるに至るのです。
もっとも、国連憲章では、先制について具体的に言及されているわけではなく、この点に関して参考となるのは、1974年に国連総会で採択された「侵略の定義に関する決議」です。法的拘束力はないものの、その第2条の文面には、「国による(国連)憲章に違反する武力の先制行使は、侵略行為の一応の証拠となる。…」とあります(もっとも、最終的な判断は、安全保障理事会に任されるとする…)。それでは、仮にアメリカが北朝鮮に対して先制攻撃を行った場合、この行為は、国際法において“侵略”と認定されるのでしょうか。
北朝鮮は、アメリカからの攻撃を自国に対する“侵略”と主張しておりますが、この問題の根本原因は、北朝鮮による度重なる国際法違反にあります。朝鮮戦争の発端然り、核開発然りであり、国際法秩序が成立している今日の国際社会では、北朝鮮の行為こそ、取締りを受けるべき“犯罪”として認定されているのです。となりますと、アメリカが先制したとしても、それは、国際社会における警察活動の一環と言うことになりましょう。否、NPTの趣旨に沿えば、核の不拡散は核保有国の責任でもあります。一般の社会でも、法で禁じられている大量殺人を成し得る凶器を以って隣人を脅迫したり、隣家の方向に向けて自家製の爆弾を投げたり、近隣の家々の破壊殺害を公言する危険人物が現れれば、先ずはその身柄を取り押さえ、凶器を押収するために、警察はその人物の家に踏み込むことでしょう。
国際法が禁じているのはあくまでも犯罪者側の行為であり、警察側の制止行動ではないはずです。オバマ前大統領は“世界の警察官”の役割放棄を宣言しましたが、北朝鮮問題におけるアメリカのトランプ政権の行動は、まさしく国際社会からの危険の排除を担う“世界の警察官”そのものなのではないでしょうか。このように考えますと、アメリカの対北先制は、国際法上の“侵略”には当たらないと思うのです。
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朝鮮半島では、米朝間の軍事的睨み合いが続いており、両国のどちらによる先制もあり得る緊迫した状況にあります。何れの武力行使に対しても反対の声も少なくありませんが、少なくともアメリカの対北先制は国際法上において許されるのではないかと思うのです。
戦争というものが、一方の国家が他方の国家から自らが欲するものを力で奪う手段として行われていた時代の戦争観にあっては、奪う側が一方的に標的とした国家に攻撃を仕掛ける先制の形態が多々見られました。しかも、国際法が存在しない時代には、こうした行為は必ずしも侵略行為として倫理的に批判されたわけではなく、逆に、版図を広げた英雄として讃えられるケースもあったのです。また、戦争が国家間の国益の衝突を解決する最終的手段として認められていたクラウゼヴィッツ流の近代戦争観では、先制と雖も、最後通牒の伝達や宣戦布告といった正当な手続きを踏んでいれば、一先ずは、合法的な戦争とされていました。それでは、普遍的な倫理観に根差した国際法秩序が出現した現代という時代に発生した北朝鮮問題は、どのように考えるべきなのでしょうか。
国際社会において戦争を一般的な国際法によって抑止しようとする試みは、凡そ、第一次世界大戦後における国際聯盟規約(1920年発効)の成立辺りに始まります(ヨーロッパでは、ウェストファリア条約(1648年)等に既に萌芽がみられる…)。戦前には不戦条約(1929年発効)なども成立しますが、この方向性をさらに強めたのは、第二次世界大戦後の1945年10月に発効した国連憲章です。こうした試みは、各々の国家に主権を認め、利己的侵害行為を禁じるに至る人類の倫理発展の流れを示しており、少なくとも、一方的に他国を侵害する行為は、一先ずは侵略と認定されるに至るのです。
もっとも、国連憲章では、先制について具体的に言及されているわけではなく、この点に関して参考となるのは、1974年に国連総会で採択された「侵略の定義に関する決議」です。法的拘束力はないものの、その第2条の文面には、「国による(国連)憲章に違反する武力の先制行使は、侵略行為の一応の証拠となる。…」とあります(もっとも、最終的な判断は、安全保障理事会に任されるとする…)。それでは、仮にアメリカが北朝鮮に対して先制攻撃を行った場合、この行為は、国際法において“侵略”と認定されるのでしょうか。
北朝鮮は、アメリカからの攻撃を自国に対する“侵略”と主張しておりますが、この問題の根本原因は、北朝鮮による度重なる国際法違反にあります。朝鮮戦争の発端然り、核開発然りであり、国際法秩序が成立している今日の国際社会では、北朝鮮の行為こそ、取締りを受けるべき“犯罪”として認定されているのです。となりますと、アメリカが先制したとしても、それは、国際社会における警察活動の一環と言うことになりましょう。否、NPTの趣旨に沿えば、核の不拡散は核保有国の責任でもあります。一般の社会でも、法で禁じられている大量殺人を成し得る凶器を以って隣人を脅迫したり、隣家の方向に向けて自家製の爆弾を投げたり、近隣の家々の破壊殺害を公言する危険人物が現れれば、先ずはその身柄を取り押さえ、凶器を押収するために、警察はその人物の家に踏み込むことでしょう。
国際法が禁じているのはあくまでも犯罪者側の行為であり、警察側の制止行動ではないはずです。オバマ前大統領は“世界の警察官”の役割放棄を宣言しましたが、北朝鮮問題におけるアメリカのトランプ政権の行動は、まさしく国際社会からの危険の排除を担う“世界の警察官”そのものなのではないでしょうか。このように考えますと、アメリカの対北先制は、国際法上の“侵略”には当たらないと思うのです。
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