ウクライナに対するロシア軍の侵攻が現実のものとなった今日、人類は、第二次世界大戦後に構築されてきた安全保障体制の致命的な欠陥という問題に改めて直面しているように思えます。凄惨を極めた第二次世界大戦の経験は、国際聯盟に代る国際連合という凡そ全世界の諸国を網羅する新たな集団的安全保障体制を誕生させ、さらに70年代以降にあっては、リスク管理の名の下で核兵器の開発・保有等は厳しく制限されてきました。しかし、こうした平和への努力は、その制度的欠陥によって裏目に出たとしか言いようがないのです。
先ずもって、国連にあっては、国際の平和が脅かされる事態が発生した場合(国連憲章第7章)、常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、及び中国に対して事実上の拒否権を与えています。このことは、常任理事国が平和を破壊する侵略行為を働いた場合、国連を枠組みとする集団的安全保障のシステムは全く機能しないことを意味します。今般のロシアによるウクライナ侵攻はまさしく同ケースに当たり、たとえ、緊急事態の発生を受けて安全保障理事会が開かれたとしても、ロシアによる拒否権発動により、安保理決議が成立する可能性はゼロと言っても過言ではありません。国連の制度設計に内在する同欠陥は、既にその発足時から認識されていましたので、国連が機能不全となる事態の発生は、当初から織り込み済みであったとしか言いようがないのです。
この文脈からしますと、国連憲章の第51条において加盟国に認められている個別的、並びに、集団的自衛権は、国連の欠陥を補う条項として理解されるのですが、超大国が抜きんでた軍事力を有するようになった現実を直視しますと、同条文によっても全ての加盟国の安全が保障されるわけではないことは明白です。兵力のみならず、軍事テクノロジーにおいても遅れをとっている中小国が、ハイテク兵器を有する常任理事国でもある超大国の侵略を防ぐほどの防衛力を備えることは実際には不可能であるからです。しかも、先述した核拡散防止条約の成立は(今日では、並行的に核兵器禁止条約も存在している…)、唯一とも言える中小国の大国に対する軍事的対抗手段を禁じ手としてしまいました。核の抑止力を以って超大国の軍事的野心を牽制することは、国際法違反の行為とされたのです。
かくして、中小国の多くは、多国間、あるいは、二国間の軍事同盟条約を締結し、超大国の核の傘に入ることによって自国の安全を確保することとなるのですが、それでは、’核の傘’のない国の運命はどうなるのでしょうか。ウクライナの場合、ソ連邦崩壊後の1994年に、ベラルーシ及びカザフスタンと共にアメリカ、ロシア、イギリスと「ブダペスト覚書」を交わし、自国領域内に備蓄されていた核兵器はロシアに引き渡しています。この際、三国は、核放棄、即ち、核拡散防止条約への加盟の見返りとして、ウクライナの独立・主権、国境線の尊重を約するのみならず、同国に対する武力行使等のみならず核兵器の使用の自粛でも合意しています。
同覚書に照らしますと、ロシアのウクライナ侵攻は明らかに国際協定違反となるのですが、ここで一つの疑問が湧いてきます。それは、仮に、ウクライナが核兵器の放棄に応じていなかったならば、ロシアは、同国に対してかくも攻撃的であったのだろうか、というものです。結局、ロシアの協定順守を信じて核兵器を放棄したウクライナは、ロシアに騙されたに等しいということになりましょう。安保理常任理事国による軍事同盟かつ核なき国に対する攻撃は、ウクライナに救いのない状態をもたらしているのです。
国連の設立も核兵器廃絶もその目的は平和にあるのでしょうが、現実には、ロシアや中国のように合意があっても一方的に反故にし、かつ、国際法を踏みにじる国家も存在しています。そして、理想の希求がむしろ平和に対する脅威をもたらすという忌まわしき現実は、今日、戦後の安全保障体制の抜本的な見直しという問題を、全人類に対して提起しているように思えるのです。