ロシアが周辺諸国に仕掛ける強引な分離独立戦略は、今日、国際社会の平和を乱す重大な脅威として認識されています。国連憲章をはじめ、国際社会は、先ずもって国際紛争の平和的解決を求めていますし、1974年に国連総会で採択された「侵略の定義に関する決議」でも、他国の領域への侵入や攻撃は侵略とされていますので(第1条・第3条)、今般のロシアの軍事行動は、国際法違反であることは明白です。このため、西側各国とも、ロシアによる国際法違反行為を厳しく咎めると共に、経済制裁といった対抗措置に着手することとなりました。かくして、ロシアは、’厳しい冬’への逆戻りが予測されているのですが、対ロシア政策を考えるに当たって、一つ、重大な問題が積み残されているように思えます。
この積み残された問題とは、多民族混住地域における民族自決権の問題です。敢えてこの問題を指摘したのは、ロシアが拡張主義を遂行するに際して採用している基本戦略が、周辺諸国の領域内に居住しているロシア系住民の’政治的利用’にあるからです。今日の国際社会において成立している国民国家体系は、グローバリズムによって揺らぎを見せつつも、民族自決、あるいは、一民族一国家を基本原則としています。所謂’新大陸’や植民地化の過程で人工的に線引きされたアフリカ大陸などにあっては同原則を純粋に適用することはできないまでも、一般的には、’民族’は、主権的な権力を及ぶ範囲、並びに、定住地としての領域との結びつきを含めて国家の基本的な枠組みに正当性を与えているのです。
ところが、多民族が混住するユーラシア大陸の中央部は、’新大陸’や’植民地’と同様に一民族一国家の原則が成立し難い状況にあります。とりわけ、ロシアの周辺諸国では、ロシア帝国、並びに、ソ連邦時代に時の政権が非ロシア系住民に対して強制移住を強いる一方で、’支配民族’としてロシア系住民も多数移入してきています。もとより遊牧民等が多く、国境線の線引きが困難を極めるユーラシア大陸にあって、過去の’帝国’の移住政策は、多民族混住状態に拍車をかけると共に、今日まで続く民族問題の火種を残したと言えましょう。因みに、クリミア半島に居住していたクリミア・タタール人は、1783年のロシア帝国への併合を機として、ロシア人やウクライナ人等の移民の大量移入により少数派に転落するのみならず、1944年には、スターリンによって同半島から追放されています(追放は1967年に解除され、帰還運動が起きている…)。
クリミア・タタールは極端な事例としても、ロシア周辺諸国は、ロシア帝国並びにソ連邦の強引な移住政策の爪痕を残しており、一筋縄ではいかない複雑な民族問題を抱えています。そして、この混沌とした多民族混住状態こそが、プーチン大統領による拡張政策に格好の口実を与えたと言えましょう。ジョージアであれ、ウクライナであれ、ロシアと距離的に近い程にロシア系住民の比率は高くなります。かくしてロシアは、民族自決の原則を盾に自らの国境付近の地域に’独立国家’を’建設’すると共に、ロシア系住民が少数派の地域に対しても、ロシア系住民の保護を理由に軍事的な介入を繰り返しているのです。上述した「侵略の定義に関する条約」にあっても、第7条には民族自決権に関する例外条項が置かれています。
ユーラシア大陸の複雑な民族問題を考慮しますと、ロシアの時代錯誤の’帝国主義政策’を止めさせるためには、国境の侵犯を形式的に国際法違反として糾弾するのみでは抜本的な解決には至らないように思えます。結局は、国際社会は、ロシアによる既成事実化の前に立ち竦むこととなりかねず、将来的にも、ロシア周辺諸国にあっては同様の危機が繰り返されることになるからです。となりますと、今日、国際社会が取り組むべきは、国際法において明確な規定が設けられていない多民族混住地帯に対する平和的な解決のための行動規範の策定なのかもしれません。
国際法上の行動規範としては、最低限、(1)自国領域内に多民族混住地域が存在する国家、並びに、(2)他国に自国民と同系統の住民が居住する国家の双方の行動規範を含む必要がありましょう。例えば、(1)の国家に対しては、先制的な軍事力行使の禁止、各民族の権利尊重、全ての国民に対する平等な保護などが、そして、(2)の国家に対しては、民族自決並びに対人主権を口実とした軍事並びに政治的介入の禁止などが求められます。加えて、紛争地域に居住する各民族自身による自己解決の機会をも設ける必要もありましょう。ロシアもまた法の支配の価値を共有しない無法国家の一つですが、経済制裁といった実質的な損害を伴う制裁を科す一方で、国際法秩序の観点から問題提起することは、ロシアに対する心理的な圧力ともなるかもしれません。
何れにしましても、多民族混住地域における安定的な統治のあり方を見出さない限り、国際社会は、常にロシアによる拡張主義の脅威に晒され続けることとなりましょう。そして多民族混住のリスクは、世界各国におきまして中国系移民が増加しつつある中、ロシア周辺諸国のみに限られた問題ではないようにも思えてくるのです。