万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

習近平国家主席は絶対君主?―台湾有事は誰のため?

2023年04月07日 17時20分30秒 | 国際政治
 今年、2023年3月に中国の首都北京で開催された第14期全国人民代表大会は、習近平国家主席が自らの独裁体制を固める転機ともなりました。国家主席への就任以来、‘戦争のできる国’へと人民解放軍の改革を着々と進めてきたこともあり、武力による台湾併合を睨んだ布陣との見方も聞こえます。

 習主席は事あるごとに台湾併合を主張し、アメリカの介入を牽制してきたのですが、その際に、しばしばその根拠としてあげられてきたのが、同主席の沽券の問題です。中華人民共和国建国以来の中国共産党の悲願であった台湾併合を自らの手で実現することにより、習主席は、歴史的な偉業を成し遂げた‘指導者’としてその名を残したいというのです。言い換えますと、習主席は、台湾併合を実現することこそ、自らの‘ミッション’と見なしていると言うことになりましょう。しかしながら、台湾併合に向けた習主席の‘責任感’は、考えてもみますと、いささか奇妙なように思えます。

 どこが奇妙なのかと申しますと、仮に習主席が、何者からの拘束も受けない現代の絶対君主であるとしますと、最早、他の誰に対しても責任を果たす義務はないからです。例えば、習主席の野望は、中華人民共和国建国の父、毛沢東に並ぶ、あるいは、毛沢東を超える指導者として君臨することになると説明されています。実際に、同主席は、自らの偉大さを誇大に強調すると共に権威付けに余念がありません。2017年には習近平思想まで登場し、今では、小学校から大学まで全ての教育課程で同思想の学習が義務づけられています。国民の内面までも支配しているのですから(国民が同思想を本心から信じるか否かは別として・・・)、近世絶対王制期の欧州諸国の君主を凌ぐ、より絶対的な権力を手にした現代の絶対君主と言えましょう。

 しかしながら、ここで一つの疑問が提起されます。それは、誰からも拘束を受けることのない絶対的な自由を行使し得る立場にあるならば、習主席は、誰憚ることなく、台湾併合という中国共産党の目的、あるいは、党の計画を変えることができるのではないか、という疑問です。中国国内を見れば、国民の大多数は武力による台湾併合を望んではいないことでしょう。何故ならば、それが、アメリカとの戦争を意味するからです。

 第二次世界大戦の経緯を考慮すれば、‘台湾解放’に伴うアメリカとの戦争が、中国国民に甚大なる被害や損害をもたらすことは容易に予測できます。台湾への武力侵攻は第三次世界大戦を招きかねませんし、核戦争にでも発展すれば、北京や上海を含む中国各地の高層ビルが建ち並ぶ大都市も廃墟と化すかもしれません。たとえ台湾併合に成功したとしても、失われるものは多く、人的物的被害は計り知れないのです。

台湾侵攻に伴う甚大なリスクが予測されるからこそ、国民は、必ずしも習主席に対して台湾侵攻を決断することを期待してはいないことでしょう。むしろ、かくも危険に満ちた企ては、できることなら止めてもらいたいと考えているかもしれません。また、アメリカでは、中国が台湾に侵攻した場合、中国共産党幹部並びにその親族の在米資産を制裁対象とし得る「台湾紛争抑制法案」が、去る2月28日に米連邦議会下院金融委員会にて圧倒的多数で可決されています。同法案が成立すれば、私腹を肥やしてきた共産党幹部は莫大な資産を失いますので、実のところ、少なくとも共産党幹部は、台湾侵攻を本心では回避したいと考えているはずです。

以上の中国国内、あるいは、中国共産党内の事情に鑑みれば、習主席が台湾侵攻計画を放棄したとしても、本当のところは、多くの人々がほっとすることでしょう。否、中国人のみならず、日本国民を含めた全世界の人々が安堵するかもしれません。台湾有事によって利益を得るのは、戦争利権を有し、戦争を世界支配拡大のチャンスとする極少数の世界権力ぐらいなのですから。そして、習主席がなおも自らのミッションとして台湾併合に固執するとしますと、同主席も世界権力のコントロールの下にあるとする疑いはやはり事実であるのかもしれません。毛沢東思想を超えようとはしても、決してマルクス主義を越えようとはしないところも、‘手先’としての同主席の限界を示しているとも言えましょう。共産主義は世界支配のための重要な道具であり、体制イデオロギーとしての共産主義の権威こそ、‘絶対’であらねばならないからです。

現代の絶対君主とされる習近平主席が内包する矛盾は、今日の世界支配の構造を露呈しているように思えます。第三次世界大戦を未然に防ぐことこそ、人類共通の課題ですので、世界権力のシナリオから人類が脱するためにも、習主席をミッション放棄に追い込む、あるいは、おだてて同方向に誘導するべきではないかと思うのです。

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