万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

崩れゆくユダヤ人の被害者イメージ

2023年10月23日 12時15分13秒 | 国際政治
 第一次世界大戦後の混乱期にあってドイツにて成立したナチス政権は、国策としてユダヤ人を公然と迫害しました。ポーランドのアウシュビッツに設けられたユダヤ人収容所では、過酷な強制労働により衰弱したユダヤ人からガス室に送られたともされ、その手法の冷酷さも際立っています。キリスト教世界であったヨーロッパでは、異教徒となるユダヤ教徒に対する宗教差別も根強く、現代にあっても‘ホロコースト(大量虐殺)’とも称される残酷な迫害を受けたユダヤ人は、人類の歴史において‘被害者’と見なされてきました。

 ナチス政権による弾圧と迫害があまりにも非人道的であったため、今日では、ユダヤ人批判はむしろタブーとされています。これは、独裁者ヒトラーを生み出したドイツのみならず、政界、財界、マスコミ等のあらゆる分野でユダヤ系コミュニティーが影響力を及ぼしているアメリカや他のヨーロッパ諸国においても同様です。地理的に遠方にある日本国でさえ、ユダヤ人団体の抗議を受け、‘ホロコーストはなかった’とする記事を掲載した文藝春秋社の雑誌『マルコ・ポーロ』が廃刊に追い込まれたほどです。

 ところで、マルコ・ポーロ事件を起こしたユダヤ人団体は、アメリカ西海岸のロサンジェルスに本部のあるサイモン・ウィーゼンタール・センターという名のユダヤ人人権団体です(イスラエルの首都エルサレム、ニューヨーク、トロント、マイアミ、シカゴ、パリ、ブエノスアイレスなどにも支部がある)。同団体を1977年に創設したは、ユダヤ教の聖職者ラビであったマーヴィン・ハイヤー師です。同師はユダヤ人の両親の元で1939年に生まれていますが、出生地はアメリカのニューヨークですので、本人が‘ホロコースト’を直接に経験したわけではありません。両親のアメリカへの移住の年も1917年であり、第二次世界大戦ではなく、第一次世界大戦の最中と言うことになります。

 今日に至るまで、ハイヤー師は、ホロコーストに関するドキュメンタリー映画の制作やスティーブン・スティルバーグ監督による『シンドラーズ・リスト』への協力など、マスメディアや映像の世界においてユダヤ人の人権を擁護する活動に従事してきました。同活動が高く評価され、フランスのミッテラン大統領から国家功労勲章を1993年に授与されています。1997年には、第二次世界大戦後のアメリカへのユダヤ人移民並びにそのイスラエル建国への貢献を描いた映画『The Long Way Home』の共同プロデューサーとして、二つのアカデミー賞も受賞しました。

 ニューズウィーク誌は、ハイヤー師を‘全世界の指導者、ジャーナリスト、映画撮影所のトップと電話一本で通じる人物’と紹介しており、その世界的影響力は絶大であったようです。ブッシュ大統領も、2008年5月14日のイスラエル建国60周年の記念日に同国を訪問するに際して、ハイヤー師を随行員に指名した程ですから、‘アメリカで最も影響力のあるラビ’とするニューズウィーク誌の評価も強ち間違ってはいないのでしょう。

 一方、サイモン・ウィーゼンタール・センターという団体の名称は、‘サイモン・ヴィーゼンタール’と言う人物の名に因んで命名されています。サイモン・ヴィーゼンタールは、1908年に現在はウクライナ領であるブチャチで生まれ(当事はオーストリア・ハンガリー帝国領、ただし、父親はポグロムを逃れてロシア帝国から移住・・・)、第二次世界大戦期にあって、‘ホロコースト’で家族や親族の多くを失うこととなりました。

 戦後、ナチスへの復讐に燃えた同氏は、ユダヤ人迫害を実行したドイツ人戦犯の追跡者、即ち、ナチ・ハンターとして活動します。例えば、アルゼンチンにおけるアドルフ・アイヒマンの逮捕は、同氏のイスラエルに対する情報提供によるものでした。1985年には、ノーベル平和賞の候補者にノミネートされながらも受賞は逸したものの、1992年にはオランダの『エラスムス賞』を受賞しています(エラスムスの‘二重犠牲が嬉しい悪魔’を思い起こすと考えさせられる・・・)。また、興味深いことに、2004年には、イギリスから大英帝国顕彰を授与されたのです。

 以上に述べてきたように、マルコ・ポーロ事件に関わったサイモン・ウィーゼンタール・センター一つをとりましても、世界大に広がるユダヤ人の人脈、並びに、その政治・社会的な影響力の強さが窺えます。今年の7月5日にも、エイブラハム・クーパー・サイモン・ウィーゼンタール・センター副館長が、日本国の山田賢司外務副大臣を表敬訪問しています。非政府組織でありながら、同団体は、半ばユダヤ人ネットワークのメッセンジャーとしての役割をも担っているのです。

 そして、このここで問題となるのは、サイモン・ウィーゼンタール・センターが、強力な情報統制、あるいは、一種の官民に対する検閲機関として機能してきた点です。同団体の活動を見ますと、ナチスによる‘ホロコースト’の被害者としてユダヤ人を歴史に刻みつけることが、同センターの役割でありように思えます。政界や言論界等に対して常に目を光らせ、ユダヤ人被害者史観に反する言論や表現は一切許さないとする姿勢を貫いているのです。

 しかしながら、長期的な視点から人類史を眺めますと、ユダヤ人が純粋に被害者であったとは言えないはずです(『ヴェニスの商人』にも描かれているように、ユダヤ人の高利貸しによって財A産を失った人も少なくなかったはず・・・)。とりわけ、第二次世界大戦後におけるイスラエル建国は、土地を追われたパレスチナ人の犠牲の下で成立しています。サイモン・ヴィーセンタール氏はシオニストでもあったとされますが(同氏の経歴に関しては疑わし点があるらしい・・・)、同団体の活動は、過去の一時期における被害者としての側面を強調することで、長期的、並びに、現在の加害性に煙幕を張ることにあったのではないかとも推測されるのです。そして、今般のイスラエル・ハマス戦争は、全世界を覆ってきたユダヤ人に対する被害者としてのイメージを根底から覆し、世界権力による世界大戦への誘導を含め、加害者としての側面が表に現れつつあると思うのです(つづく)。

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