万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

マスク氏のローマ帝国滅亡論を考える

2023年10月04日 15時25分20秒 | 国際政治
 先日、ツウィッターを買収してXと改名したイーロン・マスク氏は、現代文明をローマ帝国に擬えて、人類は「ローマ帝国の崩壊を再び目撃しようとしている」と述べています。この発現、案外、意味深長なのではないかと思うのです。

 そもそも、ローマ帝国滅亡とは申しましても、氏の述べる‘ローマ帝国’は、西ローマ帝国なのか、東ローマ帝国、即ち、ビザンチン帝国であるのか、それともビザンチン帝国の継承国を主張するロシアであるのか、判然とはしません。各々の帝国の地理的範囲、滅亡原因及び時期等もそれぞれ違っていますし、ロシアをローマ帝国の‘生き残り’と捉えますと、未だにローマ帝国は滅亡に至っていません。もっとも、一般的には、ローマ帝国滅亡と言ったときには、先ずもって最後の西ローマ帝国皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位され、歴史から消えることとなった476年の西ローマ帝国滅亡がイメージされますので、マスク氏も、おそらく西ローマ帝国を念頭に置いていたのでしょう。

 西ローマ帝国の滅亡原因については、古来、所説が入り乱れてきましたが、世界史の教科書にも記載されている主因は、375年に始まるとされるゲルマン民族の大移動です。言葉だけを聞くと、東方から押し寄せてきた勇猛果敢にして野蛮なゲルマン民族が、高度な文明化と放埒で怠惰な生活によってすっかりひ弱となった帝国を武力で征服したとする印象を持つのですが、その実態は、いささかイメージとは違っています。西ローマ帝国滅亡までの経緯を具に観察しますと、外部的な敵であるゲルマン民族との長期戦に加え、ローマ帝国内部の‘ゲルマン化’という現象を見出すことができます。

 イタリア半島を越えて版図を広げた時点において、征服者であったローマ人は、全人口においてマイノリティーとなることが運命付けられていました。当初から征服した周辺諸国の支配者層にローマの各種市民権を与え、帝国に取り込む政策が積極的に推進してきましたし、帝国の辺境に派遣されたローマ人も、現地の住民との混血によりローマ人の血が薄まっておりました。こうした流れにあって、押し寄せるゲルマン民族の帝国領域内への侵入を押さえることが最早かなわないと判断したローマ皇帝は、国境付近でのゲルマン人の定住を許すのです。

 かくして、帝国内においてローマ市民権を有するゲルマン人の人口も増加し、帝国において要職に就くようにもなります。遂に屈強なゲルマン人傭兵が国境を護ることとなり、帝国末期はゲルマン人対ゲルマン人という奇妙な構図となるに至るのです。そしてラスト・エンペラーとなったロムルス・アウグストゥルスは、ゲルマン人の傭兵隊長ともされるオドアケルによって廃位されていますので、結局は、ローマ帝国は、外的なゲルマン人からの攻撃と
内的なゲルマン人による乗っ取りの内外両面からの挟み撃ち、あるいは、共振によって脆くも崩れ去ったと言えましょう。

 ‘古代ローマ帝国’は西ローマ帝国としますと、‘現代のローマ帝国’は、一体、何処のことなのでしょうか。マスク氏の言う‘現代の帝国’は、‘パックス・ロマーナ’ならぬ‘パックス・アメリカーナ’の名の下で全世界に覇権を広げてきたアメリカとも推測され、移民の増加によって崩壊の危機に瀕しているという見方も成り立つかもしれません。もっとも、移民の急激な増加は、アメリカに限った現象ではありませんので、マスク氏の発言に戦々恐々となった諸国も少なくないことでしょう。因みに、日本国民もまた、国内にあって中国系の人口が急増する中で台湾有事が発生する場合、何が起きるか分からない不安の中におります。

 その一方で、メディアの説明に依りますと、それは‘現代文明’であり、特定の国家ではないようです。マスク氏は、「しかし、今回はWi-Fiもあればミームもある」とも述べていますので、同氏は、デジタル・グローバリズムを現代のローマ帝国と捉えているのかもしれません。デジタル・グローバリズムを推進してきた世界権力の構造は、頂点に座す皇帝に権力が集中する帝国の形態と同様に、金融・経済財閥がトップに君臨するヒエラルヒー構造であるとされます。また、IT大手による独占や寡占も問題視されています。

 この点からしますと、マスク氏が滅亡を予言した現代のローマ帝国とは、マネーパワーで各国の有力政治家を取り込み、事実上の‘属州’とした‘世界帝国’であるのかもしれません。つまり、マスク氏は、世界権力が独裁的に支配するデジタル帝国が滅亡し、その後、より分散的な社会の出現、あるいは、再構築されることを示唆しているとも考えられるのです。世界権力の内部を見ましても、その中核となるユダヤ人は、人類全体からすればマイノリティーですし、ディアスポラ以来、全世界への拡散の結果、最後にはローマ人がいなくなったように、ユダヤ人の多様化並びに‘異民族’の自立化が世界支配の基盤を弱め、一枚岩ではなくなってきているのかもしれません。

 西ローマ帝国が崩壊した後、ヨーロッパでは、今日の国民国家体系の基礎となるより細分化され、かつ、権力が分散された国際秩序が出現します。ローマ帝国の滅亡が、後に主権平等と民族自決を原則とする国際秩序の形成を齎した点に鑑みますと、現代のローマ帝国滅亡は必ずしも人々が嘆くべき悲劇ではなく、各国にとりましては、理不尽な帝国による支配からの解放を意味すると共に、国家、企業、個人等の何れのレベルにあってもより自由で自立性の高い世界の到来を意味するのではないかと思うのです。

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