万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

全世界が直面する憲法第9条問題-ウクライナの核武装

2022年10月19日 10時43分12秒 | 国際政治
 日本国憲法第9条NPTとの間には、国内法と国際法という違いがありながら、双方とも軍事分野における自己抑制の規律を定めているという共通点があります。前者は、文字通りに読めば日本国という一国家に対して軍隊の不保持を定めており、後者は、全世界の諸国に対して核兵器の不拡散を義務づけています。両者とも軍縮並びに軍備管理を目的としているのですが、この他にもう一つ、重大な共通点があるように思えます。それは、致命的な不平等とも形容すべき国家間の軍事力の非対称性です。

 今般、ウクライナ紛争では、反転攻勢に出たウクライナ勢によってロシアが追い詰められる形で核兵器が使用される可能性が高まっています。プーチン大統領が核兵器の使用を辞さない構えを見せているため、ウクライナを支援する自由主義国も身構えざるを得なくなっているのです。核兵器使用の危機に対して、アメリカのバイデン大統領が核による報復を示唆する一方で、NATOストルテンベルグ事務総長も、ロシアに対して「深刻な結果を招く」とする強い牽制の警告を発しています。

もっとも、アメリカによる核兵器の使用は核戦争を伴う第三次世界大戦を招くため、同国内では反対論も根強く、バイデン大統領も、一旦は拳を振り上げたものの、その降ろし時を探らざるを得ないようです。また、NATOの対応も、言葉だけは勇ましいものの、具体的な対応策や‘報復’については、通常兵器の域を出るものではないようです。核兵器の破壊力に優る兵器は存在していませんので、事務総長の言葉は否が応でも虚しく響いてしまうのです。本日も、NATOがロシア側によるドローン攻撃を防御する先端的な防空システムをウクライナに提供するというニュースが報じられていましたが、飛んでくるのは核兵器です。しかも、NPTを読みましても、‘核保有国はそれを使用してはならない’という使用禁止の一文は見当たらないのです。

NATO側が効果的な対策に苦慮する一方で、ロシアの報道官は、早々に‘併合4州’に対して‘核の傘’の提供を明言しており、ロシアは、核兵器の攻守両面での利用価値を熟知した上で効果的に活用しています。核兵器を攻撃力のみならず、抑止力としても利用しようとしているのです。おそらく、ロシアは、4州を自国領として併合した形での現状の固定化を狙っているのでしょう。

ロシアが核戦略を十二分に発揮できるのも、NPTが加盟国間に対して不平等な法的地位を与えているからに他なりません。同条約は、ロシアを含む核保有国にのみ、攻撃力であれ、抑止力であれ、非核保有国に対する軍事的優位性を認めているからです。そして、この‘持てる者’と‘持たざる者’との間の非対称性は、日本国憲法第9条にも当てはまります。何故ならば、日本国一国が完全に軍事力を放棄するとすれば、それは即ち、憲法に同様の条文を持たない他の一般の諸国との著しい非対称性を意味するからです。軍事分野における保有兵器の非対称性とは軍事力の格差と同義ですので、核保有国と非保有国との関係と同様に、日本国は、他の諸国に対して絶対的な劣位が決定づけられるのです。

しかしながら、歴史を振り返りますと、日本国は、結局、自衛隊という名称の軍隊を保持することとなります。GHQの占領下にありながら、憲法作成・制定当時の日本国は、同憲法第9条の草案に潜むリスクに気付き、国会等において議論が起きています。‘将来において日本国が侵略を受けた場合、どのように対応するのか’、という無防備がもたらす国家滅亡のリスクに関する重大にして当然の問いかけです。マッカーサー原案では、自衛のための戦争も放棄するとされていたのですが、万が一の事態に備え、日本国は、後々、自衛のためであれば軍隊を保持できるとする解釈が成り立つように修正を加えたのです。敗戦に打ちのめされながら、当時の日本国の政治家達は、冷戦下における覇権主義的共産主義国家の脅威という現実を見据え、真剣に日本国の行く末を案じていたことになりましょう。

かくして今日、日本国には自衛隊が存在するのですが、日本国憲法第9条の修正に至る経緯と比較しますと、現状における核をめぐる議論は、あまりにも不甲斐ないように思えます。NPTや核兵器廃絶を金科玉条の如くに祭り上げ、現実の危機に目をつむりつつ、一切の見直しを拒絶しているように見えるからです。理想論に拘泥し、あたかも防衛権までをも放棄したマッカーサー原案のまま凍ってしまっているかのようなのです。アメリカもNATOも、完全とまでは言わないまでも、一定の効果が期待できるウクライナの核武装について言及も議論もしようとはしないのですから(10月10日付けの「ウクライナの核保有というトロッコ問題の回答」参照・・・)。しかも、かのゼレンスキー大統領さえも、自国の核武装については口を閉ざしているのです(ロシアの良心を信じているのでしょうか・・・)。全世界が憲法第9条問題に直面しながら理想論に固執する現実は、危ういとしか言いようがありません。

核保有の非対称性の問題は、核の抑止力を考慮すれば、ウクライナ一国に留まるものではありません。核保有国が軍事行動を起こす前に、核武装する必要があるからです。もっとも、核保有国の特権が維持されるように意図的に議論が回避されている、あるいは、オプションから外されているとすれば、ロシアとウクライナの両当事国のみならず、今日の国際社会は‘世界権力’によって上部からコントロールされていると考えざるを得ないのです。

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