La Ermita の記録

メキシコ隠遁生活の私的記録と報告
 @ユカタン半島。

マヤの桜

2024年04月13日 | ユカタン諸々

 ハビルの木。

こないだメリダまで行ったとき途中で見て、個人的にユカタンの桜と呼んでいるマクリスこの記事の最後)にしては色が淡くて可愛いと思ったんだが、やっぱり別の木だった。今後はマヤの桜と呼ぶ。自動車道から見たのは群生していて、いかにも里山の桜だったので、そういう花見スポットを探すつもり。

 マンゴーの赤ちゃん。

風が強かった日の翌日見たら、結構落ちていた。今、メキシコや近隣諸国ではマンゴーの旬らしいが、なぜかもっと暑いここではまだで、うち以外の木も緑色の実しかなってないし、売ってるのも他の州産か、青いマンゴーばかり。早く食べまくりたい。

  ナンセの花。

 木はこんな感じ。

ナンセというのはアセロラみたいな感じの実なんだが、不味い。ここではシロップ漬けとかテキーラ漬けになって売られているが、はっきり言って美味しくない。在墨日本人はみんなそう言う。が、アセロラと同じく栄養価が高いらしい。買わなくてもあるなら美味しい食べ方を探して実験してみてもいいかもしれない。甘くする系じゃなくて、もっとアクセント的に使うのがいいんじゃないかと思う。酢の物に入れたり(酢の物にするんじゃなくて)、ピザのトッピングに足すとか、苦不味さを活かす方法があるかもしれない。

 手製の軟膏。

こないだからまた少し頚椎ヘルニアっぽくて、でも面倒なので親方に寝違えたと言ったら、奥さんの雑貨屋で売ってるという軟膏をくれた。タイガーバームみたいなスースーするものだった。いかにも自分で印刷して切って貼りましたみたいな紙に、一応説明が書いてある。

セボ・デ・コヨテというベース?は、メキシコでは広く売られている商品らしい。が、そのほかにも、ウーパールーパーの油とか蜂の毒とかグアヤコールとか恐ろしげな物が並んでいる。ワステカ文明の威光も借りてる。使用期限切れのタイガーバームより スースーが長持ち、相棒がよく買う市販の筋肉痛用の塗り薬より、遅効性だが消炎効果は高い。軟膏を手作りする人には何人も会ったことある。もらったのを試すと、たまにエライ効いたりする。これは痛みの原因が違う?のでアレだが、痒かったり痛かったり要は消炎効果がほしいときに良さげ。

 ヤギの餌。

こういう車を見ると、引っ越してきた当初は庭師かと思ったんだが、今ならわかります。

 ハンモックを釣る金具の位置について相談。

その相談というのが、単なる位置じゃなくて、揺らして風を作るとき手足が壁に当たらないようにとか何とか。エアコンどころか扇風機もあてにしないらしい。この暑さで、マヤ人、恐るべし。

 ブリト。

「おばあちゃんが作ってくれたブリトが一番美味しかった」というFBの投稿があった。日本でも挽き肉か何かを巻いたのが昔あって、ブリトーって呼んでた気がする。そのおばあちゃんのは、手を洗って塩をつけて、生地を握って焼くだけ…らしい。都会と違って生地も手作り、日本で美味しいお米なら塩握りが一番美味しいのと同じだと思う。

 孵った卵と死んだ卵。

例のゴミ一家から侵入してくる鶏の卵だと思う。半分くらいは殻だけ残っていて、残りは卵のままだった。あっち行ったりこっち行ったり、母鶏も忙しいのであろう。


体も頭も座って洗う

2024年04月13日 | 新築

【4/4-10の作業】内壁仕上げ(続き)、屋根2層目(続き)

 

なんかここんとこ、3日に1日くらいしか来ていない気がするが、来るときは大勢で、最初からのメンバー以外の人も来る。よく分からないが、こないだ親方に早く借家から出たいと言っといたのでよしとする。もう工程がほぼ分かるので、いざとなりそうになったらプレッシャーをかける。それまでは好きにしなさい。

 こないだから書いているマシヤの袋。

 混ぜる子たち。

石灰と白セメントを足して内壁用のモルタルにしてるんだが、分量はメキシコ仕事(結構、いい加減)。まぁ、仕上がった壁をパッと見て分からなければよろしい。

 混ぜ残り。よく見ちゃいけません。

 

 中堅は黙々と。

  別の現場から来た作業員たち。

  洗面エリア。

 浴室。

右側の穴の上、ばってんで印をつけてあるところが、ここの普通の「頭から浴びる」シャワーの出る位置。ユカタンでは下にも足を洗う用などと言われている蛇口がある(ばってんの下方、掘ってある部分の上端)。暑いので足だけ洗うってことは我々は滅多にないんだが、ユカタン人はそうするんですかね? 我々は、メリダの借家では掃除用のバケツに水を汲んだりするのに使っていた。

今回は日本の風呂場みたいにするので、座って頭や体を洗う。シャワーは、立って浴びるためにシャワーヘッドをかける金具をしかるべき位置につける。ちなみに混合水栓は、日本のアマゾンで買って海外発送した。親方には前に写真などを見せて説明してあったが、やっぱり忘れていた。

それ、実はちょっと興味深いと思う。普通、自分が知らないことを聞いたら記憶に残って、その工程になったとき詳細を忘れてても「どうだったかな?確かめよう」となると思うんだが、こっちの人たちはすっかり忘れている。Lさんもそうだった。なんというか、ユカタンって僻地だし独立してたし、中央というかメキシコの他の地域との関わりが薄いまま独自路線を歩んできたところなので、よく言えば自己完結可能(経済的にも食料くらいなら自立可能)、悪く言えば井の中の蛙、知ってる世界以外はないに等しいんじゃなかろうか。

 ハンモックを吊るす金具。

左側の壁についているのがそうで、普通というかよくある基本的なのはS字型なんだが、相棒の希望でT字型にした。正面の壁の上の穴はエアコン用。この村では、なんとエアコンがついている店が唯一のコンビニ1軒しかない。こないだあまりの酷暑にどこかへ避難しようかと考えて気づいた。もしかして金持ちの家にはついてるかもしれないが、道から見える程度の家にはついてない。うちでも忘れられてたっぽいが、間に合った。が、どのみち別の現場でも造ったものを壊すのはよく見ている。作業の順番を間違えて多少手間が増えても、どうってことないのであろう。

 土間の明かりとり。

ブロックをずらして積んだだけなので、上と下に開いている穴をモルタルで埋める。でないと、イグアナとかが住み着く。イグアナなら構わないが、ネズミとか害虫は困るので。

  車庫。

こちらは内装用の白っぽくしたマシヤでなく、外壁と同じ、そのままのマシヤ。

 屋根の2層目。

2階の屋根のしずく処理ゴテロが終わってからと言ってたが、なぜか先にやってた。こちらも、人員を動かす関係だと思うので、「上からモルタルが落ちて後からはがす手間が…」とか、もう言わない。好きにしなさいw。


トンプソンごっこ

2024年04月12日 | 設備/外構/庭

チチェン・イツァにもセノーテがある。ツアーでよく「チチェン・イツァとセノーテ」みたいにペアになってるセノーテ・イキルじゃなくて、チチェンの中にある。水が緑色に濁ってて泳げないのでセノーテ観光として魅力がないからか、あまり注目されないが、マヤ文明→生け贄のイメージをつけた遺物が発見された考古学的?に重要なセノーテである。

その遺物を最初に発掘した(底から見つけ出した)のがエドワード・トンプソンという人なんだが、彼の話はとても面白い。最初は櫓から張り出した棒に籠をくくりつけたり、次にボートを浮かべたりクレーンみたいなのを作って吊った籠で浚ったり。そして極め付けがこれ。

 潜った。

空気を送るホースを繋いだ潜水帽を被って。水中ではほとんど見えず、見えても遺物を持ち上げると泥が巻き上がって5分くらい何も見えないとか。とにかく苦労して、装飾品や人骨などを発見した。でも、この写真、手伝わされているマヤ人達が何を考えていたのかにも興味がある。

で、この村に引っ越してきてすぐにうちの敷地内で見つけたミニ・セノーテを、ちょっと掃除してみたんだが、気分はトンプソンだった。まずは地表近くの枯葉と土をどけたんだが、その後がえらい大変。ぐちゃぐちゃに朽ちた枝や葉と、長年かけて割れ落ちた石と、泥。途中、水も一旦抜きながらきれいにしてったんだが、思った通り、結構深い。浚っても浚っても底に達しない。

 2つの穴は地下で繋がってた。

 ここまでで数時間。

だんだん水の濁りが減ってきたが、ただのカメ穴と違って1回では終わらなかった。また別の日に続ける。

 骨と歯。

チチェンと違っておそらく牛の。

 心臓石と名付けた。

木の根が化石になって血管みたいで気持ち悪い。ちなみに、今でも生け贄を捧げて儀式を…という説に反対する学者はいる。縁から覗いてて落ちた/落としたんだろと言うマヤ人もいるw。

 

 小道作り。

隣のゴミ一家との間のブロック塀造りで出た岩の位置を変えて、ブロック塀沿いに遊歩道を作る(一番奥から並べ始めたの、見えるでしょうか)。資金全体が岩ゴロゴロで木もいっぱい植わってるので、歩き回りやすいように。あと、掘り出した岩も、道側まで運ぶには重いし大量だし、処理にも困るので。

 

 ヒルベルトの機械。

劇重。正確にはヒルベルトが手伝ってる農園のものらしいが、なぜかずっと置きっ放しで、置いた当時は彼らの敷地内だったが、今は我が家の中。置いてあるのは構わないんだが、立て掛けてあるのが苦いオレンジの木で、機械の重さで枝が傷んでいる。どうにかしたいと思ってたところ、ヒルベルトと親方(友達同士)で動かすことにしたらしい。

5人がかり。

1トンくらいだと思う。これの他にもやっぱりすごく重そうなパーツが3つ、ヒルベルトんちの庭に転がっている。何に使うのか、説明を聞いてもよくわからない。引っ越して余裕ができたら、持ってる「山」とか農地をを見学させてもらいたいと思っている。


マヤ式浄化槽 ①

2024年04月10日 | 設備/外構/庭

掘り作業3日目。

 

 この深さ。

彼らの身長より少し浅いくらいだったのが、朝の2時間ほどでここまで進んだ。そろそろ掘った岩(ドリルを使ってるので粉状)を地上にあげるのが大変そうになってきた。

  櫓を組んだ。

脇で、水を汲んだりモルタル混ぜたりコンクリ運んだりと何にでも使うペンキが入っていたバケツ(20リットル)の持ち手部分の補強を始めたが、掘る方が先と判断して半分くらいでやめた。滑車なども後日。

  

  縁を岩とモルタルで固める。

基礎工事と似た感じで、表の面をきっちり揃えてるんだが、基礎とは違って形成する形に合わせるのでなく、上から下まで縦穴が同じ直径になるように岩を選ぶ。つまり大きな岩がごそっと取れてるところは穴が広がってる状態で、そういう位置には大きい岩、岩が張り出してる位置には小さめの岩を積む。

 排水管を刺しておく。

 やっぱり岩とモルタルで。

 縁の部分、ほぼ完成。

これで崩れなくなったので、明日からガンガン掘る。それにしても、海辺とずいぶん違って興味深い。海辺は砂地なので、シャベルで比較的簡単に掘れるが崩れてきやすい。それを何とかして、壁面はブロック(こちらの記事の後半)。手掘りだから丸い方が楽なんだが、あちらには岩がない。こっちは掘るのは大変だが、岩はどこにでも転がっている。

当たり前のように岩とモルタルで固め始めて、なるほどなぁと思った。ピラミッドの時代から、岩を積み続けているのである。彼らが昔からの方法で積み続けていたとき、日本ではまっすぐな木材を求めて鉋を改良したりヒノキやスギを育種したりしてたのか…。


市制105周年記念祭り

2024年04月09日 | ユカタン諸々

引っ越してきてからやたらイベント続きなんだが、セマナ・サンタが終わったと思ったらまた祭り、今度は市制105周年を祝うんだという。ちなみに村だ村だと書いてるが、規模的にそう呼びたいだけで実は市です。

メキシコ革命(1910-1917)による出来事はユカタンでは少し遅れてて、あれこれ変わったのに乗じて1919年にテカシュ市から独立した。テカシュもここでは隣村と呼んでるが、前の記事で書いたシウ王の頃から地域として認識されていて、1809年には当時の行政区のひとつに定められた。そのテカシュから独立して105年。

 村役場のお知らせ(FB)。

こういうイベントでは定番の、コンサート・民族舞踊・コメディーショーなどのプログラムをFBに投稿していた。

  当日はこんな感じ。

行ってないんで、これは役場のライブからの画像。なぜ行かないかというと、とにかく始まるのが遅いのである。日本人の年寄りは寝る時間。

 闘鶏も。

これを見る限り、賭けられるらしい。賭け以前に都会なら動物愛護系に叩かれそうだが、僻地なんで気にしない。

 

まずは、市役所で古い写真を展示しているとFBで読んでいたので、そちらに行ってみたら、少しだけだが展示物もあった。別の祭りのとき農産物を展示してあったエリア。

  枡。

左のは1キロのトウモロコシ、右のは枡とは言わないか、45キロ分。今は、ユカタン民族舞踊で3.5キロの枡をタップの台として使う曲?がある。こういうの

 ランプ。

右のは「中国上海」の刻印があった。左のは庶民が手作りしていたもの。

  古代の遺物。

この村には名もない遺跡しかない。そこで出たとは思えないんだが、役場で大事に保存してるんだからこの村で出たんであろう。

  写真いろいろ。飾り方が雑w。

 興味深かったのがこれ。

上が村民に樽で水を配っていた頃の写真で、下がポンプを使い出すまで使われていた給水塔。どちらも、教会の地下にあるセノーテから汲んでいたという。セノーテといっても観光客がいくようなのではなくて、汲めるスペースだけ開いている地下洞窟って感じだと思う。マニ村(こちらも歴史上重要な村)のセノーテまで繋がっていて、カスタ戦争のときにはトンネル状態の洞窟を抜けてマニまで逃げた。

…などなどの話を、警備に当たっていた警官が教えてくれた。この村出身の婦人警官(おばさん)。すごくためになった。ありがとう。

  メキシコ犬と猪。

メキシコ犬というか、名前は知らないが毛が生えてないメキシコ原産の犬。ユカタンとは関係ない。猪はユカタンの種類でとっても小さい。メリダの動物園にもいっぱいいた。食料。

 

以下、昼間に行ってみたところ。小さい村なんで歩いても大した距離じゃないんだが、今の暑さでは無理なので車で移動した。

 改造車&改造バイクのエキスポ。

  コンテスト参加の改造車。

ほとんどがデコステッカーを貼って改造スピーカーを積んだって感じだった。中に少しだけマフラーとスポイラーまでいじっている車もあった。かわいい改造。だが、さすが音楽命のメキシコだけあって、スピーカーはみんなごっついやつで、照明と連動させたりして結構力が入っていた。

 ドラゴンボール飾りのバイク。

 なんだかよくわからない自転車。

 

 競馬。

騎手の帽子を被っているから、カウボーイ技術じゃなくて普通に走るんだろうと思って行ってみた。上に書いた改造車エキスポのコンテストが朝7時の時間通りに始まったと聞いていたのでプログラムに書いてあった2時に行ってみたら、こちらはメキシコ時間だった。ゲートが開くどころか、あと数時間は始まらなそうで、ちらほらと参加者?が集まってきて馬を降ろしたりおしゃべりしたりBBQしたり…という状態。

 集まりつつある人たち。

大体が馬主。村の競馬ってちょっと見たかったんだが、酷暑の中待つのは勘弁なので家に帰った。来年、2時間遅れで行ってみる。

  ゲートと馬場。

ゲートは手動で開けるんだと思う。

 

まぁ、とにかく暑すぎて、夜にならないと(村人にとっての)メインイベントが始まらないのも納得する。地元の祭りなんてのは地元民じゃなきゃどこで何やってるかよく分からないもんなので、来年以降に期待する。


選挙運動

2024年04月08日 | ユカタン諸々

夕方暗くなった頃、遠くの方からマーチングバンドみたいな音楽が聞こえてきた。家庭で音楽ガンガン!というのは別に珍しいことじゃないが、なんか雰囲気が違う。そしたら15分後くらいから、あれよあれよと音が大きくなり、借家の目の前が大騒ぎっぽくなった。

 正体はこれ。

現市長の選挙運動行進だった。うちから右のほうを見た写真。後ろの方までずっと続いている。

 先頭。

こちらはうちから左方向を撮った写真。ずっと先まで続いている。行列の構成は、① 大スピーカーを積んだバイク集団 と、② 子供も含めた「住民に手を振ったり声をかけたり旗を振ったりする徒歩集団 と、③ 候補者やその家族や知事選に出る候補の看板人形などを載せたトゥクトゥクの第3集団。行列の長さが全部で500メートルくらいあるという大パレードである。

 大騒ぎの原因。

その少し前から、お向かいさんちの玄関先でおばさんたちが集まって井戸端会議をしていた。しょっちゅうそうしているので、たまたまなのか、行進を待っていたのかは不明だが、まあ、数人集まっていた。それから、隣の家がアル中か何かのリハビリ施設(個人がやってる)なんだが、金曜の夜で人が結構出入りしていた。比較的人が多いエリアだということで、徒歩集団がうちの目の前で止まって、声かけやプレゼント配りを始めたのである。

顔を出して見物してたら声をかけられたが、ガイジンで選挙権ないからと言ってプレゼントは断った。本当のところは、現市長はわたしの嫌いな労働党所属なため。ノベルティTシャツって作業着に便利なんだが、アカみたいで嫌なので着たくない。それはともかく、選挙権がないと言われてプレゼントを引っ込めるというのは、逆に言えば「物で票を買ってます」と宣言しているようなものじゃないかと思うが、メキシコの選挙法をよく知らないので、別に構わないのかもしれない。ダメだとしても、田舎なんでテキトーなのであろう。

この村では役場主催とか宗教的な行事とか、やたらイベントが多い。田舎で娯楽がないからだと思うが、この選挙運動行進も、はっきり言ってそれと変わらない。実際、井戸端会議をしていたおばさんの1人は「今の市長はいろいろ汚職をしているからもう投票しない」と話していた。

よく、ブロック造の家や塀に政党のロゴなどがペンキで描いてあったり、庭木に立候補者のビニール看板を吊るしてあったりする。

 (追記:写真撮ってきた)

丸いのが政党のロゴ。

政治に高い関心があるわけじゃなくて、広告スペースを提供していくらか稼ぐのである。中には、ライバル同士の候補者のビニール看板を両方吊るしてあったり、一つのロゴの上にバッテンして別の党のロゴが描いてあったり、下手すると与野党のロゴがずらりと全部描いてあったりする。写真の2つは大統領選で連立を組んでる政党のロゴなので、特に問題はなさそう。おそらく、白地の部分のペンキ代も党から出ている。

 その市長率いる市役所の仕事。

道端の草刈りと、ブロワーを使ってのゴミ集め。終わって数時間はきれいだったが、残念ながら刈り取った草も集めたゴミもそのまま。なので、翌日にはうちの前には枯れ草と集めたところから飛んできたゴミでひどいことになった。ちなみに現場(完成したら住む家)の前は、我々が鬼のようにゴミ拾いするのできれい。向かいの家もたまたま綺麗好きなのか、そこそこきれい。住み始めたらヒルベルトの家の前とか、そのへんの近所とかもゴミ拾いするかもしれない(様子を見ながら)。なにしろ住み始めた当時の海辺の村のように「捨てていくのは観光客だけ」でなく、住民自身が捨てているのである。量が違う。まぁ、この村役場土木課の仕事も、やるだけマシというか、だんだん変わっていくための一歩なのか。。。

 

天井につける扇風機を買いに、久しぶりにメリダに行った。

 ユカタンの旗。

大きなショッピングセンターの近くに国旗掲揚のスペースがあるが、ここんとこ、メキシコの国旗よりユカタンの旗が揚がっていることの方が多い(FBに写真を上げる人が多いので分かる)。

 州知事候補のポスター。

ユカタンでは伝統的に、今メキシコ中でウケている現大統領の政党でなく、今の州知事・メリダ市長・プログレソ市長・隣村の市長などが所属している党が強いが(強いから主要都市で勝ったんだが)、その政党はユカタン色を強く押し出している。この候補もそうでRENANさんというんだが、Eのところがユカタンの旗。選挙を前にして、「中央」より「ユカタン」がウケると見ているんだと思う。

ーーー

 マヤパン遺跡の入り口。

マヤパンはチチェン・イツァへの反乱に成功して13世紀に新しく作られた都市で、古代文明的な魅力には欠けるが、代わりにマヤが細かい国家に分かれて戦国時代に突入するきっかけを作った、歴史的には重要な遺跡。王家の末裔である何代目かの王様は、たまにマヤ文化に関する記事などで紹介される。シウ家。これからも何代も続く(今はただのマヤ人だけど)。

で、そのマヤパン遺跡は、昨年末から地元のエヒードともめて閉鎖中だったんだが、入り口の前を通ったらまだこの様子。エヒードの構成員が設置したバリケードが置きっぱなし。昨年末から6千人もの観光客を逃したというレポートが、数日前にも出ていた。自分たちの聖なる遺産とその周辺なんだから、地元の人は中央政府や州政府が勝手にするのは許せない。メキシコの遺産でいいが、その利用方法を決めるときに地元民の要望をきちんと入れてほしい、権利でもあると考えている。チチェン・イツァでも、マヤ電車ができて露天商が追い出されるという問題でもめているが、土産物を売るという経済的な目的もその理由だが、それだけではない人もいる。

 その近くの道路標識。

マヤパン に関係ないが、マヤパン遺跡の下に書かれている村の名前。シュカンチャカンという。高速で通り過ぎると絶対に読めない。読めると今度はスチャラカみたいでおかしい。

 こちらはマニ村への入り口。

ユカタンの桜、マクリスがほぼ満開。


電気引き込み

2024年04月06日 | 設備/外構/庭

引き込みのために来た電気公社に、隣のヒルベルトの敷地との間に塀がないと文句をつけられて作ったのがこちらのフェンス。それが、公社の訪問に備えてうちの外壁まで伸ばしてあった。

 いかにも臨時設置物。

来たのは前回とは違う二人組で、難なく工事開始。

 ちゃんとした作業員。

海辺の村では新築ラッシュもあって、委託業者のおっちゃんが素人でも持ってそうな道具を使って作業していたが、こちらは公社の正規の作業員、さすがに道具装備服装すべてしっかりしている。

 道沿いの公社の線から

 うちの引き込み柱へ。

 メーターもついた。

ほんの15分ほどで完了。めでたしめでたし。

…なのに親方が、ひとり100ペソずつ渡せと言ってきた。200ペソくらいどうってことないが、親方の説明の賄賂という言葉が気に入らない。何かあっても連邦の公社には歯向けない…は分かる。賄賂が物を言う国だ…も分かる。が、うまくいったときに「賄賂を」わざわざ渡すというのは気に入らない。第一、メキシコ国民ってのは政治家や資本家や金持ちの汚職がどうとか、いっつも怒っているではないか。ここは日本人なんで、賄賂でなく寸志として渡す。のし袋とかないんで結果は同じだけど。

 

  裏庭の遊歩道。

石だけで作ってたが、敷地のあちこちにある「以前ヒルベルトが牛を繋いでおくために作った漆喰製の台座」の漆喰…というかボロボロと崩れかけた石灰の塊の処分に困るので、その塊を一旦砕いて粉にして、石の間に詰め始めた。水で固めるので、練って打ってからその上に石を並べてもいいんだが、もう石の道を作ってあって面倒なので。写真の右手前の白っぽいところが、その牛用台座。こういうのがあと2ヶ所ある。餌とか糞とかああとかが目的だと思う(よくわからない)。

 ここまで。先は長い。

  相棒の担当エリア。

何やらちまちまと石を避けたりラハの土を掻き出したり大きな岩を移動させたりしていたが、なんとなく庭っぽくなってきた。とにかく庭いじりは大変。ひとつは、これまでも草ボーボーなどと書いてきたが、実は草でなく全部「育てば大きくなる木の芽やそれより少し育った苗木」なのである。地面からの高さほんの30センチほどで、固い根っこが深〜く育っている。あとは昔切り倒した切り株から出るひこばえも半端ない。

 地層的にも大変。

地表に少しだけ土が埋まった層(右上の黒い部分)があり、その下は大きい岩(左の白い部分)か、巨大なラハ(その右からぐるりと)がある。苗木の根っこでさえその隙間やもろくなっている岩を割りながら伸びている。強くて簡単には抜けないはずである。

 隣のゴミ屋敷との間の塀。

塀はいいんだが、塀を作るために崩したり掘り出したりした岩が、そのままになっている。これをどうするか、考え中。逆側や道側の石塀に使うとなると移動距離が大変(新規に搬入してもらった方がラク)だし、かといって置いとくわけにもいかないし。

 マンゴー。

うちの敷地にもともと生えていた大きなマンゴーの木に、ひとつ実がなっているのを発見した。この木のマンゴーが美味しいのか、落ちた実から育った(生産用のタネから育てていない)木なのか分からない。ぜひ食べてみたいが、高さゆうに10メートルほど、おそらく落ちてぐちゃぐちゃになってしまう。やっぱり現場のみんなが言うように、食べる用の木は改めて植えて、水やりをしたり枝を切ったりしながら、かつ収穫しやすいようにちゃんと育てたほうがよさそう。来年から食べられると言うわけにはいかないが、この辺の木は成長が早いので物によっては3年から5年で収穫できるらしい。

 ひよこ6匹。

ゴミ屋敷からブロック塀を超えてくる番いの一つの子供らしい。

 ヒルベルトの牛。

…に、これ食うか?といろいろ与えてみてる相棒。その姿を、ヒルベルトたちが留守なとき牛と鶏の世話をしに来る親戚達が、「ニホンジンが面倒を見ている」と誤解したらしい。すみません。


ペチペチの次

2024年04月04日 | 新築

【4/2, 3の作業】浄化槽(続き)、床下充填(続き)、内壁仕上げ

 

セマナ・サンタ突入で、3月末はほとんど作業なし。

 しずく処理完成。

 床下もほぼ。

 浄化槽は少しずつ。

 先は長い。

 

 内壁2層目。

先日書いたように、普通のモルタルは一層のみで、2層目にこのマシヤを塗って完成する。こちらはコテでモルタルを投げつけるペチペチではなくて、左官の見慣れた動作。

暑さ対策で海辺の家のようにガンガン窓を作らなかったし庇もあるので、マシヤに石灰と白セメントを混ぜて、ちょっと明るくする。ちなみにマヤ人の家は、マヤの家もブロック造の家も、屋内が結構暗い。やっぱり開口部が少ないのと、暗さを気にしないというか、マヤの家だと、窓がなくて入り口と奥の出口だけ。ブロック造でも、ただでさえマシヤはグレーがかった色なんだが、そのままにするか、さらに濃い目の色で壁を塗る人が多い。昼間、涼しく感じるといえばそうかもしれないが、海辺の家の、公民館のように広々と明るかったスペースが気持ちよかったし、外に出たら暑いんで涼しい屋内で快適に過ごしたい。昼間は穴蔵…ってのはちょっと。。。

 硬いスポンジで擦る。

最初に、大きな板のコテで塗りつけて、その後硬いスポンジのコテでグラインドをかける。板のコテの跡は比較的滑らかで、硬いスポンジでは1ミリくらいの深さ・幅で凸凹の擦り跡ができる。滑らかなほうがいいんだが、スポンジで擦らないとひびが入りやすい。その辺は道具と技術でどうにかしてほしいが、そういうことを求めてはいけません。滑らかにしたかったら、エポキシ系とか全く別な仕上げにしなければならない。まぁ、ここのマシヤ仕上げも、人によっては塗り壁らしくて好きかもしれない。