図書館で借りてきて、ぱらぱら読んでみると、いいことが語られていました。(くりかえしになりますが、僕は小説に疎くて、藤沢周平の小説を読んだこともありません。でも、たくさんの人たちが上手く咀嚼して語ってくれています。)
近ごろは、多少マトがはずれてても、こういった説教を、一杯やりながら、とつとつとたれてくれるような人がいなくなったように思います。
<佐高 信/評論家>
・私は円熟という言葉が嫌いで、“角熟”をめざせと言ってます。歳を重ねることは、ただ丸くなればいいというものではない。カドがとれずに熟すべきじゃないかということです。
・純粋に生きるとか、大人になるということは、表面的なことではない。ある種のあきらめや哀しみを湛えつつ、失わないものを持ち続けることができるかということだと思います。そして、純粋性や信念を貫くのであれば、現実の中で、ある程度の妥協や後退は即敗北ではない、ということを知っていることです。完全勝利みたいなものはないのです。すごすごと退散するような薄っぺらな理想主義を掲げるのではなくて、たとえ連戦連敗でも、失ってはならないものがある。
・濁りの中に身を置いて、それでも失ってはならないものは何かを考える。そして気づくのですね。世の中の多くの人たちは、濁ったそれぞれの場所で、それぞれにもがいているんだということを。
<田中優子/法政大学教授、江戸文化研究者>
・自分を優先させずに、しかし、しっかりと自分自身を生きている人々の世界を藤沢周平はきちんと書いている。
・現代人は、自分の感情を重大なものだと思い込み、そこに価値を置き過ぎている。格差社会が進んでいくなかでは、うまく感情をコントロールできないと、敗北感にとらわれたり、人々の中にルサンチマンが情勢されることになりかねません。
・自分の感情なんて本当はどうでもいいことなんです。生活するなかで、人間には決着がつかない感情なんていくらでもあります。どんな現実でも感情でも、拒否しないで受け入れてもいいでしょうし、無視してもよい。忘れるという方法もあります。いちいちすべてを解決する必要はないわけです。
<山田 洋次/映画監督>
・高学歴とか高収入とか勝ち組、負け組といった安っぽい価値観が横行するようになってしまっています。競争一辺倒の安っぽい価値観が支配するなか、バランスの取れた良識を持つ大人が少なくなった。
・「価値観の多様化」は聞こえのいい言葉ですが、じつは価値観など不要、もう何でもありの世の中なんだ、ということになってしまったように思えてなりません。
<山本一力/作家>
・これだけあればいいという、自分なりの満足の器をちゃんと持っていれば、あれが足りない、これが足りないと嘆くこともないでしょう。何でもかんでも欲しがる人が多すぎる。しかもそれは自分の尺度から出る欲求ではなくて、他人や世間と比べてどうなのか、というバカバカしい尺度だったりする。他人の尺度、世間の尺度に振り回された、馬鹿げた判断ですよ。オレにはこれだけあればいいという満足の器があれば、モノや金に飢えることもない。それを作品や生き方で示してきたのが藤沢さんであり池波さんなんです。そこを学べばいいんだと思うよ。
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