昨夜の雨が残っていたので、今日はウォーキングはやめようと思っていたが、公園はどうかなということになった。近いのに雨の日には行ったことがない。
さすが休日、駐車場も道も空いていてすぐについた。
雨の散歩もいいもので、木々も瑞々しい、遠い木の上で山鳩が鳴いていた。思い出したように早起きのつくつくぼうしが調子はずれで鳴き出した。
歩きながら息子はこの山鳩の声が好きでないといった。
私も、なにかうら寂しい、ホーホーというすこし高低のある単調な声を聞くと。田舎の山を思い出す。

立秋の声を聞いた後、こんな小雨に日は、もう夏が終わったのかなと感じる。真夏には猛々しいほど大きな向日葵も枯れ始めている。
最近の大きな向日葵は、広い土地に見渡す限り咲いているのもいい上に入道雲がむくむくと。
夏の終わりの一齣を今年の写真に残す。

平凡なダリアも、最近は改良が進んで華麗で大きく豪華な形に変わってきた。
こういった素朴な花に出会うと嬉しい。

公園の散歩道にはちょっとした工夫が凝らしてあってr楽しい。

「カヤツリグサ」 茎を両方から裂いていくと四角い升型ができる。もうこんな遊びを覚えている人も少なくなってきた。

子供時代に咲いていた田舎の庭を思い出す「センニチコウ」

「シロタエヒマワリ」 小ぶりで葉がビロードような白い毛で覆われている。初めて見たときは、車から降りて監察した。
花も小ぶりで、枝分かれした先にたくさん咲いて美しい。この小さい向日葵は何気ない畑の片隅などで咲いているのを見かける。
夕方、何気なくドラマ見ていた。ちょっと変わり者の主人公が、お人よしの親友と話していた。友達は彼の優秀な頭脳と、自覚はしていないがどこか心の奥にある壊れやすい気持ちに気がついている。本人はいたってマイペース、プライドが高く、たまには冷酷に自分を頼みにして生き抜いてきた。仕事に関しては、相手の弱点や機微にも敏感である。
成功者だとはいえ友人はまだ先が長い彼の人生がすこし心配で、一言言う
「きみは自分にも周りにも余りに無頓着だ」
彼はそれに気づくときがくる。ドラマなので(こううまくはいかないものだが)
話の通じない人は宇宙人だと思って、距離を置いてきたが、自分がそうだったのかもしれない。じわじわと人間の仲間入りをして来て気がついたこと。
テレビをつけると飛び込んできた「無頓着」
判断力は別として、「無頓着」だった頃は幸せだったような気もする。
「ムーミン」のアニメで、ムーミンがどこにいても誰かに見られているような気がする、とムーニンママに訴えると、ママはあの声で「ムーミンも大人になったんですよ」
という。
ムーミンがそれで納得したのかどうか忘れたが、誰かに見られている、まわりの想いに気がつくことが大人になることかと思ったのだが。
トーベ・ヤンソンさんは深い、「ムーミン」はこうしてすこしずつ大人になっていくのだな。