日本史の中で敢然と輝く「悪人」のイメージに
田沼意次ってのは皆様にはありませんか?
それ賄賂のことでしょ?利権政治とか?
なんか「イヒヒヒッ」って声のイメージをもっていたりしませんか?それ悪代官じゃん!って思いますが。
でも本当にそうなのかって思いませんか?
こんな分かり易い悪人像って何だか作られた気がしません?
時代背景とともに、江戸時代の改革ってやつは的を得たものが多い中、最終的には失敗に終ったものが沢山あります。資本主義・貨幣経済が進化していく流れの中で緊縮財政ってのが主流です。華美を禁じたり、歌舞伎を虐げたり。。。。中には懐古的な政策がない訳ではありませんが、改革は繰り返し繰り返し行われていきます。田沼意次だってやっていますが、その手法はどうもアプローチが逆の印象です。
株仲間の結成は、上納金を納める・今でいうところの談合、カルテルという不法取引を意味する辺りがでしょうかね。悪い印象を与えるのは。今では物価の異常な高止まり、不当な利益形態を懸念してカルテルは独占禁止法で違法です。でも需要量が一定な物品においては既存の組織の効率化がもっとも経済効果が高いとかってありません?
まぁ日本の中だけですので、不当な利益の確保というより適正な価格の維持に株仲間が機能したのではないかとも思うんです。(もちろん新規参入の障壁ということがもたらす不経済もあるでしょうけど)
重商主義がもたらす効果の帰結は分かり易い。要するに財政収入の改善です。まさにこの上納金って、払い方は判りませんが前払い税金もしくは定額税金じゃないでしょうか?年貢に並ぶ商業界からの税収入の確立です。
どうしてもまず倹約じゃないと不誠実な感じがするのかも知れませんね、我々日本人には。。。
まぁいいです。
他にもあるんですよ、この人。
・予算制度の導入
・一方で大奥・将軍予算の削減
・御用金制度の見直し〈失敗 天領からの収入以外に日本を治める将軍家に対して諸藩からも税徴収の確立をしようとした)
・飢饉対応 (失敗 飢饉に瀕した東北への米の売り惜しみを防止しようとした)
・貨幣の統一(失敗)
・印旛沼・手賀沼の干拓(失敗)
・蝦夷地の開拓(失脚により失敗)
・平賀源内との交流(これは余談です)
・ロシアとの貿易
歴史はトライ・アンド・エラーの連続です。時代にマッチしたことも永遠は有り得ない。時にはショック療法もあれば見せしめ的な政策もある。総花的なこともあって機能すればそれこそハッピー。田沼意次の政策にはその片鱗が見受けられるのです。アイデアも考え詰めた証が見えますし、速攻性を求めた対処療法に対向するある種の思想をまとった漢方療法の様な印象なのです。
よく聞く成功した"藩政"改革では特産品の強化(今で言うところの地鶏)とかってのがよくありますが、日本全体を治めているとそれは効きませんよね?自分のところだけ良ければいいというものではなく、全体で底上げをする手法が必要だったのです。しかも鎖国中。
田沼の改革の基本は一次産業の拡大と安定と未開拓地の開拓、発展し続ける商業界との連携と永続的な関係の構築、貿易の拡充、そして国民からの支持です。
ましてや江戸幕府は長期に及ぶ単独政権のようなもの。いつどのようなクーデターが起こるとも知れない事態の芽を摘み続ける宿命を負い、一次産業から来る絶対的な富を効率よく遍く国民に分配し、幕府がその最大の富を受けるようにする。
”仕組みそのもの”が全てなので時代背景にも合わせていく必要があったはずです。
まぁ国家運営ですもの色々あります。時には天変地異という起こって欲しくもないこととも向き合っていかなくてはならない。そして"士"という身分の人種の食い扶持を支えるということは江戸時代の永遠の課題でもあったことでしょう。
法律や文化、善悪の判断、生活習慣や商習慣に倫理感などは時と共に変化します。経済なんてのはその最たるものです。
今の歴史の教科書からそれらを含めて起こった事象を汲み取れるのか非常に疑問なのです。
そこはそれ人一人分の歴史ですから、「竜馬がいく」並の文量で田沼意次の小説ってのはないものですかね?
皆さんもこの人物の歴史を見直してみませんか?
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☆ゴールデンウィークからこの記事を草稿し続けてきました。