もっと論評めいたものが来るとばかり思っていた。。。。
詩とはなにか 世界を凍らせる言葉 吉本隆明著 詩の森文庫 が職場の近くの図書館に回送されて受け取ってきた。
初めがイカしていて、政治批評を書いているときには詩作から遠ざかっていた…というのである。
詩作なんてことが日常にない自分には(もちろん政治批評もない)その魂の在り処に一瞬興味が沸く。
で、詩作している時に立っている自身の位置(ポジション)やらを論じつつ、放つ言葉とそれを書く自分とがどういう関係にあるかを探るような出だしだった。
詩を書いてるときは、現実と妄想の中で妄想に依拠し、放つ言葉は現実には言えない本当のことを吐き出す…らしい。
なので、政治批評で本当のことを吐き出していた…だから詩作せずとも済んだ...
他の作家の詩評を眺め始めた辺で、興味が薄れてしまい、目次に戻って -なぜ書くか-
というページに飛んだ。<飽きっぽい!>
職業として<書いている>自分が日常の風景の中で、話してる人達の会話が異質に思え、いやいかんと思って、舞い戻る。すると<書いている自分>が遠くなる。
なぜ書くのか?の自問は、書かないという分野に対する抗する形で発露していく…。(すいません。端折ってます…)
ここでいきなり夭折(若くして亡くなった)作家に対する憧れの話になる。
これは、吉本氏の結果論的な持論なんだろうけど、あのまま生きていたら時間をかけて普通の作家に戻ってきただろうと論を展開する。
芥川龍之介も中原中也も。。。。
で、生きている自分はなぜ書いているのか?を、どんな未来を想定して書いているのか?という問いに移り、少なくとも自分には見えた(見つけることができる)活路を示すように書いている…のだ…と。
で、自分自身にとって書くとは、生活と同じように<行っていくもの>だという風に締め括られる…。
自分の職業を正当化するって大変ですね。
原稿を渡す作業があり、実際それで生活している自分もいる。
で、その渡す原稿の中で足掻く。
そんな足掻いているようにも感じられて、市井の人である私から見たら、悩みが高次元過ぎちゃって、よくわからない。。。
こうやって一旦ここに<書いて>沈め、実際の詩やほかの本を読む方にいくことにした。
評論って読むの本当に大変ですね。昔小林秀雄を読んでなんとなしに遠ざかった感覚が甦ってしまった。ふぅぅ。
早々に返却します。
また興味が沸いたら、借りようかな?
んんん嘘っぽい?
詩とはなにか 世界を凍らせる言葉 吉本隆明著 詩の森文庫 が職場の近くの図書館に回送されて受け取ってきた。
初めがイカしていて、政治批評を書いているときには詩作から遠ざかっていた…というのである。
詩作なんてことが日常にない自分には(もちろん政治批評もない)その魂の在り処に一瞬興味が沸く。
で、詩作している時に立っている自身の位置(ポジション)やらを論じつつ、放つ言葉とそれを書く自分とがどういう関係にあるかを探るような出だしだった。
詩を書いてるときは、現実と妄想の中で妄想に依拠し、放つ言葉は現実には言えない本当のことを吐き出す…らしい。
なので、政治批評で本当のことを吐き出していた…だから詩作せずとも済んだ...
他の作家の詩評を眺め始めた辺で、興味が薄れてしまい、目次に戻って -なぜ書くか-
というページに飛んだ。<飽きっぽい!>
職業として<書いている>自分が日常の風景の中で、話してる人達の会話が異質に思え、いやいかんと思って、舞い戻る。すると<書いている自分>が遠くなる。
なぜ書くのか?の自問は、書かないという分野に対する抗する形で発露していく…。(すいません。端折ってます…)
ここでいきなり夭折(若くして亡くなった)作家に対する憧れの話になる。
これは、吉本氏の結果論的な持論なんだろうけど、あのまま生きていたら時間をかけて普通の作家に戻ってきただろうと論を展開する。
芥川龍之介も中原中也も。。。。
で、生きている自分はなぜ書いているのか?を、どんな未来を想定して書いているのか?という問いに移り、少なくとも自分には見えた(見つけることができる)活路を示すように書いている…のだ…と。
で、自分自身にとって書くとは、生活と同じように<行っていくもの>だという風に締め括られる…。
自分の職業を正当化するって大変ですね。
原稿を渡す作業があり、実際それで生活している自分もいる。
で、その渡す原稿の中で足掻く。
そんな足掻いているようにも感じられて、市井の人である私から見たら、悩みが高次元過ぎちゃって、よくわからない。。。
こうやって一旦ここに<書いて>沈め、実際の詩やほかの本を読む方にいくことにした。
評論って読むの本当に大変ですね。昔小林秀雄を読んでなんとなしに遠ざかった感覚が甦ってしまった。ふぅぅ。
早々に返却します。
また興味が沸いたら、借りようかな?
んんん嘘っぽい?