amazonに予約しておいたら、今朝届いた「あまちゃんの完全シナリオ集」の1部と2部。
シナリオを読むなんて、ふぞろいの林檎たちⅠとⅡ以来だ。
今3週目に入ったが、実は少しだけ違和感がある。
読んで、解釈して、表現して、演出して出来上がったはずのドラマと少しだけ肌触りが違うのだ。
夏ばっぱ、春子、正宗さん、かつ枝さん、安部ちゃん、弥生さん、美鈴さん、長内さん、今野さん、大吉つぁん、吉田くん、菅原さん、ユイちゃん、ストーブさんは確実にキャスティングされた人が頭に浮かぶ。
いかにも「この人に云ってもらいたい」という感じでセリフが出来ているのだが、どうも「アキ」だけが少しだけ字で見ると違和感がある。能年玲奈版の天野アキが如何にもじっくりと後で推敲された上で出来上がったんだろうと。もっとこうした方がいい、もしくは能年玲奈の素のままの方が合うという辺りで再考されて出来上がっているんではないか?とさえ思えてくる。少しだけ台詞のトーンが文字で見ると違って見える、不思議なんだけど。(もしかしたら後では当たり前のアキの訛りが標準語になっている部分が違和感かも)
このシナリオはいつ書かれたのだろう?
オーディションで選ばれた時よりも前に、周りのキャスティングだけは先行して決まっていたというのであれば、実に納得の行くもの。
話が進むに従って、後で決まったキャストの出来栄えから台詞が膨らんでいったかも知れないと思うと、この感じが変化する場所はどこだろうと思わずにはいられない。
本当に活字飢えが激しかった。
数週間、ひっきりなしに対応に次ぐ対応と、呆れるような事情に次ぐ事情と対峙し続けるという体験が私に齎したものは、
恐ろしいぐらいの冷めた心だ。活字を読んでもいいのだろうかという状況、心を休ませても構わないのだろうか?という精神状態、その周辺で呑気に起こる人任せな現実と、卑怯な心根、卑劣な振る舞い、開き直りとしか思えない態度、意図的な嫌がらせまでを浴び続けて、とうとう自分自身が変わってしまった。
だから飢えていた読書への渇きで、読み始めると読み終わるまでが普段より1.5倍ほど早い。
その精神状態を支えてくれたのが、何度も見直した「あまちゃん」だったから、録画が残っていない前半の前半の話は「おぉおぉ」という頭をヘッドバンキング並みに頷きまくる思い出の場面の連続だ。
現実の世界では…
今や簡単に周辺の人の感情や精神状態さえも見透かしてしまう。見透かしているというより呆れているのだろう。
プレゼンや戯言、聞こえよがしなんてレベルのものは、その発言している人間の心根までも透かして見せてしまうほどだ。いや呆れているだけなのだろう。
取り返しのつかないような心境に立ってしまった。人にたかを括るという事態が自分の中に出現するなんて以前は思いもしなかったが、有り得るのだ。とうとうという言葉がピッタリかも。事態そのものを知らないということではなく、自分の身に起こることだとは思わなかったし、思いたくもなかった。まさかの事態…かな?
(この後採りうる行動を書き連ねたけど、一旦省く。)
アキが海女になるというの春子が止める場面。
春子:甘くないんだよ。本当に。だから(安部ちゃん以降)24年間誰もやってなかったの!水冷たいし、波で流されたり、岩に体ごと打ち付けられて怪我したり、溺れたり…。。。
アキ:分かってる
春子;分かってない!
アキ:分かってないよ!だってやってみなきゃ分かんないじゃん!だからやるの!
春子:いい事なんか、ひとつも…
アキ:それもやってみなきゃ分かんない!
春子:参ったな。どうしよ。
この熱さが懐かしい。(ここのアキの台詞って訛ってないんだっけ?やっぱり違和感がそこかも)
シナリオを読んで癒されようとか思っていたのだが、読んでいると頭が冴えてしまうのだ。というかまだ精神状態がハイレベルでの緊張感を保ったままなのだろう。
行動あるのみ。前進あるのみ。ただ、目だけはすっかり冷めに冷めてしまった感じ。
シナリオを読むなんて、ふぞろいの林檎たちⅠとⅡ以来だ。
今3週目に入ったが、実は少しだけ違和感がある。
読んで、解釈して、表現して、演出して出来上がったはずのドラマと少しだけ肌触りが違うのだ。
夏ばっぱ、春子、正宗さん、かつ枝さん、安部ちゃん、弥生さん、美鈴さん、長内さん、今野さん、大吉つぁん、吉田くん、菅原さん、ユイちゃん、ストーブさんは確実にキャスティングされた人が頭に浮かぶ。
いかにも「この人に云ってもらいたい」という感じでセリフが出来ているのだが、どうも「アキ」だけが少しだけ字で見ると違和感がある。能年玲奈版の天野アキが如何にもじっくりと後で推敲された上で出来上がったんだろうと。もっとこうした方がいい、もしくは能年玲奈の素のままの方が合うという辺りで再考されて出来上がっているんではないか?とさえ思えてくる。少しだけ台詞のトーンが文字で見ると違って見える、不思議なんだけど。(もしかしたら後では当たり前のアキの訛りが標準語になっている部分が違和感かも)
このシナリオはいつ書かれたのだろう?
オーディションで選ばれた時よりも前に、周りのキャスティングだけは先行して決まっていたというのであれば、実に納得の行くもの。
話が進むに従って、後で決まったキャストの出来栄えから台詞が膨らんでいったかも知れないと思うと、この感じが変化する場所はどこだろうと思わずにはいられない。
本当に活字飢えが激しかった。
数週間、ひっきりなしに対応に次ぐ対応と、呆れるような事情に次ぐ事情と対峙し続けるという体験が私に齎したものは、
恐ろしいぐらいの冷めた心だ。活字を読んでもいいのだろうかという状況、心を休ませても構わないのだろうか?という精神状態、その周辺で呑気に起こる人任せな現実と、卑怯な心根、卑劣な振る舞い、開き直りとしか思えない態度、意図的な嫌がらせまでを浴び続けて、とうとう自分自身が変わってしまった。
だから飢えていた読書への渇きで、読み始めると読み終わるまでが普段より1.5倍ほど早い。
その精神状態を支えてくれたのが、何度も見直した「あまちゃん」だったから、録画が残っていない前半の前半の話は「おぉおぉ」という頭をヘッドバンキング並みに頷きまくる思い出の場面の連続だ。
現実の世界では…
今や簡単に周辺の人の感情や精神状態さえも見透かしてしまう。見透かしているというより呆れているのだろう。
プレゼンや戯言、聞こえよがしなんてレベルのものは、その発言している人間の心根までも透かして見せてしまうほどだ。いや呆れているだけなのだろう。
取り返しのつかないような心境に立ってしまった。人にたかを括るという事態が自分の中に出現するなんて以前は思いもしなかったが、有り得るのだ。とうとうという言葉がピッタリかも。事態そのものを知らないということではなく、自分の身に起こることだとは思わなかったし、思いたくもなかった。まさかの事態…かな?
(この後採りうる行動を書き連ねたけど、一旦省く。)
アキが海女になるというの春子が止める場面。
春子:甘くないんだよ。本当に。だから(安部ちゃん以降)24年間誰もやってなかったの!水冷たいし、波で流されたり、岩に体ごと打ち付けられて怪我したり、溺れたり…。。。
アキ:分かってる
春子;分かってない!
アキ:分かってないよ!だってやってみなきゃ分かんないじゃん!だからやるの!
春子:いい事なんか、ひとつも…
アキ:それもやってみなきゃ分かんない!
春子:参ったな。どうしよ。
この熱さが懐かしい。(ここのアキの台詞って訛ってないんだっけ?やっぱり違和感がそこかも)
シナリオを読んで癒されようとか思っていたのだが、読んでいると頭が冴えてしまうのだ。というかまだ精神状態がハイレベルでの緊張感を保ったままなのだろう。
行動あるのみ。前進あるのみ。ただ、目だけはすっかり冷めに冷めてしまった感じ。