萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

木耳を初めて食材として使ってみた。

2014-01-30 06:29:37 | 食べ比べ
木耳(キクラゲ)といえば、イレブンフーズ!という位。私の中の木耳のイメージは固定化されている。

木耳を洗濯機の中で戻していたあのお店。ネギが玉ねぎの微塵切りと、この木耳にチャーシューというグレイトなラーメン。

最近たまたま、お昼に寄ったお店でお薦めの食事が、「豚肉と木耳の炒めもの」。

おぉ、食材として木耳って確かに…。中華丼の餡の中に入っていることもあったあった!


ということで初めて木耳を購入しにスーパーに行くと…。売ってない!というか豆知識的に、あれって海藻だと思っていたら違って、山で採れる(山かどうかはよくわからないが陸地の産物ということは確か)から、、、、野菜コーナー!と思っていたら売っていない。

うん?もしかして干し椎茸とか昆布の類??乾物コーナーはどこだ!と行ってみたらあった。


水、お湯で10分から15分で戻るとか。砂糖を加えると戻りがいいそうだ。


軽く握った分を戻してみたら、量はこれくらい(写真)だった。

人参とピーマンと葱を刻んで、胡椒と塩を軽く振って、味覇と五香粉で味付けしておいた。これをタッパーに入れて、夕飯完成。

お昼用にベーコン・ベジタブルミックスとを冷凍庫から出してチンしてコーンスープの素と一緒にスープジャーに入れてお湯かけておいた。


朝は…もう残り物でいいや…、飯炊いたし。

今洗濯中。でこの後選択終わるまでの間にシャワー浴びてきます。


そうそう、樋渡啓祐市長って知ってます?
図書館にスタバを設置したという話ならどこかで聞いたことある人もいるかもしれませんけど、佐賀県の武雄市という市の市長です。

私は民間の企業にそこの市役所の人が出向で来ていた時(友人の会社の同僚として)に、その人から初めてこの面白い市長の話を聞きました。

まぁ政争に揉まれ続けているとかいうのは、他市他県の人にはまるで知り得ない情報なんですけど、この人の自伝みたいな本が出ていました。

首長パンチ。市民病院の日本初の民間移譲を成功させた話。
なんだか政治って一筋縄で行かないところが歯痒くてしようがないですね。
真当なことにも利権が絡んでいて、首長はその利権を牛耳っている人という前提がどうもあって、そうではない真当なことを真当にやっているその行動にも独断だとかいう「決めつけ」とも向き合わなければいけない。

まぁ大変ですけど、やることなすこと、民間企業の社長さんのような感じで、見ていて痛快、そう痛快って言葉がぴったりです。市を経営しているって感じ。結構参考になります。
facebookでもフォローして読んでいます。

皆さんも彼のブログでも読んでみてくださいな。
コメント

生姜がない!と苛つく

2014-01-28 06:45:26 | 食べ比べ
今朝方は、夕飯用に親子丼モドキの餡を作っておいた。
ささみ肉(ヘルシー志向)に木綿豆腐を織り交ぜて玉ねぎと炒めて、めんつゆプラスαで味を付けて、卵でとじておいた…。


うーーーん!昨日は砂糖がない!と大騒ぎで買いに行き(中華丼の餡作成中)、今日は生姜がない!と慌ててしまう。


練りニンニクがあったから、アクセントはそれにしておいた。


生姜ないと結構凹む。


明日は何作んべ。もうフライパンという調理器具から離れたい…。


でも生姜は買っておこう。練りも便利だからそいつも一緒に。


冷蔵庫の中を点検したら、葱・チーズ・ベーコン(小間切れ冷凍保存)・豚バラ(小間切れ冷凍保存)・ミックスベジタブル…。
アスパラ・ブロッコリー・マッシュルーム…。

なんかピラフかチャーハンなイメージだな。


まだ本格的に作り始めたスープジャーのスープを自分自身では食べていない。毎回最終的にはどんな味になったのかは知りたいところだけど、今はいいや。


ブロッコリーにマッシュルーム、ベーコンとアスパラとベジタブルミックスを入れて一旦レンジでチン。

そこに固形のコンソメ1個に今日は、

パスタソースを加えてトマトスープにしてみた。
お湯を入れて最後にバジルを振りかけて、ジャーの蓋を閉じておいた。


これで昼飯分完成。

あとは…。朝飯かぁ。食パンにチーズを乗せてオーブンで焼いて終わりでいいかな…。
納豆がいい人は葱と納豆で。ごはんは小分けにしてあるからそれをチンだな。

味噌汁作っておくか。



もうすぐ洗濯が終わる。だんだん段取りが分かってきたが、休む(こうやって写真撮ったりブログ書いたりしてる)と一気に停滞する。
さぁ仕事に戻ります!
コメント (2)

スープジャーを手に入れた

2014-01-26 07:42:10 | プチ萌え
一昨日から、故あって私が家事全般プラス作り置きの炊事までを担当することになった。
家内が膝を痛めてしまっており、半月板か靭帯かは明日のMRI検査結果待ち。

家事を考えると一番辛いのは、洗濯。なんだか生産性を感じられず、しまうことまでの工程、干す時の腰の負担とか今でも余り好きではない。

それに引き換え炊事はここぞとばかりに張り切ってしまう。

昨日の夕飯はチリチキン。いやこれは配合された調味料が売っていた。それにチリパウダーにパプリカも加えて作った。


買い物の際に、ちょいと気になったのがスープジャー。

これはいい。

なんだか仕掛けて放置しておくと、リゾットとかも出来ちゃいそうだ。

で今朝方作ってみた。

小手始めに、人参と葱を刻んだものと生米(大匙2)を入れて、一回熱湯を入れる。
1分位したら湯切りして、ウインナーとコンソメ半分を入れて、3時間放置してみた。4時前から7時位。

あぁ雑炊と言えるくらいのものはできました。
コンソメ半分だと少し薄く感じるので、塩を加えるか、1個まるごとで行くか後で工夫します。
取り敢えずケチャップで味を加えてみましたがこれでOK!

仕掛けた傍から、買い出しに行き、マッシュルーム、アスパラ、ブロッコリー、グリーンピース、パスタソースにスライスチーズを購入。


ZIPLOCの小型コンテナに切り刻んだものを入れて、一回レンジで湯煎したようにして、備蓄。

これならどしどしスープを作れるだろう。



ベーコン!あぁそうかベーコンを買っておこう。


また面白い作り方が出来たら公開します。
コメント

楽市楽座を考えることにした② 織田信長のマネー革命

2014-01-19 06:02:59 | 日々の疑問
以前、楽市楽座が信長に富を集中させる理屈になっていないと書いて、一旦閉じた楽市楽座を考えることにしたであったが、それらしいものをタイトルだけ見つけて書店に行き、購入を考えたのだが、置いてなかった。

しばらくして、amazonのお気に入りに入れておいたそれらの本をいくつか見ると、最寄りの図書館にそれあります。という告知が出ていた。
もしかしたら紹介していないかも知れないけど、chromeではamazonで検索すると「図書館でも借りられる」という表示をする機能があります。
※参考記事はこちら


根っからの貧乏性なので、じゃあ予約!と思ったらすぐに借りれる。1番だった。
年末の話ですけどね。


まず読んでいるのは「織田信長のマネー革命」

いきなりビンゴ。「楽市楽座には信長にはどんなメリットがあったのか?」という項が数ページ後に出現した。

この本自体が、信長を経済史上のれっきとしたイノベーターとして取り扱っており、経済史感的にもかなりの画期的な発案をしているという理由が書かれている。

全てを書くと面白くないと思いつつもどうやってお知らせしようか?と今頭を巡らせています。


「寺」「城」「港」の3つが大きな旋回させた軸として書かれている。
「戦(いくさ)」そのものも大きな収入源として書かれているし、それを成立させるために軍律がとても厳しいものということも書いている。信長軍団では、お札を売っていて、それを貼ってある家屋敷地での戦闘はしないというもの。軍律を厳しくしたのは、複数人から買わせる行為ともちろん狼藉の類。他の大名でもこの御札は売っていたようだが、この正当性と理屈を分かり易くした。
「寺社」については、その当時の暴虐ぶり、荒稼ぎぶり、というのが想像も出来ないのだが、この本でも座を巡る利権を奪うことについては楽市楽座で成功させている。
座への加盟料は取っていないが、冥加金という売上税(消費税は消費者が負担するものだけど、売上税は売価に乗じて商人から取る仕組み)だけは全て領主の「信長」に納められていたというようである。
であれば、この「市」が大々的に他の市よりも物流のいい・産業地に近い場所で開催されれば、という発想であるので、
大きく市を広げることのできる場所を近江の安土に見定めたのだろう。他の場所でもやったり、中にはやらなかったりしたそうだが。

で、速やかな徴税を行うため、強い領主の出現を分からせるための「城」「城下町」の建築。

物流の中で貿易という部分に関しての「関税」を陸送では「関所」を取り払うが、「港」ではしっかりと取っていたらしい。
これが父の代の信秀から津島という港からの税収と常滑焼、瀬戸焼などの商工業産地からの税収で潤っている基盤があり、
そこに税≠米=土地<港・産業という「土地(農地)に縛られない感覚」が芽生えていた。
抹香を位牌にぶん投げたという信長の奇行が余りにも有名で、父信秀の遺訓など微塵もないように感じ、
「宗教嫌い」「蛮行・横暴・粗野」のイメージが先行するが、代替わりを見せつける必要があったから?と考えれば少しは納得できる。
城の建設が領民に対するもので、抹香をぶん投げてでも自分の蛮行を見せつけれるのは下臣に対するデモンストレーションだとすれば得心しないわけでもない。
下地というか経済・商業・物流に着目をさせたのは確実に父信秀であることは間違いないのだから。

ただこう考えてくると、やはり軍事政治の極みでもある武家領主権の主張は、どうもヤクザなイメージが払拭できない。

冥加金が、そのままみかじめ料に通じ、縄張りそのものが領地拡大に繋がっている。と普通に思うでしょうね。

四民平等があったり、基本的に出生による差別がないとされる現代に比べれば、道徳などというもので覆われている訳ではない世の中では致し方ない部分もあろうかと思う。

そこで、「信長の夢」として標榜された「よりましな」世の中について考える必要があろうかと思うが、それは全て想像でしかない。

天下を治める途中の手段までしか披露していないからだ。

標榜したものの欠片を集めれば、おおよそのサイズは分かろうとも思うが、武力で世界に出ていくことまでを考えていたとは思いにくい。

チンギス・ハンが興した元の再来を行おうと思っていたのか?という部分にはいささか眉唾な部分がある。まだ世が乱れたままの時代なのである。


私も以前までは知らなかった内容の中に、宗教論争の審判をして、信長がある宗派を懲らしめたという逸話があることが、井沢元彦の著作にある。

この記事の上で書いた「寺」に対するものとして、信長が宗教弾圧を行っていたと思しき歴史とともに理解されがちであることを諭した文章であった。

信長はキリスト教を認める一方で、比叡山延暦寺、石山本願寺、伊勢一向宗徒を弾圧していると思われる一連の流れに対して、背景がおおよそ違う現代との部分はそちらを参照してもらいたいが、安土宗論においては論戦を確実に学術の域で執り行われたと思わされた。

宗教とは、、、、その答えは自分自身の中にはないが、全ての事象と現象を「意味あるもの」に言い果せる技なのではないか?と思わされる。
でもそんなに辻褄よく全ては出来ていやしないよとも思えるその論理を収めている経典。その領域での論戦とはまさに。「如何に深い理解と解釈をどちらがより励んでいるか」を賭けた、自派の沽券に関わる闘い。

よく、理系の人が宗教に嵌まりやすいと聞く。

辻褄が合いにくい全ての事象を「何か」を足掛かりに「信」足るものに繋げてしまうものではあるのであろう。

「禁忌」のようなものが存在するように、「何か」と対峙するものに繋がりそうなものはその途中を覚えていなくとも確実に「意識下」に「忌まわしい」ものとの感覚を植え付けている。それも宗教の一端ではある。

ハタと気付く自分の中にもある惧れを意識させることとその成り立ちは古来の習慣に単に根ざしたものであるため、その無意識下で行われるようになった習慣の根源の出自などの理屈には屈服しやすいのかも知れない。知っていれば対処のしようもありそうだけど。

ただ、その道を一つの正しさとともに現したものの体系を信長はそれなりに認めていなければ、審判を請け負うことはしなかったはずである。

もし、信長が「自分以外の崇めるもの」につながるもの全てを棄却したいと思っていたのであれば、それらも自分に繋がるように作り上げたはずである。ならば、どれもこれも同じでしかない。片方に勝ちをつけ、もう一方に負けを裁定する領域ではない。審判を請け負うことはそれの域をある部分では認めているはずだと思える。

そこまでがあったのか?とは思いにくいのが、前にも書いたキリシタンを認めていた部分だ。異国の宗教に新しさが加わっていたとしても、同じような理屈で出来上がっている宗教に優劣をつけていたわけではないであろう。棄却したかった部分は自分への恭順を示さない態度、生を賭して抗ってくるというスタイル、政治への介入、それを成立させる中間的な搾取であろう。


なんだか道を逸れたような気になってきたが、、、大丈夫だろうか?

話を楽市楽座に戻そう。

冥加金を取る「信長」は、”軍事”と”軍律”の制定と履行、”公平な税”とその周辺の”搾取のとっ払い””城下町の建設”を担当している。

「商人」は、物を選別することと運んで市場に届けることを担当している。

一次産業は人間の生きる根源、それを担う「農民」には枡を統一させた上で、領官の不正を防いで税金の公平性を齎している。

茶や絵師、踊り手についてもその美を探求する部分を認めている。


なので、信長が懸命にやろうとしたことは、「秩序の復活」とともに「不労の排除」だと思えてくる。

戦乱の世は何をしても構わないという秩序の乱れが激しい。そこでは中間搾取が激しい。それはこの世界を成立させていることの中で一番役に立っていない。

施政者にはその対価の責任として、領民を守ることと秩序を求める部分にまでは、軍事をチラつかせない訳にはいかない。時代からの要求だから。

最終的に信長ほどの前例を物ともしない柔軟な態度の果てには、確実に世界からの植民地活動の兆しも掴んでいたに違いない。

元寇で確実に海の向こうからの驚異と最終的には、それによって瓦解した武士政権の歴史が既にあった時代である。

キリシタンからはそうした情報と備えを得ていたとしても不思議ではないが、信じるものという行動が極端になっていた乱世ではそれへの歯止も頭に去来した難しさであったこととは思う。

理想国家とは、時代と環境において違ってくるが、目指したものが単純に「我が世の春」ではなく、「自分なりの整然とした生産性の高いものへのシフト」「秩序の復活」だったのではないだろうか?とすればなんとなしに理解が出来てくるような気にもなった。

天下を統一し、戦(いくさ)を真ん中から脇に置いた時に初めてそのバランスが復活する。詰め将棋的に見た局面で何手かけたら詰むのか分からなければ、戦は容易には始まらない。軍事国家は人類が経てこなければならなかった国家形成上の試金石だったと思いたい。鎖国はそれから目を背けるという、何とも歪で事なかれな雰囲気が国家を最終的には衰退の域に至らしめたと思っているけど。。。

楽市楽座を考えるところからすると随分と話が膨らんでしまったようにも思えるが、楽市楽座こそがその体現したかった国家構想の一端ではなかったかと改めて思う。

道路の整備や街の整備、戦時中ではそれも限界があろう。平定した暁には、成し得たであろう織田政権の国家は江戸幕府とはどう違ったのか、、、歴史のifは禁じ手だが、つい想像してしまうもの。

それでもあれだけ起こった謀反の数々には何か策がなかったものか?と思う次第。
理想が共感で集まった軍団ではなかったとも思うし、強烈な仕打ち(軍律・処置)のようなものが人々に畏怖の念を抱かせたことも事実としてはあるような気がする今日この頃です…。

また何か気になることが出来たら記事にしてみます。
コメント

ラグビーにおけるペナルティと終盤の戦い方の提案

2014-01-14 07:04:36 | スポーツへの想い
ペナルティ、それは力の足りないものが力で迫ってくる相手に犯してしまうものだと理解していたが、解釈や取り方が審判によって異なるため、その境界線を見極めることが大事なのだと思っていた。

しかし、審判には限界があり、自陣でのペナルティは命取りになるが、その後の展開からも、『ペナルティすれすれ』を狙う行為も実は存在するのではないか?と思う向きがあった。ディフェンスのスタイルとしてである。


この前の帝京と早稲田の試合の最中に2トライ2ゴールでも追いつけない程の点差の中での帝京の防戦において、反則を頻発させる行為が目に付いたからだ。
※早稲田にもペナルティ行為がないわけではないので、そこは誤解なく。


2トライ2ゴールとは、1トライ取られて、ゴールも決められたあとは、ハーフラインに戻って相手陣深くに蹴り込めば、展開に時間を要するため、その初めの1トライを取られても構わないとすれば、防戦の仕方が反則のオンパレードの中で行われてもいいという行為につながる。

審判もペナルティ行為で則プレイを中断して、フリーキックを与えることはしないため、アドバンテージの中で幾度となくオフサイドラインを切り上げる行為まではできるのだが、どうしてもその後も形振り構わない防戦スタイルを取られてしまうとその1トライに手こずってしまう。

アドバンテージで試合を中断しない訳はフリーキックで与えられるペナルティゴールの3点よりもトライとゴールの5点・2点の計7点の方が上に配置されているため、審判も容易に試合を止めることが出来ない。

アドバンテージ中の5mラインより内側の反則は中央の認定トライ+正面からのキック。そして相手側(被ペナルティ側)からキックオフで再開とすれば、ゴール際で幾度となく繰り返されるオフサイド型の反則も防止することができると思えるのですが、今のルールではそうなっていない。

なので、点差を離した勝っているチーム側が反則ギリギリを繰り返すことが容易に想定できるのです。


反則とはどういうことを禁止しているのかといえば、それは「容易に守りやすい」行為です。


なので、後半終盤の中では、相手に大差を付けている方が防戦し続ければいいということにつながり、フェアプレイの精神は少し遠のきます。

ではこの行為に対抗するには何が必要かですが、

フリーキックを与えられた後の

①ラインアウトを確実に自陣のものにする戦略の豊富さと
②それを取ってからすばやくゴールにまで持ち込めるというモール戦略+αを
持つこと

それでもラインアウト→モール→トライをすばやく行ったとしてもゴールの角度が厳しいため、ゴールの成功は諦めなければいけません。

ではどうするか?

ここが持久力の問題になってくるのですが、後半に選手の入れ替えを行い、体力を消耗していない選手たちにそれを幾度となく敢行させることになります。もちろん点差と投入時間に戦略を持つ必要があるでしょう。

なので強いスタープレーヤーだけで構成されたフォワード陣だけではこの勝負を80分間やり続けることが出来ないため、レギュラーのフォワードと同等の控え選手達が必要ということになります。

最終的な接戦を制するのは、反則を犯せば即点につながるという恐怖心を相手に与えることです。

フォワードに頼った戦略を取っておいて相手の意識をそちらに向かせることが出来れば、バックスとハーフに隙が出来るため其の間をつくことも出来るようになれれば完璧です。

かなりのマッチョ体型、選手の大型化がトップリーグ並みに相次ぐ大学ラグビーにおいては、
持久力と選手層の厚さを兼ね備える必要があります。

それを点差の中からどの残り時間でそれを行うかをシナリオ化する必要もあります。

ラグビーであまり選手の入れ替えで、大歓声で迎えられるプレイヤーという類を見たことがありません。

サッカーでは岡野がそういう立場でしたね。野球だとクローザーの立場にあたる人でしょうか?
いわゆるスーパーサブというやつでしょうか?ラグビーにそういう構成を持ち込んだものがあるでしょうか?
ちょうどY高のリリーフ戦略を正面に持ってきた2枚看板などの戦略に近い類と理解してください。


もちろん味方選手達が戦い方の意図を、投入された選手の持つバリエーションから瞬時に判断が利く程の熟練が必要となります。

またその選手には攻撃のバリエーションだけでなく、レギュラーと同じディフェンス能力も求められます。
圧倒していた場合は後半は上記の反則スレスレでの防戦をもしなくてはなりません。


なのでここ一番のスタープレイヤーを逆に控えに持ってくる程の作戦が必要かも知れませんね。


これは普段の戦い方では、最初はレギュラー陣を投入して、徐々にメインメンバーを外していくという序盤の戦い方をも変える作戦です。

徐々に体力を温存したメインプレイヤー達が登場するという戦い方で序盤から決勝までを圧倒するのです。

スターティングメンバーには1から15までのポジションに従った背番号が与えられます。
おそらくスターティングメンバーが基本そのチームの優秀なプレイヤーの証のような雰囲気を持っているのは当然かもしれません。

なので観客席から見ていると21番を背負ったプレイヤーが誰の控えでどのポジションなのかが分かりにくいという側面を持ちます。

ラグビーにおける不文律な常識。
控えにスタープレイヤーを置くスタイル。
スターティングメンバーでなくても、後半投入のスタープレイヤーを称賛できるスタイルを提案したいと思います。

中竹竜二氏だったらこういう考えって出来たかなぁ…。


そういえば今回の試合ではコラプシングが結構な量で判定された。スクラムの中でどちらが”故意に”スクラムを崩す、相手を引き倒す行為を一方的に行っていたという判定程、難しいものはない。
今回の審判は、やり直しをさせずにすぐにどちらかのペナルティを取るため、スクラムは両者とも緊張したのではないか?と思いました。

以下はラグビー・スーパーサブで検索した記事です。
引用させていたきます。(出典:ラグビー日本代表 公式サイト 過去のワールドカップ 第4回)

『優勝は、そのフランスを決勝で35対12で下したオーストラリア。準決勝では前回覇者・南アフリカを息詰まる延長戦の末に27対21で下す勝負強さを見せた。91年大会の優勝を知るLOイールズ主将、HOキアンズ、CTBホランのベテラン勢と、SHグレーガンとSOラーカムのHB団など中堅・若手が絶妙に溶け合った上に、FLフィネガンをスーパーサブで起用するなど、導入間もない選手の自由入れ替え制度もフルに活用したマックイン監督の手腕も光った。』

同じ大会の記事でもう少しスーパーサブのことを前面に書かれた記事を以下に。
引用させていただきます。(出典:asahi.com)

『 ロスタイム。フランスにとどめを刺すトライを奪ったのは、途中からフランカーに入ったフィネガンだ。ラインアウトから20メートルほど青いジャージーを引きずり、そのまま飛び込んだ。

 先発なら、あのパワーは残っていない。18分、20分、そして12分。野球の抑え投手のように、準々決勝から後半の決まった時間帯に投入された。戦術的交代が認められて初めてのW杯で、「スーパーサブ」の役目を完ぺきにこなした。「この2年間、選手が入れ替わったりしたが、結実してうれしい」とイールズ主将。総合力の勝利だ。』
コメント

2014.01.12.日本大学選手権決勝 早稲田vs帝京を振り返って

2014-01-13 06:58:05 | スポーツへの想い
スタートダッシュが決まり、早稲田のスピードプレイ炸裂!
ただ、帝京の接点での硬直での押し加減、ジャッカルの決まり具合から、早稲田は回すことを少し惧れているかのような展開。
密集する力が完全に帝京に飲まれている感じ。

ラインアウトさえもなんだか不安気。

どこかに不安な部分を残している感じだけが漂っていた。


50回記念大会…。

セレモニーも行われ、初代王者 法政、10回優勝早稲田、20回優勝同志社、30回優勝明治、40回優勝関東学院…。

ここに次に並ぶのは、どちらの主将だ!

という雰囲気が充満した会場。

2019ワールドカップの主力メンバー候補世代達。

後半の開始早々、今度は帝京にハイタックルから来るアドバンテージの中でトライを決められてしまった。
止めるには仕方のなかったタックル。

ここで早稲田が耐久力を見せて、徐々にトライを取り続けて追いすがる。

ハーフ陣がどしどし回す。やっと出たこの展開。ただ、途中に誰かが必ずやるフェイント気味の切り返しに悉く対応されてしまう。
目でボールを追うけど身体が付いていかないというようなプレイが出ない。その余裕と距離感と体力差がない。

力対走力と展開力のはずが…いつしか力対力の勝負に成りかけて行ってしまう。今の早稲田の力も強いけど、その総合力が違う。

展開不足か…。あぁ一歩及ばず時間が少なくなる。


最後はトライを決めたが時間切れ。

トップリーグはこの展開力と突破、押し合いに強い力が普通に想像できる。


日本選手権…。どうかパスワークかスピードで優って欲しい。体力は付けてきた今年の垣永組。力でも負けない自信を漲らせていた時期もあった。そこにスピードとボール保持力と展開を身に付けている藤田が帰還した。
小柄なのに競り負けないウィングとセンターもいる。ほぼ理想のバックス陣が出来上がった。


押し合いを制しつつも、是非とも最後まで走り回ってくれと祈るばかりだ。
コメント