トイレに老子を持ち込んで、ちょこちょこと読んでいた。
おやっと思うまで読んでみることにしていたら、とうとう十一章で閃いた!
三十輻共一轂
當其無、有車之用
埏埴以爲器
當其無、有器之用
鑿戸牖以爲室
當其無、有室之用
故有之以爲利、無之以爲用
《訳》
車輪というものは三十本の輻(や)が真ん中の轂(こしき)に集まって出来ている。
その轂(こしき)に車軸を通す穴があいているからこそ車輪としての用を為すのだ。
器を作るときには粘土をこねて作る。その器に何もない空間があってこそ器としての用を為すのだ。
戸や窓をくりぬいて家は出来ている。その家の何もない空間こそが家としての用を為しているのだ。
だから何かが「有る」という事で利益が得られるのは、「無い」という事が影でその効用を発揮しているからなのだ。
《部分的な読み下し》
其の無に当たりて(當其無)、○の用あり(有○之用)
《感想》
初めの方の車輪の話はピンと来なかったが、器と家(室)で感づいた。
無とは何かを入れる場所。
人が暮らしていく場所、何かを盛る場所、車輪に車軸を差す穴。
その無という部分の空間・虚空に着眼せよという内容。
器の持つ素材、照り、触り心地ではなく、くり抜かれた場所にある空間がこちらのインスピレーションに作用している。
いや素材、照り、触り心地に意味がないのではなく、その空間を意識させるようにそれらも働いている。
無も有によっている。有ばかりに着目しすぎるなという訓告だろう。
特に老子は自然体を重んじることが多いため、単に「不自然な」有を戒めると、無に行き着いただけかもしれない。
これの応用は商品の企画でもいいんだけど、
ある部分では、人員のことでも同じだろう。
有る姿の何かに着目するばかりではなく、(くり抜かれている・くり抜いている)無の部分に凝ってみるというのも一興である。
おやっと思うまで読んでみることにしていたら、とうとう十一章で閃いた!
三十輻共一轂
當其無、有車之用
埏埴以爲器
當其無、有器之用
鑿戸牖以爲室
當其無、有室之用
故有之以爲利、無之以爲用
《訳》
車輪というものは三十本の輻(や)が真ん中の轂(こしき)に集まって出来ている。
その轂(こしき)に車軸を通す穴があいているからこそ車輪としての用を為すのだ。
器を作るときには粘土をこねて作る。その器に何もない空間があってこそ器としての用を為すのだ。
戸や窓をくりぬいて家は出来ている。その家の何もない空間こそが家としての用を為しているのだ。
だから何かが「有る」という事で利益が得られるのは、「無い」という事が影でその効用を発揮しているからなのだ。
《部分的な読み下し》
其の無に当たりて(當其無)、○の用あり(有○之用)
《感想》
初めの方の車輪の話はピンと来なかったが、器と家(室)で感づいた。
無とは何かを入れる場所。
人が暮らしていく場所、何かを盛る場所、車輪に車軸を差す穴。
その無という部分の空間・虚空に着眼せよという内容。
器の持つ素材、照り、触り心地ではなく、くり抜かれた場所にある空間がこちらのインスピレーションに作用している。
いや素材、照り、触り心地に意味がないのではなく、その空間を意識させるようにそれらも働いている。
無も有によっている。有ばかりに着目しすぎるなという訓告だろう。
特に老子は自然体を重んじることが多いため、単に「不自然な」有を戒めると、無に行き着いただけかもしれない。
これの応用は商品の企画でもいいんだけど、
ある部分では、人員のことでも同じだろう。
有る姿の何かに着目するばかりではなく、(くり抜かれている・くり抜いている)無の部分に凝ってみるというのも一興である。