(この本を読んで思う。)昭和44年から、叡智はここまで拡がった。
著者は発想法やメモや記録を操ることを提示した偉人であった。
カードの片方にのみ着想を書き連ねて保存し、そのカードを組み合わせることで発見や発展を促す手法を披露する。
途中から、文章論。
日本語を英語のタイプライターのように扱うために、ローマ字やカタカナのみで打つスタイルにすべきという改革を提示する。(あの時代にワープロを出現させる積もりだったようだ。)
文章には型があるのに、世間では誰もその統一を画策しないし、生徒に教えない。教職に就く者でさえ、文章がなっていないと愚痴る。
没年が2010年とのこと。ワープロもパソコンも登場し、ブログやSNSで日本人も文章を書くことが当たり前になっている世の中をどう見ただろうか?予言者のような記述が並ぶ。
思い出したのが、野口悠紀雄著の超・整理法。
紙袋を操り(最新の情報を突っ込んだら一番左とか決める)、動かない(ずーっと右にある)袋の情報は捨てるか仕舞う。
ゼロ秒思考で、私はA4の紙にタスクを書いていて、紙袋ではなく、今ではクリアシートを操ってタスク管理をしている。そうだ、クリアシートの発想は超・整理法からだ。仕事の関係はこれで上手くいく。
知的生産の技術では、B6のカードに日付とタイトルと記事を書いて取り溜めておき、ある時取り出して分類して並び替えるだけで、論文が書けてしまう筈だという手法。
カードは京大カードと呼ばれて今でも流通しているようで、これは日頃のアイデアに向く。
メモは忘れるために書くのだ、というのも納得です。正確に全てを覚えていられないから、書くのだという。短くてもくだらなくてもいい、書けば脳味噌が空くのである。
また、人の記憶も曖昧だから、野帳というフィールドワークの記録の取り方が、齎した手法であるそうだ。
ありがたいことに、何人かの方が私のブログの過去記事にもいいねを押してくれたりする。
押された記事を自分も読み返すと、忘れていた感覚を持った過去の自分に会えるというのもブログのいいところであったりする。
それくらい、過去の記事を読んでくれる人は有難い。
実はブログ記事をカテゴリーを越えて集め直したりしたら、面白い発想が生まれそうな予感があったりする。
そう、この本自体が徒然草文段抄、まさしくブログのようだったことからの着想です。
なので、そういうことをするためにも、京大カードを購入してみようかと思っている。
今はB6判の手帳を持ち歩いて書き散らしている。今週この本を読んでる途中も書いて7本くらいのメモがある。
一つを見ると、よく財閥の人の結婚式はビールはアサヒでとか麒麟でとかいうあの縛り、こっちが覚えるんじゃなくて、そういう事情があることを申し訳なさそうにそっちからお願いしろよ、とか書いてる。笑 なんと馬鹿馬鹿しいメモだろう。
メモの保管方法も書かれているので応用を考えようかと思案中です。
それでは次の本を探しに行きます。
皆様も、良いGWをお過ごしくださいませ。