若い頃、多分この文庫本の中の沢木さんと同じ歳のころに一度読み、最近ずいぶんと昔の香港の旅行記とかを書いていて思い出し、久々に読み返してみました。さらに「旅する力」という文庫も出ていたので、それも合わせて読みました。
赤面するくらい似ています。文体とかもそうかもしれないですけど、気持ちが。。。しかも1年以上かけて行っている旅日記に1週間の旅行記でその状態に追いついてしまっているあたりが、影響の受け方を物語っているような気がしました。(笑) 小っ恥ずかしいったらありゃしない感じですね。
この文庫の魅力は・・・その一つは写真がないことですかね。。。逆に想像を掻き立てられるというのが正直なところです。スナップを撮ってハイ終わりという行動は確かに余り好きではない。沢木さんはある部分で、写真を撮るとその空気が変わってしまうんじゃないかと危惧されていて、写真を余り旅の中で撮らないんですね。。。中には撮ってくれとせがまれるシーンもありましたけど、撮影ばかりを重要視してない感じに放浪者のそれを感じた次第です。決して観光ではないという雰囲気ですね。観光地に行っていないわけではないけど、スポットに行くことを重要視していないわけです。沢木氏はガイドブックをもたないということをしきりに云うわけです。
カメラ・写真に話を戻します。空間を切り取るというのが撮影の醍醐味ですけど、今あるカメラ、撮った後に液晶で確認すればするほど遠景は「もっと広がりが欲しい」と思うこともしばしばです。
パノラマという一時期流行ったあのサイズならいいかというとそういうわけでもない。上下だってあるんだし。。。
自分の目で見れる範囲の大きさ・視野角の広さに驚きを覚えることもある。写角に収めようと対象物の前で下がったりするところもリアル感にかける行為なのかもしれない。。。
秋の京都に一人旅で訪れた時に編み出したのが、仰け反って(のけぞって)、後ろ上方面を見るというスタイル。
景色は反対だし、上から真っ赤や真っ黄色の落ち葉が降ってくるという情景の中に見た上下倒錯な清水の舞台の記憶は今でも残っている。変なアングルで捉えた記憶ほど非日常が昂じて長く残ると思っています。このポーズで写真を撮れば?いやその範囲で区切ることがいい場合とそうでない場合があるのです。倒錯は写真で見ても倒錯にはならないんですね。。。
あと、老いと旅に対する見解。老いと貧しさの両方を抱えて旅することはできないという辺り。若いときでないと出来ない旅。知らないことからくる未知との遭遇的な部分。後、若いからこそグルメではないという利点。(笑)これすごいリアルです。
記憶が積み重なると、あっちの方が美味しかったとか、あの時のあれは美味かったという記憶が邪魔して、旅を素直に楽しめなくなるというあたりはあるかもしれないですね。無垢に成り切ることが必要なんですけど、歳を重ねるとそうなるのにも苦労がいるという点は肯ずかざるをえない。
沢木さん自身が「自分は食にこだわりがない」としている点がいいと思います。スペインのバル(BAR)で旅を話題に呑んだくれている時やポルトガルで酒場をウロウロとか面白いです。
茶、Cで始まるチャイとかTで始まるティー、これを巡る2つの国(パキスタンのハナモチ氏とポルトガルのサンガロの岬でのホテル)での遭遇も。
ミケランジェロだけは天才とする拘りや、26才を起点に捉える偉人史観も若い人なりの視点に戻って語り続ける。
旅や思考がヨーロッパに侵入していくと達観の域が見えてきます。振り返ったときに思うあの気持ち。そこまで新鮮に捉えられるかは疑問があるとは思いますけど、なんとなくこういう紀行文だったら、思考法までその時のもので行けるような気がします。
あと中央アジアでのトイレで、現地の人と同じようにすること。そうすることで「また一つ自由になれた気がする」という辺りは、殻が剥けていく感じで、恍惚の境地のように、その感覚が思えるようになります。
もう一つはですね。。。。これは異論があるかもしれないですけど、取材費を取って書かれたものではないというリアル感ですね。
有名作家さんになると、紀行文など読み物になる類のものは、出版社から渡航費やら宿泊費などが支給されて旅慣れた感じがとてもするものになり、葛藤も糞もなくなるのですが、この話は徹底的にそういう境遇からドロップしていく葛藤が描かれているというのがリアルなんです。旅を長く続けたいかどうかは別にしても、なるべく倹約して長続きできるようには足掻く感じ。元々書くつもりがない旅の記録であること自体が素晴しく、小遣い帳も附けていたようだし、手紙を何通も書いているのでそれを記憶の補完に使ったようでした。取材費が出ていたら、こんな酔狂な話は企画物に甘んじ、感想や気持ちが妙に浮つく(地に足がつかない感じ)と思うんです。
旅する力で書かれていましたが、現在進行形で書くというのは狙いだったようですが、それも面白さの一つにあります。この話の中の「昨日」とは書いている段階でも十何年前の記憶の中の”その前の”日なのに、どうも読んでいると、「つい数時間前の昨日」のような親近感があるものに感じられるという錯覚が見られるのです。
そして気持ちの上では、特にあの「日本語を喋りたい」というあの感覚。沢木氏は旅先で日本人と遭い、何度も日本語を喋ってはいるんですけど、テヘランで磯崎夫婦に会うまで沢木氏は日本語を喋っているという感覚がないように感じられるんですね。ソンクラーで滞在員の家族と、またインドだかネパールだかで毎日日本人同士で集っていたらしいし、インドのブッダガヤだかでは日本からの教師としてきた人とも話しているんですけど、テヘランの磯崎夫婦(知り合い)と”語り合う”という境地と、その単に喋っていたのは違うという感覚ですね。喋っている日本語自体にも種類があるようなものです。故郷に帰って方言丸出しで喋ると喋っているという感覚に近いのかもしれません。使い慣れている雑であっても自由な自分自身の言葉(言霊)でっていう。。。日本人でも知らない人と喋る時は余所行きの言葉になって感じるのです。
私は5日で堪らなくなってしまっている。。。。相当のお喋りなんだと思いますよ。(笑)
自分自身は内向的な人物だと信じていたのに、外向的というより発散型なんでしょうね。。。ただ、何故旅をしているのかという問いの繰り返しは、長期の放浪者には付き物のような問いかけなのですが、その心理状態が欧州に入って行くに従って、自分から作らないと旅が向こうからやってこなくなるにつれてと云い直しますけど、深まっていくというのが堪えられなくなりました。
ただ泊まる場所を懸命に探す辺りは、深夜特急以前の私の旅(日本国内)には余りなかったです。当時完全無敵の安全性を誇るこの日本の中では、その”必ず宿”という感覚が初め芽生えなかった。。。。(誤解のないように書くと深夜特急の中でも野宿は何度かでてきます)
私自身の初めての野宿は今治。夜に散歩に来ていただいた方に、より安全なお堀端の場所まで連れて行ってもらったり、目覚めるとお年寄りに囲まれて、「どっから来た?」と親切に触れたこともあったかも。
小田原→今治→(松山)→大洲→松山(大街道・道後)→広島(追悼日)→安芸の宮島→芦屋(友人宅)→和歌山県 串本→小田原という行程。
宿で集団に会うより野宿の方が気分は楽だったかもしれない。
その記事は
ここに記しています。平成元年だと思うので、22年か23年前の話です。
最近、
田舎うどんさんが四国での食べ歩きをされていて、そこでコメントを書かせていただいたのはこのときのことです。
翌年は坂本竜馬を辿る旅を友達と。
高知(お城)→桂浜(簡易ベンチ)→道後温泉公園→松山駅前→岡山城→京都数泊。
ほぼこの時の青春18切符の影響で日本内での野宿スタイルは確立してしまった。
宿に泊まったのは松山駅前と京都数泊のみ。
宿よりも二人旅のときの好みの別れというものが辛かった思い出があります。やりたいことや重要に思うこと、今したいこと、次に行きたい場所、今食べたいもの、次に食べたいもの。事前に計画を練らずに決めながらの行程だったため、桂浜辺りまでは面白かったけど、そのあとは調整に苦労した苦い部分を思い出します。
社会人になってからは、友達と伊豆の島で野宿は何度かしたけど、大阪や仙台に行った時は野宿はなかったですね。ただ、新世界の将棋屋さんで、「周り将棋」したときは正直怒られるのではないかとビクビクしていましたが、友達が暢気に振り続けて、「げっ小便」とか言い出す頃には周りも笑いながら見てくれていたので助かりました。あの通りでは色々と体験しました。
その後一人でも大阪を再訪。その行程は全て安宿で過ごしました。
名古屋→近鉄で大阪→新世界の傍の安宿(ちょっとここだけは怖かった。2,000円)→梅田の安宿(ここも内鍵がひっかけるだけので怖かった。廊下はゆがんでいた。3,500円)→京都の安宿(内側からは捻り型の鍵で外からの鍵は無し。4,000円)
車で泊まり歩くというのは以前の私にはないんですけど、会社の上司が夜釣り→晩酌→一寝入り→温泉(本格寝)→次の港→夜釣り→晩酌→一寝入り→温泉(本格寝)→次の港→という行程で過ごしてきたという話を聞いていて、車で泊まり歩くって楽しそうだなという下地は持っていた。それでこの前の岐阜・安土・京都の旅に出た感じ。
深夜特急では自分が一番行きたかった(今でも行ってみたい)ネパール・カトマンズが、手紙形式で通りすぎてしまい(しかも雨でいい感じがしない)、またインドに戻って行ってしまう辺りがすこしだけ寂しかった。
インドとネパール、カルカッタと、ブッダガヤ、そしてカトマンズ、最後にデリーな3巻だが、私にはねこぢるの「ぢるぢる旅行記」という漫画も好きだった。
ネパール篇は短かったが、それでも雰囲気を感じることができる読み物だった。
インド(バラナシとカルカッタ)とネパール(カトマンズとポカラ)はいつか是非行ってみたい国と場所です。
でもやはり、影響を受けたのは深夜特急と迷走王ボーダーですかね。。。
ボーダーって皆さん知ってます?漫画ですけど、これもかなり深く読み耽りました。便所で暮らすおじさんのお話なんですけどね。今はもう手元にないですけど。。。。
旅先(砂漠)で逢った男同士が日本に戻ってきて、若い方の家におじさんが頼ってきちゃうんだけど、今は各部屋にトイレがついたので、使われなくなった共同便所に住んでいるおじさんとその仲間達の珍道中。途中で犯罪臭い集団(映画を撮るための資金だとか)のお金を横取りして大金持ちになって、博打(ボートレース)もバシバシ打ってさらにお金持ちになるんだけど、極貧と極上は差がないみたいな境地でポケッとしてて、そこに夢を何でも叶えるというプロモーターが持ちかけて、そのおじさん(蜂須賀という名前)はボブ・マーレーみたいにスティーラーズをバックにコンサートを開いて、最後は観客を飲みこんで、そして虚脱し・・・また貧乏にという。。。。あの物語は一体なんだったんだろう?キーワードはあっち側とこっち側。大量消費社会をあっち側と呼んで、それに馴染まないようにするこっち側、との狭間にいるので”ボーダー”という位置付けです。
そうだ!石田ゆうすけ氏の「行かずに死ねるか!」シリーズにもいい刺激をもらいました。ただ本人も書いていますが、7年という旅程は「放浪」というよりも「逃避」に近い気がします。旅慣れたり、擦れたり、帰りたくないというより現実逃避し続けたいという感覚が紹介されている部分はとてもリアルです。若い頃にしか出来ないというのはこのシリーズも一緒ですが、それでも感覚が最後まで擦れない感じがするのは、多分その記述が驚きをもって新鮮に描ききったところにあるのでしょう。世界で一番○○な国シリーズはその新鮮さと行程の持つ独特な雰囲気を醸し出してくれています。
そして今、沢木氏の本が講談社文庫から出ていたんですね?「一号線を北上せよ」というヴェトナムのホーチミンからハノイ方面に向かう旅の途中(読書中)です。
少し歳を重ねられていることから少し旅が変質していますし、自身の経済環境や出版に際する状況(取材費が出ている?)も書き方や内容、心象に影響を及ぼすかもしれませんが、ガイドブックは持たない、地図は現地で調達する、辺りは未だ健在です。
まだ序盤の現地でのツアーに参加する辺りですが、その行為でさえも深夜特急では絶対なしだったかもしれません。安い方のミニバスに乗ってはいるものの、その選択も「無理にでなければいいが」と危惧しながら読んでしまいます。
大人な旅になっているのね?と期待しながら、今では行ってみたい、「味が何層にも変化するという”チェー”というあんみつ」を生み出した国ヴェトナム(石田ゆうすけ氏)。メキシコと共に世界一料理が美味しい国とされたヴェトナム。
是非とも楽しませてもらいたいと願っています。