萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

【再考】 雨が降ってきたら走るべきか?否か?

2011-08-26 22:08:13 | 日々の疑問
前に書いた時は、濡れる量は時間に比例するので、走ったほうがいいと結論付けた。

コメントで「以前テレビで距離に比例するから、走っても意味がないという結論を聴いたことがある」というご指摘をセシリアさんから頂いていたので、雨模様の日になると決って考え直していた。


多分、こういう仮定と条件の元で考えると、そういうことになる。


条件1
まず、雨は常に垂直に落下するものとする。風などの影響で横殴りの状態は想定しない。

条件2
常にどの場所でも落下してくる雨の密度は一定で、1歩進む距離ごとに、常に等量の雨粒のカーテン(仮に30粒)に体の前面が当る、この雨の量を元に計算する。



上記2つの条件を元に計算すれば、1歩踏み出すことに体の前面に雨粒を一歩ごとに30粒ずつ受けるのだから、走ろうが歩こうが濡れる量は一緒だという結論になる。

だから車でスピードを上げると時間当りに通過する距離量が増えるとともに雨粒も時間的な密度を高めて当ってしまうため、一瞬雨を沢山拾ったような錯覚に陥るが、しっかり距離に比例するので、進む距離に応じて濡れる量は決るということになる。
だからスピードを上げて拾う雨の量が増えたのではなくて、時間的な密度が濃くなったということな訳である。


今度は別の濡れる部分を考えてみよう。

条件3
頭頂部や肩などの体の上面は、一定の雨粒を時間に比例して受けることになる。これが時間に比例する部分。

これは立ち止まっているならば延々と一定の量を上面に受け続けることになる。ゆっくり歩いても走るよりは濡れてしまう。距離に比例するのではなく、これは時間に比例するから。

また風の回り込みなどがあると立ち止まっていても体の前面や背面、側面にも雨を受けてしまうことになるため、立ち止まっていても頭頂部しか濡れないかというと条件次第では、他の部分も濡れてしまうということになる。


だから、結論。

頭にハンカチを載せながら走るのは、「主に体上面が濡れることを避けようとして」走っているためである。これだけは時間に比例するので理に適っている。

距離に比例するのは、体の前面に受ける雨のカーテンの通過距離量に比例するので、歩いても走っても一定の条件では変わらない。ここだけを採れば、雨の中で走っても意味はないということが言える。

けど、横風が吹けばそんなことはないはずなので、雨に晒されている時間を避けるために走るのである。


だから走る意味はある!とやっぱりなるのであーる!(笑)



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雷神の筒 読了

2011-08-24 05:31:44 | プチ萌え
あとがきを読んで、『まじ?そこまで』と感じてしまうほどの小説でした。

信長の色々な功績というか考えや着想のいくつかは、この小説の主人公、橋本一巴(いっぱ)の進言によるものという構成で描かれているので、どこまでこの人物の来歴があるかということに触れられたあとがきの内容を見て愕然とした。まぁいい意味で。

信長に鉄砲指南した様子が幾度か出てくるのと、弓矢の名手と戦場で対決した人物であることまでが文献に書かれていて、そこから先の消息が出てこないので、「生かした」形で石山本願寺落城までを描いたということらしい。

しかも山本兼一氏の着眼は、

・塩硝という火薬の輸入経路や自国内生産に到るまでの過程に着目したり、(多分予測した上での創作(フィクション))

・鉄砲・大砲への製造の変遷をこの橋本一巴の発想で転がしたり、

・長篠の戦い、三段構えの鉄砲隊というものを疑って別の戦場風景を描いたり、

ということから、鉄砲隊の創設者という位置付けの男を描くことで、その周辺への創作を容易にしたという感じであった。

いっしん虎徹で描かれた江戸時代よりも、戦国ものの方が好きではあるが、職人と軍人では少し書き方が違っていて、私は山本兼一氏の描く職人の風景が好きなのだと明確に体感できた。

ただ、この雷神の筒で描く「鉄砲」という武器が、どのような人物にどのような欲を齎し、どのような時代に「偶々(たまたま)」着弾したのかという点で面白い読み物である。そして上にも書いた「長篠の戦い」とは、持つ者と持たざる者の戦いなのではないという部分を、物語の途中(後半ではあるが)で丁寧に描いて世に示したかったという作者の想いに触れることが出来たのは良かったと思う。





以前にも書いたが、本当に膨らませる、歴史書の端に出てくるような人物を。いい意味で、この作家は!

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素麺(そうめん)に青海苔!

2011-08-19 13:27:48 | 食べ比べ
男ですので、一人となると単純な食べ物を作ることになる。。。
面倒臭いから、茹でるだけとかチンするだけ、缶詰を開けるだけ。。。。
最低な料理生活ですね。

まぁその中で、茹でて冷やすだけの素麺・冷麦はとても頻発する料理となる。

そこで薬味になるものを少し考えた。

いつもなら・・・・生姜・ネギ(玉ねぎの微塵切りがうちの定番)、、、茗荷、、、他にはゴマ。。。

香辛料の入れ物の中に、おっ!青海苔がある!

青海苔というと、どうしてもソースものの焼きそば、たこ焼き、お好み焼きとの相性ばかりが目立つし、自分もそれには欠かせないものと思っている。
他に使い道はないか!?と思っていたところ、

私はつゆの中に生姜とともに青海苔を入れてみた。

ええーーーっと太鼓判を押すほどではないですけど、いいと思います。

涼やかな風味になると思います。

ということで実家でも薦めてみた。

今日は麺の方にかけてみた。



多分、そのうち我が家では、「素麺に青海苔」は定番になりそうな予感だ。



日大三校と関西高校の試合を食べながら見ています。
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「時は今 天が下知る 五月哉」 敵は本能寺にあり! ~丹波亀山城から謀反経路で本能寺を目指しました~

2011-08-17 02:50:10 | お出かけの記録
本格的に夜襲をかけてもよかったのですが(笑)、それだと拝観や拝殿できないので。。。。展示館が開く10時を目指して、明智光秀が本来なら羽柴秀吉のいる備中高松に赴かずに、本能寺へ向かった丹波亀山城から出発して本能寺を訪れました。

実際にその距離を走ってみて思います。躊躇いはなかったのか?と。

行軍は西に一切向かっていないため、京都を目指す軍勢はその行軍の意図をどのように理解していたのかが疑問でなりません。

桂川を越えた後に発する「敵は本能寺にあり」。初めから京都には向っていた訳です。
元々の行軍にはなんらかの意図があったはずで、それを備中高松への援軍を命じられているにも関わらずというのではなく、京都の別の場所への軍事行動が元々あったのではないか?と思うのです。それは信長の命での「朝廷」もしくは京都にいた「徳川」に対する軍事行動なのか。。。。それとも示し合わせていたとしたら、元々本能寺へ他の軍団と多数を伴っての協同戦線だったのではないか?と思うのです。その軍団が来ない。。。信長を討った後の光秀は。すぐさま安土城に入城して金を家臣にばら撒いてしまう。その行為そのものが、何か「予定と違う」ことが及ぼした動揺の行動の現れのような気がします。


歴史の中で「裏切り者」の汚名を一身に帯びてしまうほどの不忠を、明智光秀がどうして採り得たのか、本当の勝算はあったのか、発作的なものかそそのかされたものか。。。。その後の試合運びの拙さから疑りたくなる部分です。


信長公廟がありますが、今の本能寺は移設された場所にあります。寺町通りの市役所の傍です。



これで私の一連の旅は終わりました。
信長とそれにまつわる場所ばかりを廻ってきました。途中の温泉巡りは別ですが。。。。

当初はこの後甲子園に行くことも、徳島に渡り阿波踊りを踊りまくってくることさえも考えもしましたが、人生の後々の楽しみに取って置くことにしました。

そして京都に来たからには是非とも果たしておきたいいくつかのミッションをこなして来ました。


①京都ミッション1 一澤信三郎帆布訪問
以前会社の同期が一澤帆布の鞄を持っていて、その名札に憧れていました。で、新しいショルダーバックを購入してきました。
悩みに悩んで一つを選り抜きました。1時間以上買い物に悩んで時間を費やすことが他にはなかったと思います。慎重に比べ、持ったり、使っている姿を想像したり、今までの自分の印象が少しは変わる色合いを選んできました。

②京都ミッション2 鱧の串焼きを食べたい!
以前京都を訪れた時に、四条河原町付近の新京極、寺町通の入り口付近の露天で見かけた鱧の串焼き、あれをどうしても食べたくて。。。。もちろん先斗町で鱧尽くしを食べることも可能ですが、一人でそんなことをやってもと(笑)、いつか家族で再訪した際の楽しみにそれは取っておくとして、あの時は「あれ鰻?」と疑って購入に踏み切らなかった鱧の串焼きを是非とも食べて帰りたい!!
寺町通裏の駐車場に戻って、「鱧の串焼き、あれ探してるんですけど」と管理人さんに尋ねてみた。「前は確かにあった、でも今は露天は禁止なんや、にいさん気の毒したな」と諭された。あららら。「嵐山に行けば?ええんとちがいます?」と云われ、「一回り土産物を見て回ってから決めます」としてもう一回りしてみた。新京極を南下していて途中に右を向いて寺町の方角を見ると、真横に伸びている通り、錦というのを発見した!!!
少し市場風で魚屋さんがある!あれれ「うなぎ」の提灯発見、もうすぐだ!そしたら「兄さん、ハモ食っていきなはれ!」と呼び止められた!
『うわぁやった!!あった!』ここにはいまだに2,3軒鱧の串焼きを扱っているお店があります。天婦羅の串も300円で売っていたのでそれも頬張ってきました!!うしっ!ミッション達成!旨い!鱧!!>セシリアさん、情報どうも!お陰様でミッションを思い出しました。


③京都ミッション3 元会社の同期で、実家の城南宮に戻った友達を訪れる
会社では大きなリストラを幾度となく行っています。それに合わせて辞めて行った友達の中に、京都の城南宮に戻って手伝いをしている友達がいます。同期の中でも殉職された仲良しの友達を介した友人であり、私が参加していたもう一つの野球チームのキャプテン。彼は身体を張ったキャッチングが堂に入っていました。
仕事では度熱い議論を何度も闘わしたこともあり、いつか京都に来たら会いにいこうと決めていた相手。
運良く(笑)、彼は笑顔で私を出迎えてくれた。

今まで訪れたことのなかった城南宮、庭を案内してもらった。方位除、御所の南を守っていたのだろうことが容易に窺われる由緒ある佇まいの庭園の敷地を歩かせてもらい、「飲んでいき」と抹茶と菓子を振舞ってもらった。(結構なお手前で!)
あれからのこと、色々と積っていて、実家を手伝う、学校に入り直すと辞めて行った彼のことを時折思い出していたから、礼装を着込み、元気な姿を見たら少し泣けてきた。なんとなく安堵して。
お互い今では別々の道だが、「あの時悩んだことは糧だよな」と一致して、強く握手して再会を約して笑顔で別れた。

そう、彼は京に居る。来ようと思えば色々な思いを引っ提げて何遍でも訪れる場所である。また会える!

そうそう、新居用に御祓いの砂やお札を購入してきました。
もし新居をお建てになる方、で近畿方面の皆様、是非とも城南宮をお訪ねください。



④京都ミッション4 延暦寺を訪ねる
城南宮を最後に、後は帰路につく。どのように帰ろうかの案の一つには、やはり信長まつわりの延暦寺を訪れていこうと決めた。
「天下布武」の文字の入った信長Tシャツを着て訪れる、、、、すいません、企画好きの私としてもそこまで不敬なことは出来申さん!
普通の格好で訪ねました(当たり前だ!)
天台宗、最澄、そこまでは理解していたんですけど、ほぼ鎌倉仏教の開祖がほとんど天台宗からの分派であることを知りました。
それは明智光秀でなくとも畏れる相手であったことでしょう。当時の最高学府機関でもあった訳です。焼き討ちは(信長にも言い分はあるとしても)まるで天○門です。

比叡山のドライブウェイを北へ抜けて行きました。エンジンが唸りを上げるほどの急坂です。



今まだ高速に乗らずにいます。
疲れたので岡崎付近のネットカフェで居眠りしました。で、起きて今これを書いています。

もういいかなと思い、これから高速に乗って家路に着きます。


最後までお付き合い下さり、ありがとうございます。
※後で追記したり、写真を掲載したりして整理します。
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「火天の城」の城跡を訪ねて。。。(安土城跡)

2011-08-16 04:11:04 | お出かけの記録
8月14日はホテルに泊まったので、15日の朝は二度寝するなど遅い出発となった。

目的地は鼓川温泉で一旦決めた最終目的地の「安土城跡」。最近読んだ火天の城の舞台である。
元々滋賀県を訪れたことがなく(通過することは数多くあれど)、少し前の日経新聞の土曜日版の「行ってみたい史跡ランキング」で1位だったのが、安土城跡だったからだ。
恵林寺は8位くらいに入っていた。

そう、この恵林寺と安土城の2つを結びつけ、途中それ以前の居城であった岐阜から安土を目指すルートを引いたのが、一番初めの旅の計画だった。
恵林寺までを一般道で行くことができたので、出来れば「全て一般道を使い、当時の距離感を感じながら」安土を訪ねてみようと思いついた。それが鼓川温泉で思いついた、もうひとつの旅のルール。
「上高地から奥飛騨に向かうところで綺麗なトンネルを通ったら有料だった」ところ以外、安土までは一般道で来れている。

岐阜から安土に向かった昨日は、殊の外疲れていたようで、途中彦根TS(トラックステーションの略だそうです)で仮眠を取ろうと立ち寄った。入浴も食事もできると書いてあったのだが、やっていなかった。続々と入場してくるトラックも事情を知っているようでトイレに立ち寄っては自分のトラックに戻って皆さん仮眠を取られていた。自分もエアコンをかけたまま1時間くらい目を瞑る。

で、岐阜からこっち国道1号線辺りから気づいたこと。

それは、、、岐阜以西、まぁ山から下りてきたのが岐阜だったからこれより東が違うとも言い切れないんですけど、

こっちの地域は右折車の右折タイミングが異常に早いこと!!
車間距離を少しでも開けていると、直進車にブレーキを踏ませるタイミングでもでてくるので非常に怖い!

私はしっかり車間を開けるので、(はっきり云って)飛び込みじゃないか!と思われる一歩手前くらいのタイミングで右折したり、進路進入してきたりするので、運転はかなり慎重になりました。

安土城址、着くと大変な混雑って程でもなく、それこそ色々な地域の車のナンバーを見かけることになりましたが、駐車場も満ぱんってことでもなかったです。かなり埋まってはいましたが。。。

城跡は昭和に入って放置されていたところを発掘調査したものだそうです。

階段はかなり急で本丸跡まで登り詰めるのには、水分が必要です。杖が貸し出されていますので、借りたほうがいいです。
途中の日陰がとてもいい休憩場所になります。
本丸からの眺めはこれより上にあったであろう城を想像しても稲葉山より高いことはないと思います。
ただ、最近の調査の結果、安土城はかなり複雑な構造を持っていたようで、どうも二の丸と本丸が建築物で覆われていたのではないかということらしいです。
本丸にいくまでは建物の中の回廊を上っていく地下からの階段を上っていくので本丸そのものの高さと相まって幾層の城なのだと錯覚してしまう造りになっていたらしいです。



火天の城を拝読された皆さんは、蛇石のことを覚えていられるかと思います。巨大な石を懸命に頂上まで運び、運搬中に事故が起きてしまうというあの石。二の丸より上の本丸辺りの石垣がかなり大きく組み上げられていましたが、蛇石そのものは見当たりません。「信長公記」やフロイスの書いた「日本史」にも出てくるようですからあったことはあったのでしょう。。。。埋まっているのか、破壊されてしまったのか。。。想像すると面白いです。

帰りは総見寺の方を回って降りていきます。

その後、安土城考古博物館と信長の館に寄りました。
そこで自分へのお土産として、「天下布武」Tシャツと「天下布武」印鑑を購入してきました。(笑)
誰も買っていないので、逆にレア?とか思いながら。。。


さぁその後です。

次の目的地は恵林寺の時に薄っすらあって、安土に来て鮮明に思い描けました。(最終目的地変更です、すいません)

源義経元服の里といわれている、道の駅滋賀県竜王町かがみの里で夕飯を取りながら、行程を考えました。
普通に訪ねるのではなく、その道を辿りながら行くのです。
大文字焼きの京都に15日に入ることはかなり危険を伴うことから少し行程を考え直した次第です。そう最後は京都です!


恵林寺から安土まで来て、思いました。織田勢が僧侶を山門に閉じ込めて焼き払ったことを。
この道程(みちのり)は余りにも長いのです。武田を破り、織田勢が敵将(六角氏)が匿われているであろう寺をも包囲することは容易に考えられます。その苛立ちは最高潮に達していたことでしょう。
信長を初め織田勢は宗教や権威を怖れません。畏れないと書いたほうが正確かも知れません。快川紹喜(かいせんじょうき)和尚の名言「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し(火も自ずから涼しの説もあり)」は、その武を持って律を立てる畏怖政治(ある意味独裁)に対して傲然屹立した態度で迎え撃ちます。

ただ、当時の寿命、距離感覚、時間感覚、国土統一という目標、総合して自分達の余命、周辺環境への配慮。。。。それらを勘案して考えるとお互いの立場に思いが募らざるを得ません。



自分の幼少の頃に、信長といえば桶狭間という記憶だけと少し前に書きましたが、もう一つ覚えていたことを思い出しました。
それは父信秀の葬儀の時、信長は位牌に向かって抹香を投げつけるという蛮行を演じています。(怖い・・・)


そして信長ほど謀叛を招いた殿様もいないでしょう。


今私は京都府亀岡市に居ます。京都の街を一旦通過してきました。丹波亀山城のある場所です。
今この記事はその近くのネットカフェで書いています。


私の家の家紋は「丸に桔梗」です。土岐氏の系列?
坂本龍馬も桔梗文だったようです。
もうお分かりですね?


少し眠ってから出発します。
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天下布武への旅

2011-08-15 08:43:22 | お出かけの記録
昨日はあれから温泉が開くのを待っていたんですけど、ネットで営業時間を調べてみると、10時半。調べた時間はまだ7時。
待っていられないと出発を決めた。
スパー美樹、うーーん、以前は無料の露天風呂を持つ道の駅だったらしい。でもその露天風呂は今は足湯に。
温泉は今は宿泊施設に。。。で、日帰り湯の利用客は時間帯を考える必要がある。
下呂温泉街まで戻ることも考えたのだが、縁がなかったのだと思うことにして下呂温泉を離れることにした。
次に向かった場所は岐阜城、金華山。稲葉山城。
多分小学5年生以来の再訪だ。
当時は織田信長も桶狭間くらいしか知らなかった。
その時は家族旅行だったのだが覚えていることといえば、長良川の鵜飼を見に行った時に乗ったタクシーの運転手にボラれたこと。帰りのタクシーの運転手さんに、「すいません。少し迷ってしまって」と提示された金額を見て、行きのタクシーにボラれたことをみんなで気づいた。

岐阜を目指して山道を下って行くと、途中に「国定公園横谷峡、四つの滝」という文字が見えて急ブレーキ。寄り道が信条の旅だとばかりに坂を登って行った。自分はどうも滝とか鍾乳洞というものに反応してしまうようだ。
途中でここから先での駐停車は禁止となっているところに車を停めて、片道1400m+αの山道を登っては滝の案内が出てくる度に降りて行って滝の涼に浸った。山方面から下って来た昨日はそれでも暑かった。山道を登って行く時は自分が滝のように汗だくになっていく。二番目の滝から誰もいない。そしてよくある岩魚の丸焼きや水晶やらクリスタルのお店屋さんはなかった。
逆にあまりにも人がいないことが寂しいというよりも怖かった。


車に戻ると車もうだるくらいに暑く、近くの温泉を探した。
また道の駅の温泉を見つけたが、向かいに「冷やし温泉」なる幟広告につられてそっちに入ることに。
35℃という絶妙な露天風呂があった。私はこれよりぬるいと腰辺りから屈めなくなってしてしまう。
ぬるくて露天の気がしないとみんなが出ていってしまうので、一人で耳まで浸かった格好で背面に浮かんで脱力した。
いつものように大広間で昼寝をしていたのだが、課題を思い出した。えーっとコインランドリー探しです。
実はゆったり館の食堂には蕎麦食べ放題定食なるものがあります。1,850円。13枚のおかわりで横綱とのこと。いわゆるわんこそばのせいろ版だ。わんこそばでは99杯だった私はダイエットも忘れて挑戦しようとしたのだが、今日はもう締め切ったとのことだった。でやっぱりコインランドリーを探しながら、岐阜に向かった。出発して15分も走ったところで見つけてUターンして早速洗濯を始めた。今のコインランドリーは洗剤や柔軟剤は機械がやるので投入しないでとのことだった。
コインランドリー内に居て出来上がりを待ったが暑くて耐えられない。車にもシェードをしていたが暑さは日向には容赦ない感じだった。
夕方に岐阜につき、金華山のロープウェイに乗った。33年ぶりか、長良川と木曽川が遠くに見え、城の最上階から展望すると、信長が天下布武の印を用い始めた気分が分かるようだった。長良川で鵜飼と花火を遠くに見ていたら、家内と息子から連絡があった。


今日はホテルに泊まりなさいとのことだった。自分も少し疲れていたので、岐阜の駅前でホテルを探した。
久しぶりにしっかりした宿泊場所を確保したので、安心して呑みに出掛けてきた。

ホテルの傍には飲み屋さんが沢山あった。焼き鳥は松本でも食べたが、焼酎は久しぶりだった。加江田とかいう焼酎でほぼ撃沈気味。

焼鳥、レバーは私いつもタレです。


ラーメン屋を2軒目に探したが見つからなかったので、韓国料理店に入った。
真(しん)ラーメン、本場の味と言う文句を読んでそれを注文した。


出てきたのはいくらかのトッピングを載せた辛(しん)ラーメンだった。


びっくりしたのだが、顔に出さずに食して、ホテルに帰って寝た。

まぁ面白かったが、自分の食事の引き運のなさが恨めしかった。


岐阜の街の中で発見した、怖い看板、素人の反対ってベテラン?に何を販売しているんだろう?
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松本~上高地~奥飛彈~高山~下呂温泉~

2011-08-14 07:08:09 | お出かけの記録
昨日は上高地を満喫した後に地図とにらめっこ。
合掌造りの白川郷は少し遠い。
うん?飛彈高山の飛彈と竜鉄也の奥飛彈は微妙に離れている。
しかも奥飛彈は上高地にとても近い。
ということので奥飛彈に向かう。
観光案内所か道の駅を目指した。
なんかパンフレットとか置いてるので。温泉に浸かって一眠り。次の寄港地を考えた。まぁ下呂温泉?
とっても有名だし。という感じで夕方、甲子園第4試合が開始された時に奥飛彈の温泉を出発した。

途中にコンビニに寄って、氷とお金の引き出しをしようと高山を訪れた。訪れたら、凄い街並みに感激して立ち寄ってみることにして駐車場を探した。


繁華街の中で演歌を中心に取り扱っているCDショップの2階に停めさせてもらい、街を歩き回った。
朝まで停められるけど、街を一通り歩き切ってしまった。。。

駐車場の近くには公園もあり、国分寺の境内には綺麗な公衆トイレもあるのでまた駐車場での車中泊?とか考えた。(お盆の時期、ビジネスホテルは満室だった)

喫茶店に入り、アイスコーヒーを飲みながらほぼ高山での車中泊を覚悟したのだが、コンビニで出会った観光客の群れに感じるところがあって、下呂温泉に向かうことを決めた。高山はとても風情があって綺麗な街です。でも夜のあの雰囲気が好きでした。


夜遅くに着いた下呂温泉。
三大名湯の一つだそうです。街の中心を流れる川を見て草津の湯畑でしたっけ、あれを思い出しました。
下呂温泉に宿泊するには遅いし、駐車スペースもないので、少し離れた大きなコンビニの駐車場で車中泊しました。

よく庭先で見かける昼間は太陽光で蓄電して夜になると発光するライトと、手でハンドルを回して充電するライトを購入したのでそれを使ってみた。本を読めるくらい明るいです。



結局、今下呂でも大きく離れた馬瀬川の傍の道の駅で温泉が営業を開始するのを待っています。
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松本に泊まり、今上高地に来ています。

2011-08-13 09:52:09 | お出かけの記録
昨日はあれから、石和に戻り、買い物をして昇仙峡の仙娥滝を詣でて、一路松本城を目指して一般道をひたすら北上しました。

諏訪湖を越え、松本城の周辺に着いたのが、21時半頃。
一晩500円の駐車場に車を停めて、街を散策してきました。
おひさまとか岳でのロケ地、舞台らしく、活気がありました。

着いた時に思ったのが、熊谷に似ている。城や街並みを見て、川越に似ている。立呑屋に入ったんですけど、繁華街は大宮に似ている。

なんだか埼玉県に来たような印象を持ちました。



お城の見学をしようと思ったのですが、城の周辺の駐車場が開いてなくてって朝早くからやっている訳もなく、家内が勧めてくれた上高地に行ってみることにして、で今います。(^_^)v凄く涼しくて寒いくらい。パーカーを羽織っています。



途中にあるホテルでセルフコーヒー200円。という看板に誘われて今くつろいでいる真っ最中です。



次はどこいこう。
最終目的地だけは決まっているんですけど。。。

ではまた報告します。
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鼓川温泉に来ています。

2011-08-12 13:11:51 | お出かけの記録
今、石和温泉に行ったら、勧められた鼓川温泉に来ています。
まさか別の温泉を勧められるとは思っていなかった。


今朝実家を早く出て、ひたすら一般道で北上し、恵林寺に行きました。
快川和尚で有名なお寺の山門を訪ねました。

この前の、とあさんの鵜飼当てクイズで出てきた笛吹川。と、歴史好きの上司がよく行くという恵林寺。とても近い距離にあると気付いて思い立って来ています。
石和温泉の観光案内所にいらしたおじさんに「どんな風にゆっくりしたいのさ」と尋ねられて、「ひたすらゆったり浸かっていられるようなぬるい温泉」と答えたら教えてもらいました。

36℃と極めて緩い露天風呂に源泉がかけ流しででていて、多くの人がポリタンクを持ち込んで汲んで行きます。
勧めてくれたおじさんも「トロリとしているから、焼酎割にぴったりだ!」と言っていました。

じゃばじゃば飲んでは、目を瞑ってゆったり浸かる。一旦上がってベンチに腰掛け、またゆらゆらとして、、、。
これを何回か繰り返して来ました。

3時間入場券が県外の人は500円。

恵林寺に行かれる際には、是非ご検討くださいませ。


そいじゃあ、また!!
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GALAXY SⅡを購入しました。

2011-08-10 06:26:51 | Weblog
携帯に少しだけ限界を感じていたところ。。。
いや携帯に期待を寄せすぎたのだろうか。。。

小さいパソコンみたいに使える携帯をなんとか新調したかった。

本当なら皆が使っているiPhoneを購入したり、iPad2やらを購入してみたかったりしたのだが、キャリアというんですか?これが色々な事情があってdocomoのみの選択肢。

XperiaというのもGALAXYの初代というのもあったのだが、様子を見てSⅡが出たところで、購入に踏み切った。

購入に際していつも気になるのは、今まで出来ていたあの機能はどうなるの?ということばかり。
アプリをダウンロードすればたちどころに解決するようだ。
一つ二つと試してみた。



同僚の助けもあり、今はソフトカバーをつけ、今まで使っていたストラップも繋げといた。

便利なアプリとはどのようなものがあるのかを少し勉強していこうと思っている。

今の会社のビジネスがどうしてもそういう方面でのことが中心であるために、世の移ろいの速さにいつまでも「まだいいです」と突っぱね続けている訳にもいかない状態なのだ。
携帯にはポイントという今まで使っているキャリアが使い続けているものにも特典を与えてくれるので、それを利用してみた。


まぁこれからこれを使った投稿をするかもしれないです。


お楽しみに~!(おっ!もうすぐお盆休みだぎゃ!)
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変な日々の疑問 「雨が降ってきたら走るべきか?否か?」 (解決済み)

2011-08-08 07:19:28 | 日々の疑問
突然の豪雨。
走るべきか平然と歩くべきか。。。。

実はある時、ふと疑問に思ったのが、雨を浴びる量が距離に比例するならば、歩いたって走ったってあまり変わらないのではないか?という下らない疑問。

これを思いついたきっかけは、雨の中を車で走行しているときのフロントガラスを叩く雨粒の量が速度を上げることで増えたと感じられたこと。
速度を上げたときにパタパタとガラスを叩く音が大きく鳴り、『速度を上げたことで、結局受けなくてもいい雨粒を受けてしまっているのではないか?』と思った次第。

速度を上げなければ、地表に落ちていたはずの雨粒を速度を上げた自分の車がぶつかっていってフロントガラスに受けてしまったのではないか?という。。。。


はいはいはい。分かってます。分かってますって。(笑)


速度をあげたことで手前で受けるはずの雨粒を避けれたではないか?ということも同時に起きていることを念頭に入れろという指摘でしょ?速度を上げて当ったときの音が強くなっただけだという・・・・ね?
そう、それにはすぐに気付いたんです。
そして次に思いついたのが、

結局というかやはりというか「距離に比例するのだから走っても歩いても変わらないのではないか?」という疑問が次に沸いた訳です。

同じ距離を移動するのに走って行って雨宿りしても、歩いて行って辿り着いても所詮”距離に比例する”のならば、濡れる量は一緒?実は走ることは無意味なのではないか!?という下らない疑問に辿り着いた。

そこでもう一度考え直した。


距離に比例するのならば、走っても歩いても変わらないとするのであれば、
さらにゆっくり歩いても、普通に歩いても変わらないか?という疑問にぶち当たって、そして砕けた。

距離に比例するのであれば、雨の中で雨に打たれながら停まっていても距離に比例するからには距離0mでは”濡れないのか?”というとそんなことはないということで、氷解した。(笑)

結局濡れる量は「雨の中にいる時間に比例する」ことが分かったのだ。(笑)
極端な例で考えてみてやっと分った。

だから
走ることに意味はやはり”ある”ということだ。


最近ゲリラ的な雨に遭うことが多いですね?
皆さんは大丈夫でしたか?



走るにしても周囲の様子をしっかり見廻し、注意を払って走ってください。


ね!!


おそまつさまでした。
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銚子再訪 伯母新盆(しんぼん)にて

2011-08-08 06:56:15 | Weblog
昨日の8月7日、日曜日、親父と叔父叔母と共に東京駅で待ち合わせて、銚子の新盆に伺った。しおさい1号に乗って。

車中はずーーーっとなでしこジャパンの話。
親父の今までのおっかけエピソードやワールドカップの観戦記、今後のロンドン五輪への懸念。もちろんそこには国民栄誉賞の影響はあるのかないのかという点。

叔父の選手に対する愛のこもった数々のダメ出しが炸裂の車中でした。


朝早くから元気な皆様。


銚子に着くと汗だくで駆けずり回っている従兄ちゃん。

「おぉおぉよく来てくれた。どうもどうも」と手動でやっと点けたというクーラーの効いた部屋に案内されて控えていた。

名物と云われた「犬吠の月」という和菓子に冷たいお茶をガブガブ飲みながら、今度は震災の話に始まって、祖父の世代の戦争の話に。誰もが気安くいつまでも「あの叔父貴は?」とか「自分が銚子に来たときはどうだった」という話が盛り上がり続けていた。私には痩せたとかまだ太ってるとか体重の話ばかりであった。


戦時中の話なんて聞くと、夏らしくなって参りました、と感じ入ってしまう。


そしてお坊様が見えられ、お経スタート。

従兄ちゃんはこのお坊さんから様々な忠告を受けていて、祭壇の明かりを灯さずにジリジリしていたらしい。
読経が終わり、「冷たいものでも」とお引止めをしたのですが、「家にも冷たいものはありやすんで」と辞退された住職が出て行くと。。。「点けちゃえ点けちゃえ」と涼やかな灯篭に火を灯してくれた。

お焼香を上げ、今度は従姉ちゃんの構える旅館に移動して、お清め?(というのかしら)の席に。とても綺麗な旅館でした。私が訪れるのは実は初めてでした。
行く途中は一人で東北の温泉の多くを自家用車の車中泊で旅してきた従姉ちゃんのご主人、義兄さんからどんな旅をしてきたのかの情報をたんまりと聴いていた。

席に着くなり、従兄ちゃんは親父に「献杯の挨拶を・・・」と話を振ると、親父は「練習だ。お前やれ」といきなり自分の方へ指名を捻じ曲げてしまい、大パニックに。


従兄ちゃんも「それでは○○家のmac君に献杯の挨拶を」と本当に切り出してしまう始末。

本番なのに『練習とか伯母に失礼じゃないか!』と思いつつ、頭の中がいきなりのことでドロリと熱くなるのを感じながら無我夢中で喋って、無理矢理「それでは献杯」と繋げて杯を掲げてから座った。


健康第一なおじさまがいて、週5回ジムで身体を鍛えていて体脂肪率10数%とかいう話も聞けた。が自分は献杯の挨拶で酔いの周りが早い。
地の魚をふんだんに使った次々に運ばれてくる料理をしっかりと食べてきた。


従兄ちゃんは最後の挨拶にと御墓をまとめるという話をいい機会でけじめだからと切り出した。
心のこもった盆でした。小田原の”極々近い身内だけの”とは大きく違う新盆(しんぼんと発音していた)を迎えた。


銚子の皆様、お疲れ様でした。
持ち帰った天麩羅で天丼をこさえてみました!
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高田純次という生き方

2011-08-05 07:26:38 | Weblog
あんなお年寄りがいるおかげで、なんか生きていく意味がまだまだ沢山あるような気がしています。

素敵なおじさまになりたいというよりも、いつ一体何を言い出すか分からないおっさんになることを目指したい。

他にいないの?って!?

いやぁそこはやはり高田純次さんでしょ!



高田純次スペシャル1
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気になるあの色・・・・

2011-08-02 05:10:51 | 日々の疑問
最近、車が少しだけ判別できるようになってきた。

昔は後ろから見て、書いてあるロゴを読んで判別するというほぼ判っていない感じだった。
最近は前から見てもある程度判る車種が出てきました。

最近では車の形ではなく、段々その色に気持ちが行くことが多くなりました。
CMの影響か、その車種の典型的なスタンダードカラーが存在することはありますよね?昔々のFitでは、赤!
デミオなら・・・緑、最近なら黄緑、
VOXYなら黒?

そう、ホンダに勤める知り合いに、色を作っているという人がいて、色を見ただけで時代を感じたり、新しく感じることってあるなぁと話していて気付いたことがありました。
緑とかで深い色だとなんとなく時代を感じたりしませんか?


そんなことを思い出しながら、最近気になるあの色・・・
それはちょうど『醤油に漬けたサーモン』のようなオレンジ色。

そんな色の車を多く見かけるようになりました。

これは艶がなくて少し違いますが、

とか


など。。。。

次の時代はどんな色の車を押し出してくるのだろうか?
新車という綺麗さでなくても色で最新の車であることが瞬時に判るという配色。

一つの時代を作る仕事だと改めて認識しました。
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川崎のCOSTCO 2011/07/31

2011-08-01 04:38:34 | お出かけの記録
川崎のCOSTCOに行ってきました。
入間のCOSTCOには去年に会員になりまして・・・
それまではずーっとたまに優待で入れる日に会員にならずに割引を受けないで過ごしてきたのですが、ひょんな拍子に会員になりました。

川崎のはとても混んでいて入場に疲れました。。。

今橋本辺りの震災のときにスロープが落下してしまったCOSTCOが閉鎖されたままだからか。。。
川崎への集中が激しいのでしょうか?駐車場はどこの列も待機自動車が5~6台は居て、ハザードを出している感じ。以前から待っているのに、出庫車の近くに待機をし始めた後続車が入っていくと悲しい事態も数多く散見される状況でした。

夕方という時間帯がよくないのかもしれませんが、入間と違い川崎は駐車時間に制限がないのも特徴です。
入間は隣接するアウトレットモールがあるため、COSTCOの方だけいつまでも無料という訳にはいかないので、2時間以降は追加料金が発生します。

一方川崎は産業道路というかなり海浜工業地帯に寄った場所にあるため周辺にあまり施設が存在しません。
なので駐車時間に制限を設けていないのです。ですので昼時は買い物と食事で長期滞在が多いと思われます。


びっくりなのは、川崎と入間は入り口から何から全て反対の世界でした。
まるで鏡の中にいるようでした。
ただ最奥の食品コーナー、お酒まではひっくり返っていましたが、右側から魚や寿司、そこからピザや巻物、ペンネ、鶏肉、豚肉、牛肉という並びの部分は一緒でした。
なのでまた会計に戻っていく時がひっくり返っていて頭がくちゃっと音を立てていくのがわかります。


うちでは一羽丸ごとの鶏と、サーモン、車えびなどを買い、試食した中でペンネと海老を軽いチリソースと粉砕したチーズで和えてあり、家でレンジで15分くらいでできるやつ。。。(すいません名前が出てこない・・・)を買い求めました。

この軽い辛さを持つ海老とペンネが家族の中でも評判が良かったです。

帰りは17時半くらいだったか。。。駐車場は空き始めていました。この時間帯だと夕飯に遅いくらいの時間になりますが、その方が駐車の件では良さそうでした。
どうも横浜は金沢の方にあるようなのでそちらに行かれると思うのですが、東京の東方面にお住まいの買い物客が多いイメージがあります。

今後は訪問時間帯に気をつけたい川崎のCOSTCO訪問でした。
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