萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

語ろうぜ!ガンダム、話そうぜ!エヴァ

2012-05-30 05:12:57 | プチ萌え
語れ!ガンダム。。。。そんな本のタイトルをコンビニで見かけた。

昔々、再放送でガンダムがブレイクしたときはまだ中学生(1年?)。
もちろんプラモデルは作りまくった。そして何故かゲルググあたりで、連邦のモビルスーツよりもジオン軍のモビルスーツの方が圧倒的に個性的で変化に富んでいて面白いことに気付いた。(風疹で休んでいるとき、プラモばかり作っていた)

ただ、当時からマニア的な人物、今で云うオタクがおり、プラモデル屋に行くと、ガンダムの1話から最終話までのタイトルを言えるとかいう子供がおり、行く度に「何話?」と聞かれ、適当に「32話。。。」と云うと、「強行突破作戦!」と即答。「19話」「ランバ・ラル特攻」「「じゃあ46話」というと、「残念、43話の脱出で最終回でした~」と終始こんな感じ。

オタクが暗記知識で迫ってくるのは、本気でどうにかして欲しいと思った思い出。


で、そういう人間にはなるまいと思って過ごしていたところに、『ガンダム芸人』の出現。彼らは少し違って暗記よりも思い入れと全体の解説と面白さの伝道師としての立場を確立していた。


それより以前はエヴァンゲリオン。これはミイラ取りがミイラになった歴史あり。

当時「なんだか流行っているので、個人的に調査してみます」と云って、全てのLDを揃えてしまった。


TV版は最終2話から観たから、『これ舞台なの?』といった心象風景、静止画の数々。『何これ?』から『初めはどうだったのか?』を喚起されてしまった。



まぁまずはガンダム。

ヤマトからガンダムで話が異星人から侵略阻止から、大戦、新人類へ。
あくまで富野さんの描く未来予想図。
経済が成熟してくると人口は減ると思いきや、今のほぼ倍に、、、という設定。
政治の体制も今のものとほぼ変わらぬ選択肢。いやそれでも進んでいるのかもしれないが。。。
ジオンというジオニズムと、ザビ家の独裁で、ファシズム的に描かれる独立を求めるサイド3のジオン公国。これを単純な反乱国家と見做すのが妥当かは悩みどころ。
何故、戦争に突入する必要があるのか?が底辺で流れ続ける様々な問題を探知できるように物語は仕掛け続けられている。。。なので、主人公も単純なヒーローではなかった。逆に戦争出現の正当性を説くあまり、ジオンの主張・背景を強調する結果にもなって、それに靡く人々もしっかり出現した。ある部分で連邦軍ってどうなの?的な論考の出現だ。

そしてロボット。
人型、そのものがどこまで有効なのかは分からないけど、モビルスーツという武器を推し進める両軍。その選択はどうも全て玩具メーカーからの要請も存在した。
作りたいアニメにどこまでの自由度と束縛されるものがあるのか?というのも一つの歴史。


そして、提示されたのが、ニュータイプという新分類される進化した人類の出現。

どこまでも未来予想図のはずなのに。。。。どこかに人類の停滞や陥りがちな人類の業とでも云おうか?宿唖とでも呼べばいいのか?しかもそれほどそのニュータイプが戦争の道具でしか成り得ないという状態らしく、、、、(ファースト以降は本当に知らないのです)。そこにも脚本家の出現が欲しいかも?

セリフの端々から伺える「へぇ~そんな未来になると・・・。確かに成りそうっちゃあなりそう。。。」という感想が妄想を呼び覚ましという循環を持っている物語であるため、マニアというか語るに相応しいアニメであることは事実。

「語れ!ガンダム」では、そういう部分に触れつつ、モビルスーツの人気投票だとかの柔らかいものも掲載されている。


そしてエヴァ。再編の映画版になって少し付いて行けてないが、前の映画版までは確実に監督の茶化しと大衆の想像力(妄想)の化かし合いに発展していた。


よく云われるテレビ版の放映に間に合わない状況から苦しんだ末に生まれた最終話。あれで完結かよ?の罵声(私は面白いエンディングと賞賛していたのだが)に、監督は最悪最低の人類の宗教的な帰結を映画化した。
謎めいた設定に解がないというのが一番の不満らしいけど、不満はその後の大きな需要に化けた。

逆に映画館で毒づく人間も出現。「こんなの観て、喜んでる奴の気が知れんわ!」と。


そして今の映画。再編も再編で別のストーリーになってしまっている部分も。。。

観て覚えている限りで云えば、あれも監督の「どうせ」に満ち溢れている気がしてならないのだが、もうそろそろ公開でしょうか?最終回。。。


エヴァの件はまた書きます。


単に。。。。日本のアニメーションは、ヤマトが一段上を示し、ガンダムがもう一段上を見せ付け、エヴァが昇華させた感が否めない訳でございますよ。

と俺今いくつだ?


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TECHNOPOLIS RYDEEN テクノ談義

2012-05-26 07:54:08 | No Music, maybe, No my Life!
TECHNOPOLIS RYDEEN


YMO - COSMIC SURFIN' ~ ABSOLUTE EGO DANCE (2011.08.07 夢の島公園陸上競技場)


YMO 11 LA FEMME CHINOISE 中国女@HURRAH, NY 01/11/1979



イモ欽トリオ - ハイスクールララバイ (サタネプ ベストテン! 2012.03.03)

実は長江健二さんのことが話題になり、、、、もちろんpadaさんの持論。日本のテクノの始祖と崇めました。
吉さんのラッパー日本の始祖説は近田春夫さんも申していたそうです。
しかもこの曲、作曲は細野治臣さんと!!なんだ!そうだったんか。。。いい音していると想った。


うなずきマーチ

こっちは大瀧詠一さんの作曲だし!と考えていたら。。。。



ザ・ぼんち 『恋のぼんちシート』

これは近田春夫さんの作詞作曲じゃん!!


テクノから漫才ブームを一巡した春の夜でした。
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寺田寅彦を想う

2012-05-24 05:18:56 | プチ萌え
以前、新聞に掲載されていたエッセイに、「分類の良し悪し」というタイトルのものがあった。
東大名誉教授 和田昭充氏の書いたものだが、趣旨はこうだ。

「人は全て二分法で物事を測る」というもの。括る(くくる)というのが正確なのかもしれないが、事象を分類したり、物事を捉えるのに、また便宜的に物事を理解するのに役に立つというのである。真偽、美醜、硬軟、、、、善悪?正否。。。。。(正の対は誤?)

自分を振り返ると、同じようなことが云える。

人を判ずる時に、「変わった人」「真面目そうな人」「面白い人」「運動家(スポーツ分野です。not思想家)」「歌好き」「仕事熱心」「いい加減」などと、相手に対するキーワードを一つぽっこりと当てはめて、丸呑みにしようとする傾向がある。

これも一つの分類法。記憶法の一種かもしれないけど。


そのエッセイは最終的に、こういう分類による「決め付け」の悪作用に話が拡がっていく。沃野はその二分されている境界線にこそあるという。

最終的に科学者が本質的か否か(非本質)という二分法で物事を捉えることがあるが、そもそもサイエンス研究は全て本質の探究であり、そんなものは自分が無知で、自然の奥深さを知らないと云っている様なものだと辛辣に言い放つ。(おそらく科学者には自身の立つ分野、領域という概念が横たわっているのだろう)

そこの最後に出てくる言葉が重く、科学の進歩を妨げるものは、科学者自身の「科学の使命と本質」の忘却にあると断ずる。謙虚であるべきだと。。。。。

と云った寺田寅彦の警告に心すべきであると締め括られていた。

もちろん、自分の人間分類法もいい加減。第一印象だけで捉えて全ての人が収まるわけがない。。。まぁどうでもいい話だけど。



で、寺田寅彦。。。。

えっ?誰だっけ?

は?夏目漱石の弟子?

うん?科学者?

そうだっけ?


と随筆集を買ってみることに今決めた。

科学者で文学を目指した人だとしたら、、、、まだまだ知らない世界が一杯あるなぁ。。。

読みたいものだらけで追いつかないよ。。。。


以下のリンクを貼っておきます。

寺田寅彦 地図をながめて




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12人の優しい日本人

2012-05-21 23:11:59 | 映画
久々にTSUTAYAに行くと、旧作1本7泊8日100円だと~!

もちろん、寅さんでも借りて魂を鎮めるかと入ってみた。

借りたのは、第39作 寅次郎物語、日本沈没、12人の優しい日本人の3品。

このブログ内でも三谷幸喜作品については、折に触れ紹介してきたつもりだったが、大好きな「12人の優しい日本人」に対する記述がチロチロとしか見当たらない。

ステキな金縛りが法廷物だったのだけれど、not監督作品で、パロディでパロディじゃない仕立てに仕上がっている、この作品。逸品中の逸品。


公開当時はまるで知らず(1991年 大学在学中で映画、特に邦画が大好物だったにも関わらず、就職活動で映画への興味が若干ビジネスに捻じ曲がっていた頃のこと)、就職してしばらくした夜。眠れない目を擦りながら、点けっ放しだったブラウン管テレビに目をやると、なんだか喧々諤々と議論をしまくっているではないか?(後で見直したら冒頭の部分だった)。

何かと思ったら陪審員だという????
裁判員制度の話題もまだでていない頃のこと。12人の怒れる男達のパロディ映画かぁ。と高を括って観始めた。

確かプロットは「怒れる・・・」のものだが、テイストがまるで違う。
真面目に馬鹿な想像で決め付けたり、いやいやと頭(かぶり)を振って、相手に取り入らない。

有罪か無罪かの根拠を「フィーリング」としか言い様がないとした男性と、理由がなくちゃいけないんですか?という女性が最後まで皆の決め付けたストーリーに異を唱えるのだ。


議論とは、論点をここまで描き切りながら、皆が共有して出来ることが本当の理想だが、途中から議論に参加してくるメンバーに状況を話す時点で間延びしたり、ボヤけたりしてしまうことが多いのではあるが、
ここは映画の世界。

全ては皆の期待するエンディングを少し翳める様な飛行を見せつつも、意外な方面へと飛び立っていく。

もしまだ観たことがない人がいたら、お薦めします。
ちょうどステキな金縛りが最新作で並び、関連作品として、他の作品も並びだしているところです。



鈴木京香のラヂオの時間も今度見直そう!

と思った初夏の夜なのでした。

お休みなさい。

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写真で一言ならぬ、写真で記事一本

2012-05-13 07:18:27 | お出かけの記録
GWには、盛岡に居る親類(家内の従兄姉)の事業継承のご挨拶を兼ねた結婚御披露目会に参加してきました。

盛岡の手前中尊寺が世界遺産登録で大賑わい。

でも、盛岡にも名店があることを教えてもらい、家族で意気揚々とおでかけ!
到着してから御披露目会まで5時間もあるし!

ということで、白龍(パイロン)にじゃじゃ麺を食べに!!


うへぇ~!!!!長蛇の列!!!

そこに義兄さんからのメール。
facebookで呟きも。

前の白乾児(パイカル)も美味しいよ。とのこと。行くなら餃子を土産に買ってきてほしいとのこと。

そこで全員餃子に私はじゃじゃ麺、義姉さんは五目餡かけ焼きそば、家内はタンメン、息子はライスという構成で食事をしてきました。


まずですね、餃子。今思い返してみてもあんな餃子、食べたことないってくらいの餃子でした。美味しかった。

野菜であの甘さがでるのかな。。。。とても不思議。お土産に買ってきてとねだる義兄さんの言ってる意味も分かります。少し甘いんです。どうしてああいう味の餡になるのか。。。
挽肉の部位の問題?

そこで次にじゃじゃ麺が届いた。

私はもう色々あるタレだの付け合せの生姜などをガシャガシャと混ぜて食べ始める。
そしてみんなにおすそ分け。

美味い!少し大人な味なので、息子にはわからないだろうけど、これは美味しい食べ物だ!辛い冷麺とかいうよりも味噌なのでね。

タンメンは普通だったけど、餡かけ焼きそばも美味しかった。

義姉さんは「一番の当たりは私だ!」と主張しまくり。。。

夜の会場では息子がはとこの男の子と意気投合。
二人で唄を歌いまくる、物怖じなし。

二次会のカラオケでも息子唄いまくり、、、誰に似たんだか。。。

三次会は家内の居ない家内の従兄姉連に加えてもらい、バカ田大学の校歌を熱唱しながらスナックに。

そして盛岡の夜は更けていく。。。。楽しい夜更かしでした。



翌日、正月にも行ったまつぼっくりにアイスクリームを食べに行きました。
小岩井の桜はちょうど見頃で天気は曇だったですけど、綺麗でした。
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お茶にお金を払うようになるまで・・・

2012-05-07 02:38:05 | 懐かしい思い出
烏龍茶の日本における歴史を調べてみたら、1981年に伊藤園が登場させたらしい。
1970年代には、ピンクレディーが美容のために飲んでいるということで話題にもなったらしい。
1981年2月に伊藤園が缶入りで登場させ、
1981年12月にサントリーも缶入りで登場させる。
1985年に伊藤園が緑茶も缶入りで登場させたときにとうとう烏龍茶も市民権を得て、広まっていったという。。。

私は、このお茶にお金を払うということを、駅で弁当屋さんから熱いビニール容器入れのものを購入することしか頭に入れておらず、お茶、ましてや水に、コーラやファンタやスプライトやチェリオと同等の価値を見出して、お金を払うようになるとは夢にも思わなかった。

これには突破口が存在して、確実に誰かが購入したのを見て、初めて自分達も購入してみようとなった飲み物であることが分かっている。。。。


それは忘れもしない、高校時代に組んでいたバンドで、小田原の太田ビルの地下でいくつかのバンドと合同でコンサートを開いたときのこと。
ボーカルが初めて、ステージに持ち込む飲料でも「ポカリスエット大流行」であったバンド内にサントリーの烏龍茶の缶を持ち込んで、度肝を抜いたところに始まる。

もちろん、他のメンバーの感想は、「よく買ったな!」という武勇伝めいたものであり、その後みんなで競うようにして烏龍茶を買い始めた。

この後、サントリーと伊藤園、どちらが本格か?論争が勃発!
このとき、本格とされたのは(最初に出したこともあって)伊藤園だった。


しかし、ボーカルが「烏龍茶って喉が絞まる」らしいので、『ステージで飲むのには不向きだ』と云い始め、止めるのもボーカルからだった。。。。

その年代は1984年から1985年の初頭であった。それまでは私はお茶類にお金を投じることをまるで良しとしていなかった。



次にペットボトルの登場はいつだったのか?何から始まったのか?ということを考察していきたい。

自分は缶入りで350ml缶でメローイエローやらセーフガード、マウンテンデューを購入するのが好きだったことから、缶での自動販売機、店頭購入が当たり前だったのが中学・高校時代だと思う。。。
1983年にコカコーラが前年に導入したものを全国展開しているらしく、中学の末期にはこれに出遭う可能性があった?本当?

それまでは醤油の入れ物だっただけだったそうだ。。。

コーラはペプシの300ml入りの瓶が出来る前はコカコーラの190mlの麗しい形のもの。味やブランドよりは量を採る小学生時代は、確実にチェリオかペプシ。ペプシは300mlや蓋の裏をめくると当たりや外れが出るものが流行り、スターウォーズや王貞治の756号の下敷きとかはペプシからのものだった。でも瓶。ペットボトルは500mlからスタートしている?だとしたらお得感は小学生の間でも響いただろうが、150円という少し値段もアップした感じがいつまでも自分の中では市民権を得にくい状態だったのだろうかと考える。

高校時代にバンドではポカリスエットだったと書いたが、これも缶だった気がする。

高校時代に、ペットボトルがあった?としたら。。。。セブンイレブンで見かけていたかどうか?という時分かぁ。。。家の裏にセブンイレブンが出来たのって・・・・中学時代?いや小学校時代?
お菓子屋さんだったうさぎやさんが本当に7時から23時(夜11時)の間開く状態でのコンビニを開業したのが、1980年~1982年とかだったと思う。
中学時代には通学路にもセブンイレブンが登場するが、それ以前はうさぎやさんが一番初めだった。そこで見かけたのかなぁ。。。。

本当に復刻してもらいたいのが、当時のテレビ欄とか?いう新聞の後ろ面ではなくて、当時のコンビニの飲料の並びとか?の写真が見たい!

大学時代には、C1000タケダ、オリゴCCとか鉄骨飲料とかがブームだったし、高校時代まではラガービールが牙城だったビール業界に(飲んでませんよ)、アサヒがスーパードライを投入して、キリンは一番絞りに行き、サントリーは焼酎に行ってしまったのも大学時代。



時代を感じさせるものに、流行や時事があるが、コンビニの飲料の並びにはそこそこの時代が滲む様な気がしてならない、今日この頃です。
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