子供のころに夢中になっていたものを思い出すことが多い。
純粋にその当時はどう思っていたのか?ということ自体を思い出す。
だって色々知らなかったから、今の自分には思いつかないことや想像を膨らまして怖がったりワクワクしたりしたものだ。
探偵小説というと、ハードボイルドの流行が高校時代にあって、それに憧れたりもした。
レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウのイメージ。
男の質として、真逆だったからこその憧れだったのかな?
他にも北方謙三や大沢在昌なども軽くではあるが読んだ。逢坂剛のカディスの赤い星とかもそうだったかな?
最近は特に小説というものは歴史ものに限られているし、それでもあまり読まなくなっている。
何してんだ、本当に…という感じではあるが、他の「時間を奪うもの」に翻弄されているのだろう。
上手いもんだ。本当に…。
興味がなくなったんではなくて、興味の向かう先が次々と現れる。
話を戻そう。
昔読んだ、「よかった」という感想を持っている小説を思い出すことで、何かを取り戻そうという意識はあるようなのだ。
きっかけは、坂口良子さんのご逝去だった。
横溝正史・市川昆タッグの作品にはよく登場されていた。
本当は池中玄太80キロでの暁子役のイメージの方が強いんだけど、半ペラとか楠公さんとかと一緒にね。
でもきっかけはそうだった、「あぁ獄門島とかに坂口良子さんでてたなぁ。。。『きちがいじゃが仕方ない』というトリック、あぁあったあった」と思い出した。
※季語の季節が違うという意味です。
うちの長男が成長し、小学3年生。本も読むけどゲームばっかり。
でも自分だってボードゲームや探偵小説ばかりを読んで暮らしてたんだった。
やはり思い出す一番の原点は、怪人二十面相。明智小五郎と少年探偵団の小林君の活躍だ。江戸川乱歩の世界。
作品は沢山あったのだが、すぐに思い出すのは電人M。
青銅の魔人、夜光人間、サーカスの怪人、、、、。
少し大人な読み物では黄金仮面など、不思議な世界観な作品が多く、今思えば電話も携帯などが流行しだすとアリバイなどを含めて成立し難い設定なものも結構出てくるとは思うけどね。
でも奇想天外なシチュエーションや頭に浮かんでいた風景は、思い出すと暗くもう一度読み味わってみ直したい世界だ。
本を読むスピード感も当時は10頁も読めば、はい次の日ということもあっただろうなぁ。でも挿絵が入っていたのでそれを励みに読み進めていったこともあった。
挿絵がなくなる小説にいつ踏み出せたのだろう?
課題図書みたいなものを読むのが好きではなく、無理に読まされるのが嫌いだったから、逆に名作みたいな文芸作品の記憶があまりない。
でも、国語の教科書や課題図書に選ばれたくて書かれていたわけでもないのだ、その名作群も。
そう思うと勿体ないことをしたなぁと思う。
純粋に発表したいと思っていたわけで、、、、でも時代の背景が違う。
テレビもなく、さらにはラジオも普及していない頃の作品には、それなりの威厳が漂っていた(いる)のかもしれない。
まぁじゃあそういうものも著作権も切れて、安く普及しだしたものもあるだろうから、、、いや図書館で借りれるものを借りてみますか?
小学校の当時には、映画化されて話題になることで、小説にも興味が出たのが、横溝正史作品。
「悪魔が来りて笛を吹く」「犬神家の一族」などの宣伝から、本屋さん(伊勢冶書店さんです)に出向き、おどろおどろしい表紙に惹かれて購入しだしたのであろうことは想像できる。
小松左京の「復活の日」などの作品もあったことから、映画と小説のコラボで相乗を狙っていた角川文庫の思惑にまんまと乗っていたのであろう。
前にもどこかで書いたと思うが、「Let it be」はビートルズが悪霊島のために作った作品だと思っていたし、解散していたことは辛うじて知っていたのだが、本当に再結成したのだと思っていた。
もちろんシングルレコードも悪霊島のカバーのものを買ったしね。
映画『悪霊島』 予告篇
ニコ動にはあったんだけど、let it beの外れてる予告編付けときます。
そういえば、探偵ってなんだろう?と当時から思っていた。持っていたイメージは頼まれて調査する刑事?
いや一体なんなんだろ?探偵って。
浮気や素行調査のイメージの方が今では上だが、行方知れずになった人を探してほしいとか?
金田一耕助も何か頼まれていたような気がする。八つ墓村の時とか。
警察なども頼りにするくらい優秀な調査・捜査能力を持った人?少なくとも横溝正史作品の中の金田一耕助はその通りだ。
依頼がある訳ですね。金田一耕助が巻き込まれるきっかけは…。少なくとも。復員してきた人を探してほしいだとかいう…。でも犯人を捜してくれという話では基本ないのでは?なかったかとも
思うんだけど、、、、真相という類のものを引き出したいという欲求はテレビの前の視聴者が事件の背景を知りたいとか思うこととまるで変わらないと想像すれば、探偵が事件と相俟って登場してくるのも
ある程度は理解できる。
当時は相談に来る先が間違っているんじゃないのか?
などとは微塵にも思わなかったのだろう。
導入部分にごつごつとした説明なんて出てこなかったはずだ。依頼は不思議であってもそれを感じさせないスムーズなイメージから一気に妖しいというか怪しいという雰囲気や風習をもつような、土着な感じの場所で、
しきたりとか言い伝えなどを交えた事件構成に持ち込まれ、で、そういった(子供でもそんなこと今の時代でも起こるか?と思えた)祟りとかを元にした猟奇的なことが起こってしまい、結局そういう言い伝えそのものにも
人間の欲望やら虚栄やら汚れた部分をデフォルメした象徴のような形で事件が出来上がっていることを暴く。歴史は繰り返すのね。当時の真相と混ざり合って…。
就職してからも一時期横溝作品は古本屋さんを見かける度に買っていたのだが、今はもうどこかに行ってしまったか処分してしまったか。
これらも図書館で借りて、グイッと読んでしまおう。
思い出し読み。
小説がもつ簡潔で紆余曲折が適度と(思い返すと)思えさせられた作品に触れてみて、「書けるのか」やっぱりそんなものは「書けないのか」を考えてみたいと思っている。
純粋にその当時はどう思っていたのか?ということ自体を思い出す。
だって色々知らなかったから、今の自分には思いつかないことや想像を膨らまして怖がったりワクワクしたりしたものだ。
探偵小説というと、ハードボイルドの流行が高校時代にあって、それに憧れたりもした。
レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウのイメージ。
男の質として、真逆だったからこその憧れだったのかな?
他にも北方謙三や大沢在昌なども軽くではあるが読んだ。逢坂剛のカディスの赤い星とかもそうだったかな?
最近は特に小説というものは歴史ものに限られているし、それでもあまり読まなくなっている。
何してんだ、本当に…という感じではあるが、他の「時間を奪うもの」に翻弄されているのだろう。
上手いもんだ。本当に…。
興味がなくなったんではなくて、興味の向かう先が次々と現れる。
話を戻そう。
昔読んだ、「よかった」という感想を持っている小説を思い出すことで、何かを取り戻そうという意識はあるようなのだ。
きっかけは、坂口良子さんのご逝去だった。
横溝正史・市川昆タッグの作品にはよく登場されていた。
本当は池中玄太80キロでの暁子役のイメージの方が強いんだけど、半ペラとか楠公さんとかと一緒にね。
でもきっかけはそうだった、「あぁ獄門島とかに坂口良子さんでてたなぁ。。。『きちがいじゃが仕方ない』というトリック、あぁあったあった」と思い出した。
※季語の季節が違うという意味です。
うちの長男が成長し、小学3年生。本も読むけどゲームばっかり。
でも自分だってボードゲームや探偵小説ばかりを読んで暮らしてたんだった。
やはり思い出す一番の原点は、怪人二十面相。明智小五郎と少年探偵団の小林君の活躍だ。江戸川乱歩の世界。
作品は沢山あったのだが、すぐに思い出すのは電人M。
青銅の魔人、夜光人間、サーカスの怪人、、、、。
少し大人な読み物では黄金仮面など、不思議な世界観な作品が多く、今思えば電話も携帯などが流行しだすとアリバイなどを含めて成立し難い設定なものも結構出てくるとは思うけどね。
でも奇想天外なシチュエーションや頭に浮かんでいた風景は、思い出すと暗くもう一度読み味わってみ直したい世界だ。
本を読むスピード感も当時は10頁も読めば、はい次の日ということもあっただろうなぁ。でも挿絵が入っていたのでそれを励みに読み進めていったこともあった。
挿絵がなくなる小説にいつ踏み出せたのだろう?
課題図書みたいなものを読むのが好きではなく、無理に読まされるのが嫌いだったから、逆に名作みたいな文芸作品の記憶があまりない。
でも、国語の教科書や課題図書に選ばれたくて書かれていたわけでもないのだ、その名作群も。
そう思うと勿体ないことをしたなぁと思う。
純粋に発表したいと思っていたわけで、、、、でも時代の背景が違う。
テレビもなく、さらにはラジオも普及していない頃の作品には、それなりの威厳が漂っていた(いる)のかもしれない。
まぁじゃあそういうものも著作権も切れて、安く普及しだしたものもあるだろうから、、、いや図書館で借りれるものを借りてみますか?
小学校の当時には、映画化されて話題になることで、小説にも興味が出たのが、横溝正史作品。
「悪魔が来りて笛を吹く」「犬神家の一族」などの宣伝から、本屋さん(伊勢冶書店さんです)に出向き、おどろおどろしい表紙に惹かれて購入しだしたのであろうことは想像できる。
小松左京の「復活の日」などの作品もあったことから、映画と小説のコラボで相乗を狙っていた角川文庫の思惑にまんまと乗っていたのであろう。
前にもどこかで書いたと思うが、「Let it be」はビートルズが悪霊島のために作った作品だと思っていたし、解散していたことは辛うじて知っていたのだが、本当に再結成したのだと思っていた。
もちろんシングルレコードも悪霊島のカバーのものを買ったしね。
映画『悪霊島』 予告篇
ニコ動にはあったんだけど、let it beの外れてる予告編付けときます。
そういえば、探偵ってなんだろう?と当時から思っていた。持っていたイメージは頼まれて調査する刑事?
いや一体なんなんだろ?探偵って。
浮気や素行調査のイメージの方が今では上だが、行方知れずになった人を探してほしいとか?
金田一耕助も何か頼まれていたような気がする。八つ墓村の時とか。
警察なども頼りにするくらい優秀な調査・捜査能力を持った人?少なくとも横溝正史作品の中の金田一耕助はその通りだ。
依頼がある訳ですね。金田一耕助が巻き込まれるきっかけは…。少なくとも。復員してきた人を探してほしいだとかいう…。でも犯人を捜してくれという話では基本ないのでは?なかったかとも
思うんだけど、、、、真相という類のものを引き出したいという欲求はテレビの前の視聴者が事件の背景を知りたいとか思うこととまるで変わらないと想像すれば、探偵が事件と相俟って登場してくるのも
ある程度は理解できる。
当時は相談に来る先が間違っているんじゃないのか?
などとは微塵にも思わなかったのだろう。
導入部分にごつごつとした説明なんて出てこなかったはずだ。依頼は不思議であってもそれを感じさせないスムーズなイメージから一気に妖しいというか怪しいという雰囲気や風習をもつような、土着な感じの場所で、
しきたりとか言い伝えなどを交えた事件構成に持ち込まれ、で、そういった(子供でもそんなこと今の時代でも起こるか?と思えた)祟りとかを元にした猟奇的なことが起こってしまい、結局そういう言い伝えそのものにも
人間の欲望やら虚栄やら汚れた部分をデフォルメした象徴のような形で事件が出来上がっていることを暴く。歴史は繰り返すのね。当時の真相と混ざり合って…。
就職してからも一時期横溝作品は古本屋さんを見かける度に買っていたのだが、今はもうどこかに行ってしまったか処分してしまったか。
これらも図書館で借りて、グイッと読んでしまおう。
思い出し読み。
小説がもつ簡潔で紆余曲折が適度と(思い返すと)思えさせられた作品に触れてみて、「書けるのか」やっぱりそんなものは「書けないのか」を考えてみたいと思っている。