ボディダブ「ル」→「ル」ーカス・フィルム。
ルーカス・フィルム(Lucasfilm)とは、映画監督ジョージ・ルーカスが立ち上げた制作会社のこと。
『スターウォーズ』シリーズ(77~2005)や『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~2008)などを制作している。
盟友スピルバーグを永遠の映画少年と評するならば、ルーカスは神経質な技術屋さん、、、といったところか。
ただこれは80年代のイメージであり、当時はジョークも通じない感じだったが、現在はそんなこともなさそうである。
技術屋というのは・・・
ジェームズ・キャメロンが「これほど」目立つ以前は、映画とテクノロジーといったら「このひと」というイメージが、ルーカスにはあったから。
だからこそ、パナソニックのCMなどに出演していたのだろう。
実際、ルーカスにまつわる「技術系? キーワード」は多く、
劇場設備のチェックなどをおこなうTHX(=社名は、ルーカスの監督デビュー作『THX-1138』より)、
音響制作をおこなうスカイウォーカー・サウンド、
スタジオILM(=Industrial Light & Magic)・・・
などなど多岐に渡るが、個別にしりとりで取り上げるかもしれないので、このへんの解説は割愛しておこう。
象徴的だなぁと思ったのが、10年くらい前に映画雑誌で読んだ記事。
コッポラとスコセッシを自宅に招いたルーカスが、巨匠ふたりに「デジタル技術」の素晴らしさを説き、その活用を勧めていた、、、というのである。
やっぱり技術屋さんなんだよね―と思わせる内容だが、映画監督としての才能はどうなのか。
『スター・ウォーズ』シリーズを除いてしまうと、監督作はわずか2本。
デビュー作と、『アメリカン・グラフィティ』(73)だけなのである。
しかし凡庸でないことは、この青春群像劇に触れただけで分かる。
こういう映画を撮れるのであれば、もっともっと監督作を観てみたい、、、と思わせるだけの魅力を持っているのであった。
・・・と、ここまでの文章では、ウィキペディアとたいして変わらない印象を受けるだろう。
というわけで、ここから自分らしさ全開で。
かなり前に、ルーカス一家を捉えた集合写真が雑誌に載ったことがある。
それを友人に見せ、敬意を表しつつ馬鹿にした自分が居る。
曰く「成功者は、歩くのが嫌いらしい」。
家族全員が、まるまると太っていたからである。
そのなかにアマンダという少女が居たことは、ぼんやりと覚えている。
そして去年、成長した彼女と話す機会を与えられた。
アマンダ・ルーカスという本名で、女子総合格闘家として日本にやってきたからである。
日本の格闘家・北岡悟は彼女を「メタボなんじゃないか」と評していたが、だとしても「動けるメタボ」である。
重いのに速い―を武器に、なかなかの好成績を残しているのだから。
じつは養子という間柄なのだが、実際の親子以上の絆がある―と娘も父もいう。
とくに父は愛娘の日本での活躍を誇らしく思っているようで、たびたび応援メッセージのビデオを送ってくれる。
しかもファンサービスを忘れず「フォースとともにあらんことを」と、恥ずかしそうにいうのである。
この映像を観たときから、あぁジョークが通じるようになったんだな・・・と思うようになった。
アマンダのセコンドとして来日する日、、、は、意外とそう遠くないのかもしれない。
・・・って、ルーカスそのものへの言及ばかりになっちゃった。
次回のしりとりは、ルーカス・フィル「ム」→「む」らきよしろう、とつづく。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『ミザりる』
ルーカス・フィルム(Lucasfilm)とは、映画監督ジョージ・ルーカスが立ち上げた制作会社のこと。
『スターウォーズ』シリーズ(77~2005)や『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~2008)などを制作している。
盟友スピルバーグを永遠の映画少年と評するならば、ルーカスは神経質な技術屋さん、、、といったところか。
ただこれは80年代のイメージであり、当時はジョークも通じない感じだったが、現在はそんなこともなさそうである。
技術屋というのは・・・
ジェームズ・キャメロンが「これほど」目立つ以前は、映画とテクノロジーといったら「このひと」というイメージが、ルーカスにはあったから。
だからこそ、パナソニックのCMなどに出演していたのだろう。
実際、ルーカスにまつわる「技術系? キーワード」は多く、
劇場設備のチェックなどをおこなうTHX(=社名は、ルーカスの監督デビュー作『THX-1138』より)、
音響制作をおこなうスカイウォーカー・サウンド、
スタジオILM(=Industrial Light & Magic)・・・
などなど多岐に渡るが、個別にしりとりで取り上げるかもしれないので、このへんの解説は割愛しておこう。
象徴的だなぁと思ったのが、10年くらい前に映画雑誌で読んだ記事。
コッポラとスコセッシを自宅に招いたルーカスが、巨匠ふたりに「デジタル技術」の素晴らしさを説き、その活用を勧めていた、、、というのである。
やっぱり技術屋さんなんだよね―と思わせる内容だが、映画監督としての才能はどうなのか。
『スター・ウォーズ』シリーズを除いてしまうと、監督作はわずか2本。
デビュー作と、『アメリカン・グラフィティ』(73)だけなのである。
しかし凡庸でないことは、この青春群像劇に触れただけで分かる。
こういう映画を撮れるのであれば、もっともっと監督作を観てみたい、、、と思わせるだけの魅力を持っているのであった。
・・・と、ここまでの文章では、ウィキペディアとたいして変わらない印象を受けるだろう。
というわけで、ここから自分らしさ全開で。
かなり前に、ルーカス一家を捉えた集合写真が雑誌に載ったことがある。
それを友人に見せ、敬意を表しつつ馬鹿にした自分が居る。
曰く「成功者は、歩くのが嫌いらしい」。
家族全員が、まるまると太っていたからである。
そのなかにアマンダという少女が居たことは、ぼんやりと覚えている。
そして去年、成長した彼女と話す機会を与えられた。
アマンダ・ルーカスという本名で、女子総合格闘家として日本にやってきたからである。
日本の格闘家・北岡悟は彼女を「メタボなんじゃないか」と評していたが、だとしても「動けるメタボ」である。
重いのに速い―を武器に、なかなかの好成績を残しているのだから。
じつは養子という間柄なのだが、実際の親子以上の絆がある―と娘も父もいう。
とくに父は愛娘の日本での活躍を誇らしく思っているようで、たびたび応援メッセージのビデオを送ってくれる。
しかもファンサービスを忘れず「フォースとともにあらんことを」と、恥ずかしそうにいうのである。
この映像を観たときから、あぁジョークが通じるようになったんだな・・・と思うようになった。
アマンダのセコンドとして来日する日、、、は、意外とそう遠くないのかもしれない。
・・・って、ルーカスそのものへの言及ばかりになっちゃった。
次回のしりとりは、ルーカス・フィル「ム」→「む」らきよしろう、とつづく。
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明日のコラムは・・・
『ミザりる』