Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(99)

2014-10-25 00:30:00 | コラム
上京して初めて住んだのは、調布市。

群馬に居たころは、調布と田園調布をごっちゃにしていた―くらいの認識だからね、街を歩けば有名人にぶつかる、、、などと思っていた。
とはいえ群馬の片田舎よりも「ぶつかる可能性?」はある、

蟹江敬三…俳優
塩沢とき…俳優
藤波辰爾…プロレスラー
井上光晴…作家

―が、当時住んでいたとされているが、自分は会ったことがない。

また、石原プロモーションの事務所があり、自分はその区域を担当する新聞奨学生だったから、朝刊はともかく、夕刊配達時は「軍団の誰か」に会えるのではないか―と同僚にもいわれたが、「予備軍、みたいなひと」には毎日顔をあわせるものの、「あぁ舘ひろしが!!」みたいなことは滅多になかった。

「滅多に」ということは、ごく稀にはあったのか?

うん、たしかにあった。
峰竜太と舘ひろしが談笑している空間に、夕刊を届けた―19歳の秋だったか、どちらのファンでもないし、撮影所内の学校に通っていたわけだから、そのころには有名人への免疫も出来ていたはずだったのに、それでもちょっと震えたねぇ。

そう自分は、にっかつ撮影所で映画術を学ぶ映画小僧だった。

2年生のころに母体となる「にっかつ」は倒産、ナムコの傘下に入る。
経済的な「大」事件であり、一般紙の一面はそれを大々的に報じている。
在校生の自分が、そんな新聞を配っている―なかなかに倒錯的で笑えたが、そうはいっても撮影所、映画制作は少なめでもCM制作などでスタジオが使われることは多く、毎日のように有名人を見かけた。

そんな自分が生まれて初めて「きちんと対峙した?」有名人は、漫画家の蛭子能収である。

・・・・・。

いま、誰か笑ったでしょうコノヤロウ!!


※持田真紀が主演、女優だったころの浜崎あゆみが助演、蛭子さんが彼女らの父親を演じている迷作映画『すももももも』(95)





クズと呼ばれるひとである。
結婚した理由を「タダでセックス出来るから」と答えるひとである。
ひとの葬式で笑いが止まらないひとである。
人生相談みたいなコラムで「友達が居なくて寂しい」という投稿に対し、「金はかかるし、時間も持っていかれるし。友達なんて作らなくていい」と答えるひとである。

でも自分は好きだよ笑

タレントとしてのスタンスも好きだが、なによりも本業・漫画家としての実力を評価している。
ゆるい描線ではなく、その作風というかテーマ性がね。

誰も幸福にならない、救いのない不条理漫画を描く孤高のアーティストだと思う。

ちょっと褒め過ぎ?


18歳の春、撮影所の休憩室で蛭子さんを見かけた自分は勇気を出し、、、たかなぁ笑、ともかく声をかけてサインをねだった。
エラソーに、「新聞少年がんばって! と書いてください」と注文までした。

蛭子さんは「はいはい」と笑顔で応えてくれて、それで出来上がったのがトップ画像のロングTシャツ(裏)である。

やけに時間を要するなぁ、、、と思ったら、わざわざイラストまで描いてくれたんだねぇ!!

いいひとだなぁ、感激だなぁ。

自分はうれしくてうれしくて、しばらくこのロングTシャツを着て過ごした。
ふだんはリュックを背負って歩くのに、抱えちゃったりなんかしてね。

クラスメイトたちは「お、サインしてもらったんだ?」とは聞くけど、けっして羨ましがりはしない笑

これがまた、いいじゃない!!
当時の人気者といえば、デビューしたての福山雅治とかかな、彼のサイン入りTシャツであったとするならば、かえって恥ずかしくて街を歩けなかったと思う。

だから初めて会った有名人が蛭子さんでよかったなぁ、と本気で思うのであった。


ほんとうだよ、ほんとう!!
負け惜しみ? じゃなくってね!!笑


おわり。

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明日のコラムは・・・

『自分の声は、ちょいとだけ高音です。』

コメント (4)
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