久し振りに、日本映画『太陽を盗んだ男』(79)をスクリーンで鑑賞した。
理科を教える中学教師、自称「9番」が原子力発電所からプルトニウムを強奪、自宅で、たったひとりで「被曝しながら」原子爆弾を完成させる。
俺、これ持っているからさ、なんだって出来るわけよ。でも、おかしな話なんだけどさ、なにをしたらいいか、分からないんだ―この闇雲なエネルギーを前に、いつだって思考停止になっちまう。
原案は外国人―『タクシードライバー』(76)を著したポールの実弟、レナード・シュレイダーによるもの―とはいえ、創ったのは日本の映画監督、ゴジこと長谷川和彦である。
すごい男が居たものだ。
広島出身、現在68歳。
76年、親殺しの青年を描いた『青春の殺人者』で監督デビューを果たす。
脚本の世界で注目されていたとはいえ、製作のひとりにイマヘイ今村昌平、脚本に田村孟、撮影が鈴木達夫、美術は木村威夫と最高のスタッフが集まっている。
新人としては異例の待遇であり、この男がモノスゴ期待されていたことが分かる。
しかし『太陽を盗んだ男』を最後に、ゴジは映画監督業を中断してしまっている。
(けっして辞めたわけではない)
監督キャリア、たったの2本。
連合赤軍の映画を撮りたいといい続けて30年、しかし撮る気配もなく古希を迎えそうなのである。
なんらかの問題を抱えているのかもしれないが、ファンとしては「なにやってんだよー、早く撮ってくれよぉ」と切に願う。
そこできょうは、ゴジを筆頭とする「あのころきらきら輝いていた、存命の映画監督たち10人」を取り上げてみたい。
いわゆる「あのひとは、いま」のような、他者が興味本位でナンヤカンヤいう企画とはちがう。
「早くこっちの世界へ戻ってきておくれ」という恋文みたいなもの、、、と解釈してもらいたい。
※広義の意味とする。つまり、映画監督はやっているが「あのころの、きらきら」を感じられなくなったひと、、、も含まれる。
繰り返すが、あくまでも恋文であって悪口とかではない。
しかし、そういう意味ではコンスタントに作品を発表しつづけ、なおかつ、それらが一定のレベルに達しているウディ・アレンって、真のバケモノなのだなぁと戦慄してしまうよ。
(1)ヤッホー・シリアス
88年、コメディ『ヤング・アインシュタイン』を発表して一瞬だけ騒がれる。
ティム・バートンみたいな容貌のために「鬼才」感が漂い、いろいろ期待したが、あとがつづかなかった。
(2)ピーター・グリーナウェイ
英国のフェリーニ、みたいなひと。
90年代―相棒の作曲家マイケル・ナイマンと組んで、毒々しい幻想的な映画を連発したが、最近はおとなしい。
『コックと泥棒、その妻と愛人』(89)は、いま観ても刺激的。
(3)マイケル・チミノ
ニューシネマ後期に登場、大作主義の傾向が強く、それが原因かスタジオを倒産に追い込んだ。
戦犯のような扱いだが、出来上がった映画はどれもすごいのだから復活してほしい。
(4)ジョン・マクティアナン
アクション描写に冴えを見せる職人で、『ダイハード』(88)一本でときのひとに。
しかし、FBIに対して虚偽の証言をしたとして実刑を喰らう。
もう出所しているはずだが、元気かな。
(5)ジャコ・ヴァン・ドルマル
ベルギーの俊英。
観たひとのほとんどが好きになる『トト・ザ・ヒーロー』(91)で鮮烈デビューを飾り、その後も『八日目』(96)などの良品を発表しつづけているものの、ファースト・インパクトをなかなか超えられない。
(6)パーシー・アドロン
87年、『バグダッド・カフェ』で全世界の映画ファンを虜にした女流監督。
(日本の)ミニシアターブームのきっかけを作った一作であるからして、ちゃんとした? 新作が観たい。
※この映画を知らないひとでも、曲は知っているでしょう?
(7)ホウ・シャオシェン
台湾映画をネクストレベルに引き上げた偉人。
『恋恋風塵』(87)や『悲情城市』(89)など味わい深い名作を発表、90年代アジア映画の隆盛は、このひとが築いた土台があってこそ、、、だったのだと思う。
(8)フィル・アルデン・ロビンソン
『フィールド・オブ・ドリームス』(89)や『スニーカーズ』(92)などの佳作を発表、
現在も、ちゃんと新作を撮ってはいるが、ん? 別人かな?? と思ってしまうほど、最近の映画は「きらきら」を感じない。
(9)ヤン・デ・ボン
撮影監督として『ダイハード』や『ブラック・レイン』(89)に参加、満を持して『スピード』(94)で監督デビューを果たす。
しかし、デビュー作がまぐれであったかのように、次々と失敗作を創り、なんとなくメガホンを持てない存在となっていく。
あのカブキ演出、けっこう好きなんだけれど。
(10)ミミ・レダー
『ピースメーカー』(97)のような社会性の強いアクション映画を撮ることの出来る女流監督なのに、最近は主にテレビドラマの演出をやっている。
やはりテレビのほうが、いろんな障壁がなく撮り易いのだろうか。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『サキバシリ + 10月コラムの目次』
理科を教える中学教師、自称「9番」が原子力発電所からプルトニウムを強奪、自宅で、たったひとりで「被曝しながら」原子爆弾を完成させる。
俺、これ持っているからさ、なんだって出来るわけよ。でも、おかしな話なんだけどさ、なにをしたらいいか、分からないんだ―この闇雲なエネルギーを前に、いつだって思考停止になっちまう。
原案は外国人―『タクシードライバー』(76)を著したポールの実弟、レナード・シュレイダーによるもの―とはいえ、創ったのは日本の映画監督、ゴジこと長谷川和彦である。
すごい男が居たものだ。
広島出身、現在68歳。
76年、親殺しの青年を描いた『青春の殺人者』で監督デビューを果たす。
脚本の世界で注目されていたとはいえ、製作のひとりにイマヘイ今村昌平、脚本に田村孟、撮影が鈴木達夫、美術は木村威夫と最高のスタッフが集まっている。
新人としては異例の待遇であり、この男がモノスゴ期待されていたことが分かる。
しかし『太陽を盗んだ男』を最後に、ゴジは映画監督業を中断してしまっている。
(けっして辞めたわけではない)
監督キャリア、たったの2本。
連合赤軍の映画を撮りたいといい続けて30年、しかし撮る気配もなく古希を迎えそうなのである。
なんらかの問題を抱えているのかもしれないが、ファンとしては「なにやってんだよー、早く撮ってくれよぉ」と切に願う。
そこできょうは、ゴジを筆頭とする「あのころきらきら輝いていた、存命の映画監督たち10人」を取り上げてみたい。
いわゆる「あのひとは、いま」のような、他者が興味本位でナンヤカンヤいう企画とはちがう。
「早くこっちの世界へ戻ってきておくれ」という恋文みたいなもの、、、と解釈してもらいたい。
※広義の意味とする。つまり、映画監督はやっているが「あのころの、きらきら」を感じられなくなったひと、、、も含まれる。
繰り返すが、あくまでも恋文であって悪口とかではない。
しかし、そういう意味ではコンスタントに作品を発表しつづけ、なおかつ、それらが一定のレベルに達しているウディ・アレンって、真のバケモノなのだなぁと戦慄してしまうよ。
(1)ヤッホー・シリアス
88年、コメディ『ヤング・アインシュタイン』を発表して一瞬だけ騒がれる。
ティム・バートンみたいな容貌のために「鬼才」感が漂い、いろいろ期待したが、あとがつづかなかった。
(2)ピーター・グリーナウェイ
英国のフェリーニ、みたいなひと。
90年代―相棒の作曲家マイケル・ナイマンと組んで、毒々しい幻想的な映画を連発したが、最近はおとなしい。
『コックと泥棒、その妻と愛人』(89)は、いま観ても刺激的。
(3)マイケル・チミノ
ニューシネマ後期に登場、大作主義の傾向が強く、それが原因かスタジオを倒産に追い込んだ。
戦犯のような扱いだが、出来上がった映画はどれもすごいのだから復活してほしい。
(4)ジョン・マクティアナン
アクション描写に冴えを見せる職人で、『ダイハード』(88)一本でときのひとに。
しかし、FBIに対して虚偽の証言をしたとして実刑を喰らう。
もう出所しているはずだが、元気かな。
(5)ジャコ・ヴァン・ドルマル
ベルギーの俊英。
観たひとのほとんどが好きになる『トト・ザ・ヒーロー』(91)で鮮烈デビューを飾り、その後も『八日目』(96)などの良品を発表しつづけているものの、ファースト・インパクトをなかなか超えられない。
(6)パーシー・アドロン
87年、『バグダッド・カフェ』で全世界の映画ファンを虜にした女流監督。
(日本の)ミニシアターブームのきっかけを作った一作であるからして、ちゃんとした? 新作が観たい。
※この映画を知らないひとでも、曲は知っているでしょう?
(7)ホウ・シャオシェン
台湾映画をネクストレベルに引き上げた偉人。
『恋恋風塵』(87)や『悲情城市』(89)など味わい深い名作を発表、90年代アジア映画の隆盛は、このひとが築いた土台があってこそ、、、だったのだと思う。
(8)フィル・アルデン・ロビンソン
『フィールド・オブ・ドリームス』(89)や『スニーカーズ』(92)などの佳作を発表、
現在も、ちゃんと新作を撮ってはいるが、ん? 別人かな?? と思ってしまうほど、最近の映画は「きらきら」を感じない。
(9)ヤン・デ・ボン
撮影監督として『ダイハード』や『ブラック・レイン』(89)に参加、満を持して『スピード』(94)で監督デビューを果たす。
しかし、デビュー作がまぐれであったかのように、次々と失敗作を創り、なんとなくメガホンを持てない存在となっていく。
あのカブキ演出、けっこう好きなんだけれど。
(10)ミミ・レダー
『ピースメーカー』(97)のような社会性の強いアクション映画を撮ることの出来る女流監督なのに、最近は主にテレビドラマの演出をやっている。
やはりテレビのほうが、いろんな障壁がなく撮り易いのだろうか。
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