最近知り合った、20代前半男子との会話。
最初に断っておくけど、それがダメっていうんじゃなくて、ただ、この世代が全員そうだとしたら「どうかな…」っていう話。
「この前NHKでさ、面白い番組がやっていて―」
「あ、ボクNHK観ないんですよ」
「なんで?」
「なんで、ですかねぇ。つまんない、硬いってイメージが」
「それはむしろ、自分とかの世代までだよ。いまは随分と軟派だし」
「そうなんですか? でもなんか、観る気がしないんですよねぇ」
「好きな映画は?」
「『ワイルドスピード』のシリーズですかね」
「あぁ分かる分かる、人気だよね。じゃあ、好きな小説とかは?」
「えー、、、生まれてこのかた、小説っていうものを最初から最後まで読んだことはないんですよ」
「ほんとう?」
「…たぶん」
「国語の教科書とかは?」
「授業中、寝てばっかりいましたから」
「それは俺もそうだけど。読書感想文とかは?」
「姉ちゃんに代わりに書いてもらっていました」
「映画とかでは、スカッとしたりする話が好きなんだよね」
「えぇ、そうですね」
「試しに『坊ちゃん』とか読んでみたら?」
「『坊ちゃん』?」
「タイトル、聞いたこともない?」
「ない、ですねぇ。誰が書いたんですか」
「漱石、夏目漱石」
「微かに、聞いたことあるひとですね」
「千円札のひと」
「あぁ、あの髭の…」
髭の…って!!笑
「貸すよ、文庫本」
「厚いんですか?」
「まあまあの長編かな」
「…自信ないなぁ」
「面白いし、最後は痛快だから」
「いやぁ、たぶん読まないですねぇ」
・・・・・笑
まぁ、ここまで頑なであればしょうがない。
いろいろ思うところはあるが、いいヤツだし。
映画もそうだが、好きになるには「きっかけ」が必要で、それは大抵10代で訪れる。
彼にはその「きっかけ」がまだ訪れていないっていうだけの話だろう。
自分がもう少し若かったら、強引にでも彼に「きっかけ」を作ってやろうとするのだが、いまはもうそんな情熱はない。
自分のことで精一杯、、、というのが本音でね。
というわけで、読書の話。
「本離れ」は現在に始まったことではなく、10年、いや20年くらい前からいわれている。
そうじゃないと思う。
読むひとは「とことん」読むが、読まないひとは「徹底的に」読まない、ただそれだけのことで、いわゆる中間層が居ないと。
自分の部屋の書棚を見て友人が「これ、全部読んだの?」と聞いてきたことがある。
「まぁ、読んだよ」
「全部覚えてる?」
「…ちょっと怪しいけどね」
「ウチの棚に、本なんて1冊もない。ただガンプラが並んでいるだけ」
それはそれで、素晴らしいことだけどね。
きっかけ―やっぱり、これなんだって。
いま朝日新聞で、漱石の最高傑作(だと思っている)『それから』が「再」連載されている。
何十回読んだか覚えていないほど読み込んでいる小説だが、せっかくだからと切り取って毎日熟読。
ほぼ毎日、やっぱりすげぇ! なんなんだこのひとは!! と、感心というより衝撃を受けているのだった。
出来れば今回の再連載で若い漱石ファンが増えてほしいけれど、そもそも新聞を取っている家庭が減少しているしなぁ!!
映画と本の世界を結びつけた作品といえば、『ネバーエンディング・ストーリー』(84)だろう。
エンデによる原作も素晴らしいが、映画版も悪くない。
※観ていないひとでも、テーマ曲くらいは知っているだろう
主人公の男の子が本に夢中になるのも、「たまたま」という「きっかけ」だったものねぇ。
今回の初体験テーマは、「初めて夢中になった本」でいってみよう。
最近はノンフィクションか批評の本しか読んでいないが、小学生のころは「物語」が大好きな少年だったのである。
つづく。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(127)』
最初に断っておくけど、それがダメっていうんじゃなくて、ただ、この世代が全員そうだとしたら「どうかな…」っていう話。
「この前NHKでさ、面白い番組がやっていて―」
「あ、ボクNHK観ないんですよ」
「なんで?」
「なんで、ですかねぇ。つまんない、硬いってイメージが」
「それはむしろ、自分とかの世代までだよ。いまは随分と軟派だし」
「そうなんですか? でもなんか、観る気がしないんですよねぇ」
「好きな映画は?」
「『ワイルドスピード』のシリーズですかね」
「あぁ分かる分かる、人気だよね。じゃあ、好きな小説とかは?」
「えー、、、生まれてこのかた、小説っていうものを最初から最後まで読んだことはないんですよ」
「ほんとう?」
「…たぶん」
「国語の教科書とかは?」
「授業中、寝てばっかりいましたから」
「それは俺もそうだけど。読書感想文とかは?」
「姉ちゃんに代わりに書いてもらっていました」
「映画とかでは、スカッとしたりする話が好きなんだよね」
「えぇ、そうですね」
「試しに『坊ちゃん』とか読んでみたら?」
「『坊ちゃん』?」
「タイトル、聞いたこともない?」
「ない、ですねぇ。誰が書いたんですか」
「漱石、夏目漱石」
「微かに、聞いたことあるひとですね」
「千円札のひと」
「あぁ、あの髭の…」
髭の…って!!笑
「貸すよ、文庫本」
「厚いんですか?」
「まあまあの長編かな」
「…自信ないなぁ」
「面白いし、最後は痛快だから」
「いやぁ、たぶん読まないですねぇ」
・・・・・笑
まぁ、ここまで頑なであればしょうがない。
いろいろ思うところはあるが、いいヤツだし。
映画もそうだが、好きになるには「きっかけ」が必要で、それは大抵10代で訪れる。
彼にはその「きっかけ」がまだ訪れていないっていうだけの話だろう。
自分がもう少し若かったら、強引にでも彼に「きっかけ」を作ってやろうとするのだが、いまはもうそんな情熱はない。
自分のことで精一杯、、、というのが本音でね。
というわけで、読書の話。
「本離れ」は現在に始まったことではなく、10年、いや20年くらい前からいわれている。
そうじゃないと思う。
読むひとは「とことん」読むが、読まないひとは「徹底的に」読まない、ただそれだけのことで、いわゆる中間層が居ないと。
自分の部屋の書棚を見て友人が「これ、全部読んだの?」と聞いてきたことがある。
「まぁ、読んだよ」
「全部覚えてる?」
「…ちょっと怪しいけどね」
「ウチの棚に、本なんて1冊もない。ただガンプラが並んでいるだけ」
それはそれで、素晴らしいことだけどね。
きっかけ―やっぱり、これなんだって。
いま朝日新聞で、漱石の最高傑作(だと思っている)『それから』が「再」連載されている。
何十回読んだか覚えていないほど読み込んでいる小説だが、せっかくだからと切り取って毎日熟読。
ほぼ毎日、やっぱりすげぇ! なんなんだこのひとは!! と、感心というより衝撃を受けているのだった。
出来れば今回の再連載で若い漱石ファンが増えてほしいけれど、そもそも新聞を取っている家庭が減少しているしなぁ!!
映画と本の世界を結びつけた作品といえば、『ネバーエンディング・ストーリー』(84)だろう。
エンデによる原作も素晴らしいが、映画版も悪くない。
※観ていないひとでも、テーマ曲くらいは知っているだろう
主人公の男の子が本に夢中になるのも、「たまたま」という「きっかけ」だったものねぇ。
今回の初体験テーマは、「初めて夢中になった本」でいってみよう。
最近はノンフィクションか批評の本しか読んでいないが、小学生のころは「物語」が大好きな少年だったのである。
つづく。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(127)』