映画に夢中に「なりかけていた」86年の2月―ハリウッドから話題のアクション映画が上陸した。
チャイナタウンを舞台とした『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)、主演はミッキー・ロークとジョン・ローンだった。
チャイニーズ・マフィアと刑事の戦いを描く超大作であり、なんだかすごく面白そうなので、上映初日、父親にねだり、前橋の劇場まで観に行った記憶が残っている。

映画情報誌の扱いも大きく、その半分はアジア人だからであろう、ジョン・ローンの話題に割かれた。
もう半分がミッキー・ロークだった―かというと、そんなことはなく、残り5割のうち2割程度がロークであり、あとの3割は監督の話題だった。
80年代の日本は、外国映画といえばスピルバーグ印と、成龍を代表とする香港産が席巻していた。
マイケル・チミノなんていう監督は目にしたこともなかったが、映画情報誌は「こぞって」チミノを「ありがたい存在」であるかのように紹介していたのである。
あのチミノが―みたいな。
どういうことなんだろう?
そうして映画小僧(なりかけの)自分は、過去の資料をあたり、「やや」常軌を逸した監督であることを知って驚くのである。
乱暴にいってしまえば、コッポラや黒澤に連なる系統。
撮りたいものを撮るために、一切の妥協をせず、結果的に自身のキャリアはもちろん、スタジオや関係者の人生をも狂わす狂人。
だがコッポラや黒澤は現代の若き映画小僧のあいだでも通ずる名前だが、残念ながらチミノはそうじゃない。
それを証明するがごとく、スマホやパソコンで変換すれば「マイケル・血美濃」と表示されるアリサマなのだった。
そんなチミノが鬼籍に入った。
この訃報に「あぁ…」と詠嘆するのは、たぶん30代後半以降の映画ファンだけと思われる。
だからきょうは、若いひとに向けたチミノの追悼文を記してみよう。
ニューヨーク生まれのチミノは、まず脚本家として映画界に参入した。
『ダーティハリー2』(73)が評価され、イーストウッドに気に入られたところもあったのだろう、翌年の74年、イーストウッド主演の『サンダーボルト』で監督デビューを果たす。
40年を超えるキャリアで監督作が10本にも満たない―この事実が「問題を抱えているひと」であろうことを想像させるが、それぞれの作品が持つインパクトが尋常ではないため、寡作であることは「むしろ」チミノの神格化に貢献した要素といえるのかもしれない。
78年―ベトナム戦争によって、こころも身体も病んでいく若者を描いた『ディア・ハンター』を発表。

ロシアン・ルーレットを「生業としてしまう」クリストファー・ウォーケンへの言及が目立つが、
黒澤の『悪い奴ほどよく眠る』(60)に影響を受けたであろう前半の結婚式と、
帰ってくることのない恋人を忘れるため、メリル・ストリープがデ・ニーロに「慰めあいましょう」と誘うシーンの切なさのほうが自分は好きだ。
80年―『天国の門』を発表。
スタジオ「ユナイテッド・アーティスツ」を潰したことにより、世紀の赤字映画と評されている問題作。
※シンプルなロゴデザイン、好きだった
日本人には馴染みのない「ジョンソン郡戦争」を扱った歴史大作だが、
セットの増改築を繰り返したり、1890年代に走っていた機関車を実際に調達したりするなどの「チミノのこだわり」によって、制作費が予定の3倍以上に膨れ上がり、出来上がった映画は300分を超えていたのだった。
スタジオ主導により、映画は219分に短縮される。
しかし牧場主が移民農民を皆殺しにするという「アンチ・アメリカ」の物語がそもそもウケるはずもなく、一般公開ではさらに短縮されたバージョンが作られることになった。
映画は早々と打ち切りが決まり、戦犯となったチミノは、以降、自由に映画制作が出来なくなってしまうのである。
自由に撮っているかのように見える『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』でさえ、実際にはそうではなかった。
プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスが実権を握っていたからである。
チミノには大作がよく似合う。
本人もそれを自覚していたようで、キャリア後半も『シシリアン』(87)や『逃亡者』(90)のような意欲作を発表した。
けれども残念ながら、かつてのような「取り憑かれた、なにか」をスクリーンから感じ取ることは出来なかった。
砂煙が舞い過ぎて、なにが起こっているのかさえ分からない。
台詞さえマトモに聞こえない。
『天国の門』のオリジナル版には、そういう「映画としては、間違っている」シーンが続出する。
しかしそれでも、「なんだかすごいものを観た」という衝撃が走る。
『地獄の黙示録』(79)にちかい感覚。
映画小僧は、ときに優しい。
当時活躍した映画監督たち、たとえばコッポラやフリードキンの最近の作品を観て、内容的にはガッカリするものであったとしても、
「もう終わった」と斬り捨てることをしない、
「あれだけのパワーを使っていたんだもの、ガス欠になるのも無理はない」といって、その新作でさえ愛でようとする傾向にある。
最後の長編となった『心の指紋』(96)を観て、どう解釈していいか分からぬほど動揺したが、
チミノを「過去のひと」として、忘れようとする映画小僧は(たぶん)ひとりも居なかった。
だからやっぱり、今回の訃報記事は小さ過ぎるだろう、チミノは忘れさられちゃいけない狂人なんだ!! と、新聞に唾を吐きかける映画小僧なのだった。
マイケル・チミノ、7月2日死去。
享年77歳、合掌―。
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明日のコラムは・・・
『祝祭』
チャイナタウンを舞台とした『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)、主演はミッキー・ロークとジョン・ローンだった。
チャイニーズ・マフィアと刑事の戦いを描く超大作であり、なんだかすごく面白そうなので、上映初日、父親にねだり、前橋の劇場まで観に行った記憶が残っている。

映画情報誌の扱いも大きく、その半分はアジア人だからであろう、ジョン・ローンの話題に割かれた。
もう半分がミッキー・ロークだった―かというと、そんなことはなく、残り5割のうち2割程度がロークであり、あとの3割は監督の話題だった。
80年代の日本は、外国映画といえばスピルバーグ印と、成龍を代表とする香港産が席巻していた。
マイケル・チミノなんていう監督は目にしたこともなかったが、映画情報誌は「こぞって」チミノを「ありがたい存在」であるかのように紹介していたのである。
あのチミノが―みたいな。
どういうことなんだろう?
そうして映画小僧(なりかけの)自分は、過去の資料をあたり、「やや」常軌を逸した監督であることを知って驚くのである。
乱暴にいってしまえば、コッポラや黒澤に連なる系統。
撮りたいものを撮るために、一切の妥協をせず、結果的に自身のキャリアはもちろん、スタジオや関係者の人生をも狂わす狂人。
だがコッポラや黒澤は現代の若き映画小僧のあいだでも通ずる名前だが、残念ながらチミノはそうじゃない。
それを証明するがごとく、スマホやパソコンで変換すれば「マイケル・血美濃」と表示されるアリサマなのだった。
そんなチミノが鬼籍に入った。
この訃報に「あぁ…」と詠嘆するのは、たぶん30代後半以降の映画ファンだけと思われる。
だからきょうは、若いひとに向けたチミノの追悼文を記してみよう。
ニューヨーク生まれのチミノは、まず脚本家として映画界に参入した。
『ダーティハリー2』(73)が評価され、イーストウッドに気に入られたところもあったのだろう、翌年の74年、イーストウッド主演の『サンダーボルト』で監督デビューを果たす。
40年を超えるキャリアで監督作が10本にも満たない―この事実が「問題を抱えているひと」であろうことを想像させるが、それぞれの作品が持つインパクトが尋常ではないため、寡作であることは「むしろ」チミノの神格化に貢献した要素といえるのかもしれない。
78年―ベトナム戦争によって、こころも身体も病んでいく若者を描いた『ディア・ハンター』を発表。

ロシアン・ルーレットを「生業としてしまう」クリストファー・ウォーケンへの言及が目立つが、
黒澤の『悪い奴ほどよく眠る』(60)に影響を受けたであろう前半の結婚式と、
帰ってくることのない恋人を忘れるため、メリル・ストリープがデ・ニーロに「慰めあいましょう」と誘うシーンの切なさのほうが自分は好きだ。
80年―『天国の門』を発表。
スタジオ「ユナイテッド・アーティスツ」を潰したことにより、世紀の赤字映画と評されている問題作。
※シンプルなロゴデザイン、好きだった
日本人には馴染みのない「ジョンソン郡戦争」を扱った歴史大作だが、
セットの増改築を繰り返したり、1890年代に走っていた機関車を実際に調達したりするなどの「チミノのこだわり」によって、制作費が予定の3倍以上に膨れ上がり、出来上がった映画は300分を超えていたのだった。
スタジオ主導により、映画は219分に短縮される。
しかし牧場主が移民農民を皆殺しにするという「アンチ・アメリカ」の物語がそもそもウケるはずもなく、一般公開ではさらに短縮されたバージョンが作られることになった。
映画は早々と打ち切りが決まり、戦犯となったチミノは、以降、自由に映画制作が出来なくなってしまうのである。
自由に撮っているかのように見える『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』でさえ、実際にはそうではなかった。
プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスが実権を握っていたからである。
チミノには大作がよく似合う。
本人もそれを自覚していたようで、キャリア後半も『シシリアン』(87)や『逃亡者』(90)のような意欲作を発表した。
けれども残念ながら、かつてのような「取り憑かれた、なにか」をスクリーンから感じ取ることは出来なかった。
砂煙が舞い過ぎて、なにが起こっているのかさえ分からない。
台詞さえマトモに聞こえない。
『天国の門』のオリジナル版には、そういう「映画としては、間違っている」シーンが続出する。
しかしそれでも、「なんだかすごいものを観た」という衝撃が走る。
『地獄の黙示録』(79)にちかい感覚。
映画小僧は、ときに優しい。
当時活躍した映画監督たち、たとえばコッポラやフリードキンの最近の作品を観て、内容的にはガッカリするものであったとしても、
「もう終わった」と斬り捨てることをしない、
「あれだけのパワーを使っていたんだもの、ガス欠になるのも無理はない」といって、その新作でさえ愛でようとする傾向にある。
最後の長編となった『心の指紋』(96)を観て、どう解釈していいか分からぬほど動揺したが、
チミノを「過去のひと」として、忘れようとする映画小僧は(たぶん)ひとりも居なかった。
だからやっぱり、今回の訃報記事は小さ過ぎるだろう、チミノは忘れさられちゃいけない狂人なんだ!! と、新聞に唾を吐きかける映画小僧なのだった。
マイケル・チミノ、7月2日死去。
享年77歳、合掌―。
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明日のコラムは・・・
『祝祭』