自分が地元の映画館『清流』でアルバイトしていた期間は、高校1年の春から3年の秋までの2年と半年間くらい。
90年代前半であり、出来上がったばかりの北米スタイル「シネコン」が上陸する前夜、、、と解釈してもらえれば分かり易いだろうか。
それでも場末の映画館は経営が厳しく、
「いまはダメだ、80年代はアルバイトにも賞与を出せていたんだけどなぁ」
「80年代より、70年代のほうがすごかった。みんな学校をサボって映画を観に来ていた」
などと、支配人・新名さんは溜息交じりに話してくれた。
当時の宣伝方法は、新聞チラシとポスターのみ。
自分の仕事は、新名さん不在時のみ映写担当、それ以外は市外への「ポスター貼り」だった。
大きな段ボール紙にポスターを貼り、その下にタイムテーブルをくっつける。
目立つようにと端をピンクの塗料で塗り、完成したそれを電柱に括りつけるのだ。
90年代なかばに社会問題となったのは、電柱や電話ボックスに貼りつけられるピンクビラ・不動産チラシだった。
現在では条例によってほとんどの市がクリーン化に成功したが、一時期はえげつなかったよね。
そこらへんの問題は、はっきりいって「ド田舎」には関係ない。
限度というものをわきまえているのか、放っておいても「えげつない状態」にはならない、だから持ち主の東電・NTTが抗議してくることもなかった。
でっかいポスターを抱え、電車に乗る。
舘林から太田、佐野、高崎、前橋へ。
あんまり仕事という実感はなかったが、楽しくもなかった。
だって自分は、映写室に閉じこもって映写だけをしたかったんだもの。
自分が映写を担当した映画を、いくつか挙げてみよう。
それだけで、どんな時代であったかを想像してもらえるだろうから。
『フィールド・オブ・ドリームス』(90)
『トータル・リコール』(90)
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPartIII』(90)
『ダイ・ハード2』(90)

まだスピルバーグ・ブランドが健在で、ケビン・コスナーが頭角を現し、
CGということばが一般的ではなく、代わりに「SFX映画」というものが大流行していた時代というわけ。
邦画では、クッソつまらないが小島聖が可愛かった『タスマニア物語』(90)を映写した。
「あの時代はよかった…」と呟きがちな新名さんであったが、営業努力も怠っていなかった。
動員数を増やすために、いろんなアイデアを考え、それを実行していた。
たとえばカップルシート。
肘掛けを排し、上等なソファを設置してみる。
しかし、そこに座る「勇気あるカップル」はほとんど居なかった。
逆に目立ってしまうので、恥ずかしがりやの多い群馬県では無理だった、、、ということか。
たとえば特別割引。
山田洋次の『息子』(91)を上映した際、家族で鑑賞すれば「ひとり分は無料」という企画を展開した。
そこそこの反響はあったものの、「その後」につながるようなことはなかった。
あるとき、新名さんは映写室にやってきて、自分に頭を下げてこういった。
「―牧野、悪いけど、今月の給料、分割にしていいかな?」
つづく。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(183)』
90年代前半であり、出来上がったばかりの北米スタイル「シネコン」が上陸する前夜、、、と解釈してもらえれば分かり易いだろうか。
それでも場末の映画館は経営が厳しく、
「いまはダメだ、80年代はアルバイトにも賞与を出せていたんだけどなぁ」
「80年代より、70年代のほうがすごかった。みんな学校をサボって映画を観に来ていた」
などと、支配人・新名さんは溜息交じりに話してくれた。
当時の宣伝方法は、新聞チラシとポスターのみ。
自分の仕事は、新名さん不在時のみ映写担当、それ以外は市外への「ポスター貼り」だった。
大きな段ボール紙にポスターを貼り、その下にタイムテーブルをくっつける。
目立つようにと端をピンクの塗料で塗り、完成したそれを電柱に括りつけるのだ。
90年代なかばに社会問題となったのは、電柱や電話ボックスに貼りつけられるピンクビラ・不動産チラシだった。
現在では条例によってほとんどの市がクリーン化に成功したが、一時期はえげつなかったよね。
そこらへんの問題は、はっきりいって「ド田舎」には関係ない。
限度というものをわきまえているのか、放っておいても「えげつない状態」にはならない、だから持ち主の東電・NTTが抗議してくることもなかった。
でっかいポスターを抱え、電車に乗る。
舘林から太田、佐野、高崎、前橋へ。
あんまり仕事という実感はなかったが、楽しくもなかった。
だって自分は、映写室に閉じこもって映写だけをしたかったんだもの。
自分が映写を担当した映画を、いくつか挙げてみよう。
それだけで、どんな時代であったかを想像してもらえるだろうから。
『フィールド・オブ・ドリームス』(90)
『トータル・リコール』(90)
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPartIII』(90)
『ダイ・ハード2』(90)

まだスピルバーグ・ブランドが健在で、ケビン・コスナーが頭角を現し、
CGということばが一般的ではなく、代わりに「SFX映画」というものが大流行していた時代というわけ。
邦画では、クッソつまらないが小島聖が可愛かった『タスマニア物語』(90)を映写した。
「あの時代はよかった…」と呟きがちな新名さんであったが、営業努力も怠っていなかった。
動員数を増やすために、いろんなアイデアを考え、それを実行していた。
たとえばカップルシート。
肘掛けを排し、上等なソファを設置してみる。
しかし、そこに座る「勇気あるカップル」はほとんど居なかった。
逆に目立ってしまうので、恥ずかしがりやの多い群馬県では無理だった、、、ということか。
たとえば特別割引。
山田洋次の『息子』(91)を上映した際、家族で鑑賞すれば「ひとり分は無料」という企画を展開した。
そこそこの反響はあったものの、「その後」につながるようなことはなかった。
あるとき、新名さんは映写室にやってきて、自分に頭を下げてこういった。
「―牧野、悪いけど、今月の給料、分割にしていいかな?」
つづく。
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(183)』