Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(183)

2016-07-15 00:10:00 | コラム
自分の記憶が正しければ、映画館アルバイトの時給は720円だった。

現在の群馬県の最低賃金が737円だそうで、
90年代はもっと低かったはずだから、まぁ仕事内容を考えれば妥当ということか。

映画はタダで観ることが出来たので、その役得を時給に充てれば実質850円くらいになるかもしれない。

イナカッペの高校生には、それで充分だった。

平日は学校が終わって18時から終映まで、土日は9時から終映まで。

だいたい、月で7~8万円くらい稼いだ。
(ときどき学校サボって働かせてもらっていたしね)

目標があったんだ、8mmフィルムカメラと、8mmフィルム映写機、そしてワープロを揃えるっていう。

ワープロで脚本を書き、8mmで映画を撮って自分で流す・・・いかにも映画小僧でしょう。
だから夏休みはカセギドキ、友達とも遊ばず、ひたすらアルバイトに精を出した。
(そもそも友達が居なかったという話もある)

大雑把に計算しても、8月の給料は18万円を超えるはず。
8mmだけじゃなく、エロビデオも何本か買おうかな―そんなことを考えながら、ニタニタしながら映写をしていると、新名さんが深刻な顔で「給料の支払いを分割にしてくれ」と頼み込んできた。

「―分かってると思うけど、不入りがひどくてね」
「…はい」
「正直いうと、2ヶ月に分けるというのもキツい」
「…どういうことですか?」
「3ヶ月に分けるというのが、俺の希望なんだが…」
「…」
「カメラ買いたがっているの知っているのにな、すまん」
「…」
「その代わり、俺のビデオコレクションから、好きなものを持っていってくれ」
「…」

NOといえる雰囲気ではなかった、とっても気の毒で。


不入りは、映写室の小窓から覗く客席を見て、自分も実感していたことである。

作品がダメだったわけではない。

たけしが「14対15の野球の試合見てるようで、バカにゃピッタリのアクション物だ」と激賞? した『ダイ・ハード2』(90…トップ画像)でさえ、土日でも満席にならない。
土日がダメってことは当然、平日はガラガラで。

ひとりかふたりの観客のために、映写機を動かす・・・そんな状況では、確実に売り上げよりも光熱費や人件費のほうが高かったはずだもの。


それでも『清流』は、自分がアルバイトを辞めて高校を卒業し、上京して以降もしばらくは「持ち堪えた」。

たぶん、新しいアルバイトは雇わなかったはずである。

新名さんが映写、自分が小さいころから働いていたおばちゃんが売店を担当すれば、事足りたであろうから。


96年、群馬出身の映画監督・小栗康平による『眠る男』が公開された。
県が出資したことでも話題となり、県民は特別料金で鑑賞することが出来た。



『清流』が、久し振りに満席になったそうである。
(ただ静謐な作品ゆえ、観客の大半が寝入ってしまったそうだが…)

『眠る男』の上映が終了してまもなく、『清流』は閉館した。


じつは『眠る男』上映時、自分は東京から『清流』に電話をかけている。

「―はい、『清流』です」

すぐに、新名さんの声だと分かった。

「すいません、『眠る男』の上映時間を知りたいんですけど」
「先週までは3回上映だったのですが、今週からは夜7時の1回上映となっております」
「あ、そうですか、ありがとうございます」

なぜ名乗らなかったのか、自分でも疑問だが、新名さんの声を聞いて、近過去が鮮やかに蘇り、なんとなくセンチな気分になった20歳の秋だった―。


おわり。





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明日のコラムは・・・

『コンクリにポスター』
コメント (1)
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