接客業に向いている―と自他ともに評する現在では、自分でも信じられないが・・・
高1のころの自分は、まだ肥満児であり、
※きもちわりーな笑笑

自分に自信もなかったのだろう、とても内気で客に対し「いらっしゃいませ」を発することも自然に出来ない、100%接客業に不向きな男だった。
(じゃあ現在の自分に自信があるのかと問われれば、ムダにある。だから問題なんだけどね!笑)
自分と同時期に、映画館『清流』でアルバイトを始めた同級生Aくんが居た。
ふつうにハンサム? な子である。
見た目も性格も正反対の高校生ふたり・・・支配人の新名さんは、それぞれチケットカウンター・売店と映写室の体験アルバイトをさせたうえでこういった、
「Aくんはチケット、売店専門ね。牧野くんは映写で」
いや、映写室に憧れていたから「願ったり!」だったのだが、なんだか知らないが「ちょっとだけ」傷ついた。
自覚はしていたものの、他者からそう評価されるとねぇ、まぁトシゴロのオトコノコですから。
そんな風にして、映画館アルバイトは始まった。
新名さんは当時50代真ん中、脚は悪かったが、よく酒を呑みよく飯を喰う健康的なひと。
暇を見つけては脚本を書き、「いつかきっと…」と思いつづけている自分と同種の映画小僧だった。
いや訂正。
同種ではないな、かつてこんなことがあったから。
「―ねぇ新名さん、『稲村ジェーン』なんか流さないで、武の新作を流しましょうよ。タイトル、よく分かんないけど」
桑田佳祐の初監督作品、『稲村ジェーン』の公開が90年の9月8日。
北野武の監督第2作、『3-4X10月』の公開が90年の9月15日。
前者は東宝作品で後者は松竹作品、異業種の監督による映画対決として、当時は大きな話題になっていた。
結果からいうと、
興行的には『稲村ジェーン』の圧勝、しかし批評的には『3-4X10月』の圧勝。
もう少し詳しくいうと・・・
自分はバイトの給料で前橋の劇場まで『3-4X10月』を観に行った、
土曜の昼興行だというのに観客は5人しか居なかった、
しかし、これぞ映画だという体験をして心底感動した、
ビートたけしの芸風は「それほど…」だったはずなのに、映画監督・武の演出術に唸り、タダモノではないと畏怖の念さえ抱くようになった。
翻って『稲村ジェーン』は『清流』で公開され、1週目も、2週目に入っても客足は好調だった、
自分も初日のバイト終わりに観させてもらったが、ひどく退屈で早く終わってほしいと思うほどだった。
もっといえば、桑田佳祐の処女監督作品を褒めた映画ファンは「おそらく」皆無だった。
(ちなみに現時点における、自分のワーストワンの映画として君臨をつづけている。おめでとう!!)
『稲村ジェーン』の評判の悪さは、だいぶ前から映画関係者の耳には届いていた。
群馬の、場末の映画館でさえも「その情報」は掴んでいたはず。
だから自分は新名さんにいったんだ、「『3-4X10月』を流すべきだ」って。
しかし新名さんは、北野武の傑作に見向きもしなかった。
「いや、秋は『稲村ジェーン』一本でいく」
「なんで、ですか。新名さんも、つまらないだろうって予想しているんでしょう」
「…してるよ、そりゃあ」
「じゃあ、なんで」
「金にならんのよ、武の映画は」
絶句してしまった。
『稲村ジェーン』、楽日―。
ポスターの貼り替えを手伝っていると、新名さんが笑いながらこういった。
「―おつかれさん。飯でも食いにいくか?」
「あ、はい」
「好きなもん、奢ってやるよ」
「え、いいんですか」
「つまらん映画を1ヶ月も映写したお前を、労わってやるよ」
「えっ」
「俺だって武の映画を応援したいけどな」
新名さんは、ここで真顔になった。
「きょうの奢りは、結局のところ、桑田佳祐のおかげなんだよ」
「………」
ハッとした。
映画はまちがいなくアートだとは思うが、それだけでは成り立たない。
そう、「映画だって商売」という視点が抜け落ちていたことに気づいた、16歳の秋だったのだ。
つづく。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(182)』
高1のころの自分は、まだ肥満児であり、
※きもちわりーな笑笑

自分に自信もなかったのだろう、とても内気で客に対し「いらっしゃいませ」を発することも自然に出来ない、100%接客業に不向きな男だった。
(じゃあ現在の自分に自信があるのかと問われれば、ムダにある。だから問題なんだけどね!笑)
自分と同時期に、映画館『清流』でアルバイトを始めた同級生Aくんが居た。
ふつうにハンサム? な子である。
見た目も性格も正反対の高校生ふたり・・・支配人の新名さんは、それぞれチケットカウンター・売店と映写室の体験アルバイトをさせたうえでこういった、
「Aくんはチケット、売店専門ね。牧野くんは映写で」
いや、映写室に憧れていたから「願ったり!」だったのだが、なんだか知らないが「ちょっとだけ」傷ついた。
自覚はしていたものの、他者からそう評価されるとねぇ、まぁトシゴロのオトコノコですから。
そんな風にして、映画館アルバイトは始まった。
新名さんは当時50代真ん中、脚は悪かったが、よく酒を呑みよく飯を喰う健康的なひと。
暇を見つけては脚本を書き、「いつかきっと…」と思いつづけている自分と同種の映画小僧だった。
いや訂正。
同種ではないな、かつてこんなことがあったから。
「―ねぇ新名さん、『稲村ジェーン』なんか流さないで、武の新作を流しましょうよ。タイトル、よく分かんないけど」
桑田佳祐の初監督作品、『稲村ジェーン』の公開が90年の9月8日。
北野武の監督第2作、『3-4X10月』の公開が90年の9月15日。
前者は東宝作品で後者は松竹作品、異業種の監督による映画対決として、当時は大きな話題になっていた。
結果からいうと、
興行的には『稲村ジェーン』の圧勝、しかし批評的には『3-4X10月』の圧勝。
もう少し詳しくいうと・・・
自分はバイトの給料で前橋の劇場まで『3-4X10月』を観に行った、
土曜の昼興行だというのに観客は5人しか居なかった、
しかし、これぞ映画だという体験をして心底感動した、
ビートたけしの芸風は「それほど…」だったはずなのに、映画監督・武の演出術に唸り、タダモノではないと畏怖の念さえ抱くようになった。
翻って『稲村ジェーン』は『清流』で公開され、1週目も、2週目に入っても客足は好調だった、
自分も初日のバイト終わりに観させてもらったが、ひどく退屈で早く終わってほしいと思うほどだった。
もっといえば、桑田佳祐の処女監督作品を褒めた映画ファンは「おそらく」皆無だった。
(ちなみに現時点における、自分のワーストワンの映画として君臨をつづけている。おめでとう!!)
『稲村ジェーン』の評判の悪さは、だいぶ前から映画関係者の耳には届いていた。
群馬の、場末の映画館でさえも「その情報」は掴んでいたはず。
だから自分は新名さんにいったんだ、「『3-4X10月』を流すべきだ」って。
しかし新名さんは、北野武の傑作に見向きもしなかった。
「いや、秋は『稲村ジェーン』一本でいく」
「なんで、ですか。新名さんも、つまらないだろうって予想しているんでしょう」
「…してるよ、そりゃあ」
「じゃあ、なんで」
「金にならんのよ、武の映画は」
絶句してしまった。
『稲村ジェーン』、楽日―。
ポスターの貼り替えを手伝っていると、新名さんが笑いながらこういった。
「―おつかれさん。飯でも食いにいくか?」
「あ、はい」
「好きなもん、奢ってやるよ」
「え、いいんですか」
「つまらん映画を1ヶ月も映写したお前を、労わってやるよ」
「えっ」
「俺だって武の映画を応援したいけどな」
新名さんは、ここで真顔になった。
「きょうの奢りは、結局のところ、桑田佳祐のおかげなんだよ」
「………」
ハッとした。
映画はまちがいなくアートだとは思うが、それだけでは成り立たない。
そう、「映画だって商売」という視点が抜け落ちていたことに気づいた、16歳の秋だったのだ。
つづく。
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(182)』