映画小僧を自称しているわけだから、あらためて主張しなくとも分かってもらえている・・・とは思うが、映画館が好きだ。
かかっている映画とは無関係で、あの空間そのものが好き。
たぶん、この世で最も落ち着ける、それでいて興奮も出来る場所なんだろう、自分にとって。
シネコン時代が到来し、ほとんどの映画館が清潔になった。
けれども敢えていうが、清潔とはいえない昭和な映画館でさえ好きだった。
というか10代のころの自分は、映画館とは「そういうものだ」と思っていた。
清潔である必要がないところ、と。
極端にいえば、、、の話だからね。
映画全体の動員数が増加傾向にあるのは、識者がいうとおりシネコンの影響によるものだと思われる。
最新システムであれば行列に並ぶ必要がないし、絶対に「座って」鑑賞することが出来るし、しかも清潔。
そうである必要性はないが。
劇場ごとの個性というものはなくなり、悪くいえば建売住宅のようになった。
牛丼業界が子どもや若い女子を取り込むために、「ファミレス化した」ことに似ているかもしれない。
それで景気がよくなったんだ、繰り返すが、それ自体についてナンヤカンヤいうつもりはないよ。
ライムスター宇多丸が『アウトレイジビヨンド』(2012)評で語っているように、柄の悪い客なんか、ふつうの映画? だけを観ているかぎり遭遇しない世の中にもなったし。
それでも。
個性的な映画ファンが集まる個性的な映画館が、減少傾向にあるのは、やっぱり寂しい・・・と、場末の映画館から社会を人生を学んだ昭和な映画小僧は思っちゃうわけですよ。
何度も書いてきたが、生まれて初めてのアルバイトは映画館の映写技師だった。
「技」師なわけだから技術が要る、そう名乗るには経験が足りないというのであれば、技師「見習い」といっておこう。
その映画館『清流』で働き始めたころの話は、「初めてのアルバイト」というテーマにして、すでに本連載で取り上げている。
が、語りたいエピソードはまだいくつもあって、だから今回は特別篇として3~4日に分け思う存分語ってみたいと思う。
『清流』は、特別個性的な映画館だったわけではない。
地方の、昭和の、映画館らしい映画館というか。
スクリーンはふたつ、ともに座席数は300前後と記憶する。
外国映画と日本映画をバランスよく取り入れ、1年間通い続ければ、その年の話題作の「ある程度」をおさえることが出来る、ありがたい場所だった。
自分はここで初めての映画館体験(=82年の『アニー』)をし、ここで成龍と出会い、ここでスピルバーグを知り、ここで映画の魔力に取り憑かれた。
90年、4月28日―。
銃に対するフェティシズム描写が光る米映画、『ブルースチール』が公開。
(監督は、のちに『ハート・ロッカー』(2008)を撮ることになる、キャスリーン・ビグロー女史)
自分は『清流』で初日にこの映画を観て、その帰りに「バイト募集」の貼り紙を見た。
その直後、売店のおばちゃんに「すいません、アルバイトしたいのですが…」と声をかけたのだった。
「―あら、よく見るおにいちゃんじゃない」
「覚えてくれているんですか」
「だって、たぶんここでかかっている映画、全部観にきてくれているでしょう」
「えぇ、まぁ」
「あの紙、ずっと貼ってあったけど、どうして急に働きたくなったの?」
「えっ、前から貼ってあったんですか?」
「(笑う)映画に夢中で、気づかなかったのねぇ」
つづく。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(181)』
かかっている映画とは無関係で、あの空間そのものが好き。
たぶん、この世で最も落ち着ける、それでいて興奮も出来る場所なんだろう、自分にとって。
シネコン時代が到来し、ほとんどの映画館が清潔になった。
けれども敢えていうが、清潔とはいえない昭和な映画館でさえ好きだった。
というか10代のころの自分は、映画館とは「そういうものだ」と思っていた。
清潔である必要がないところ、と。
極端にいえば、、、の話だからね。
映画全体の動員数が増加傾向にあるのは、識者がいうとおりシネコンの影響によるものだと思われる。
最新システムであれば行列に並ぶ必要がないし、絶対に「座って」鑑賞することが出来るし、しかも清潔。
そうである必要性はないが。
劇場ごとの個性というものはなくなり、悪くいえば建売住宅のようになった。
牛丼業界が子どもや若い女子を取り込むために、「ファミレス化した」ことに似ているかもしれない。
それで景気がよくなったんだ、繰り返すが、それ自体についてナンヤカンヤいうつもりはないよ。
ライムスター宇多丸が『アウトレイジビヨンド』(2012)評で語っているように、柄の悪い客なんか、ふつうの映画? だけを観ているかぎり遭遇しない世の中にもなったし。
それでも。
個性的な映画ファンが集まる個性的な映画館が、減少傾向にあるのは、やっぱり寂しい・・・と、場末の映画館から社会を人生を学んだ昭和な映画小僧は思っちゃうわけですよ。
何度も書いてきたが、生まれて初めてのアルバイトは映画館の映写技師だった。
「技」師なわけだから技術が要る、そう名乗るには経験が足りないというのであれば、技師「見習い」といっておこう。
その映画館『清流』で働き始めたころの話は、「初めてのアルバイト」というテーマにして、すでに本連載で取り上げている。
が、語りたいエピソードはまだいくつもあって、だから今回は特別篇として3~4日に分け思う存分語ってみたいと思う。
『清流』は、特別個性的な映画館だったわけではない。
地方の、昭和の、映画館らしい映画館というか。
スクリーンはふたつ、ともに座席数は300前後と記憶する。
外国映画と日本映画をバランスよく取り入れ、1年間通い続ければ、その年の話題作の「ある程度」をおさえることが出来る、ありがたい場所だった。
自分はここで初めての映画館体験(=82年の『アニー』)をし、ここで成龍と出会い、ここでスピルバーグを知り、ここで映画の魔力に取り憑かれた。
90年、4月28日―。
銃に対するフェティシズム描写が光る米映画、『ブルースチール』が公開。
(監督は、のちに『ハート・ロッカー』(2008)を撮ることになる、キャスリーン・ビグロー女史)
自分は『清流』で初日にこの映画を観て、その帰りに「バイト募集」の貼り紙を見た。
その直後、売店のおばちゃんに「すいません、アルバイトしたいのですが…」と声をかけたのだった。
「―あら、よく見るおにいちゃんじゃない」
「覚えてくれているんですか」
「だって、たぶんここでかかっている映画、全部観にきてくれているでしょう」
「えぇ、まぁ」
「あの紙、ずっと貼ってあったけど、どうして急に働きたくなったの?」
「えっ、前から貼ってあったんですか?」
「(笑う)映画に夢中で、気づかなかったのねぇ」
つづく。
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(181)』