最近、自称「ビョーキと判断されない程度の縛り癖」を持つ女子に会った。
今年初めに竹中直人による映画『自縄自縛の私』(2013)を観たが、あぁ実際にそういうひとが居るのか、、、と軽い驚きを覚えた。
自分にその趣味はないが、だからといって理解出来ないと距離を置くつもりはない。
ぶっかけやブルマなど、自分だって充分に「ちょっとずれている」のであろうし、縄や紐で縛ることがどう性的快楽につながっていくのか、ふつうに興味があるからだ。
「絶頂とか、そういうんじゃないよ。ただ、なんというか、落ち着くの。逆にいうと縛っておかないと、落ち着かないということ」
「自分で自分を?」
「そう、誰かを縛ろうとは思わない。自分だけの問題。最初はヘタで縛りがゆるくてなんにも感じなかったり、逆にきつくて痛いだけだったりしたけど」
「中間がいいんだね。この縄じゃなきゃダメというのも、ある?」
「もちろん、あるよ。ホームセンターで売っているやつは、ぜんぶ試した」
「いまも、してる?」
「ううん、在宅中だけ。外に居るときは、なにがあるか分からないし」
「だよね。・・・突っ込んで、聞いていい?」
「エッチのことでしょ?」
「うん、そう」
「いいよ、あたしもべつに、恥ずかしがるトシでもないし」
「縄や紐を使ったりする?」
「しない」
「首を絞めたりは?」
「しない」
「そこらへんは、ふつうなのかな」
「だから自称で“ビョーキと判断されない程度の”といってるの」
「なるほど」
「(笑う)期待はずれでしょ?」
「(笑う)それはないけど」
そういや俳優のデビッド・キャラダイン(=映画『キル・ビル』(2004)のビル役)が自分のナニを縛りつけられた状態で死んでいるのが見つかったけれど、あれとか、まだ事件なのか事故なのか判然としないらしい。
そういうトラブルが発生しないかぎり、基本的にはなにをやっても許されるわけでね、
あらためて世の中は広いと思う。
そんなわけできょうは、広義の意味における「縛る」「絞める」映画を10本ほどセレクトしてみよう。
※「手」も「道具のひとつ」と解釈することにする
(1)『ブラック・スネーク・モーン』(2006…トップ画像)
セックス依存症を患うレイ(クリスティーナ・リッチ)を治療するため、農夫ラザラス(サミュエル・L・ジャクソン)は彼女の自由を鎖で奪う。
(2)『愛のコリーダ』(76)
定(藤竜也)と吉蔵(松田英子)はセックスの最中、互いの首を絞めることによって「快楽の向こう側」に行こう・イコう・逝こうとした。
(3)『おとうと』(60)
肺病を患ったおとうと(川口浩)の病状が急変してもすぐに分かるように、姉(岸惠子)はふたりの腕をリボンで結んで寝るのだった。
(4)『undo』(94)
なんでも縛りたがる「強迫性緊縛症候群」を患った妻(山口智子)と夫(豊川悦司)の物語。
岩井俊二の映画で、いちばん好きかもしれない。
(5)『絞死刑』(68)
オオシマ映画、ふたつめのランクイン。
というか、日本映画強し。
そうか日本映画は、縛り・絞めに強いサブミッション系? なのか。
ただ吉蔵と定が望んで絞め合ったのに対し、死刑囚Rは「もちろん」望まずに「2度も」死刑執行を受けることになる。
(6)『アタメ』(89)
副題は「私をしばって!」だが、倒錯的なSМの物語もペトロ・アルモドバルの手にかかれば、なんとなくポップに見えてくるのだから不思議、、、というか、ちょっと卑怯かも。
(7)『アウトレイジビヨンド』(2012)
加瀬亮、椅子に縛りつけられバッティングセンターの刑? に処せられる。
イヤな殺されかただなぁ!!
(8)『ソウ』(2004)
死体ひとつ、そして、足を鎖でつながれた男ふたり―きょうのお題でアンケートを取ったとすれば、おそらくこの映画が首位に輝くか。
ただ、1作目はともかく、このシリーズになぜか乗れない自分なのだった。
(9)『気狂いピエロ』(65)
縛るとはちょっとちがうが、主人公(ジャン=ポール・ベルモンド)はダイナマイトを顔に巻きつけて爆死するのだった。
見つかった
何が?
永遠―。
(アルチュール・ランボー、『永遠』より)
(10)『氷の微笑』(92)
「コリーダ」と展開は似ているが、吉蔵と定のように「両者の性癖が一致した」とはいえないケース。
そのために、縛られた男は殺されてしまうのだ。
※『自縄自縛の私』…デリコによる主題歌もよかった
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(55)』
今年初めに竹中直人による映画『自縄自縛の私』(2013)を観たが、あぁ実際にそういうひとが居るのか、、、と軽い驚きを覚えた。
自分にその趣味はないが、だからといって理解出来ないと距離を置くつもりはない。
ぶっかけやブルマなど、自分だって充分に「ちょっとずれている」のであろうし、縄や紐で縛ることがどう性的快楽につながっていくのか、ふつうに興味があるからだ。
「絶頂とか、そういうんじゃないよ。ただ、なんというか、落ち着くの。逆にいうと縛っておかないと、落ち着かないということ」
「自分で自分を?」
「そう、誰かを縛ろうとは思わない。自分だけの問題。最初はヘタで縛りがゆるくてなんにも感じなかったり、逆にきつくて痛いだけだったりしたけど」
「中間がいいんだね。この縄じゃなきゃダメというのも、ある?」
「もちろん、あるよ。ホームセンターで売っているやつは、ぜんぶ試した」
「いまも、してる?」
「ううん、在宅中だけ。外に居るときは、なにがあるか分からないし」
「だよね。・・・突っ込んで、聞いていい?」
「エッチのことでしょ?」
「うん、そう」
「いいよ、あたしもべつに、恥ずかしがるトシでもないし」
「縄や紐を使ったりする?」
「しない」
「首を絞めたりは?」
「しない」
「そこらへんは、ふつうなのかな」
「だから自称で“ビョーキと判断されない程度の”といってるの」
「なるほど」
「(笑う)期待はずれでしょ?」
「(笑う)それはないけど」
そういや俳優のデビッド・キャラダイン(=映画『キル・ビル』(2004)のビル役)が自分のナニを縛りつけられた状態で死んでいるのが見つかったけれど、あれとか、まだ事件なのか事故なのか判然としないらしい。
そういうトラブルが発生しないかぎり、基本的にはなにをやっても許されるわけでね、
あらためて世の中は広いと思う。
そんなわけできょうは、広義の意味における「縛る」「絞める」映画を10本ほどセレクトしてみよう。
※「手」も「道具のひとつ」と解釈することにする
(1)『ブラック・スネーク・モーン』(2006…トップ画像)
セックス依存症を患うレイ(クリスティーナ・リッチ)を治療するため、農夫ラザラス(サミュエル・L・ジャクソン)は彼女の自由を鎖で奪う。
(2)『愛のコリーダ』(76)
定(藤竜也)と吉蔵(松田英子)はセックスの最中、互いの首を絞めることによって「快楽の向こう側」に行こう・イコう・逝こうとした。
(3)『おとうと』(60)
肺病を患ったおとうと(川口浩)の病状が急変してもすぐに分かるように、姉(岸惠子)はふたりの腕をリボンで結んで寝るのだった。
(4)『undo』(94)
なんでも縛りたがる「強迫性緊縛症候群」を患った妻(山口智子)と夫(豊川悦司)の物語。
岩井俊二の映画で、いちばん好きかもしれない。
(5)『絞死刑』(68)
オオシマ映画、ふたつめのランクイン。
というか、日本映画強し。
そうか日本映画は、縛り・絞めに強いサブミッション系? なのか。
ただ吉蔵と定が望んで絞め合ったのに対し、死刑囚Rは「もちろん」望まずに「2度も」死刑執行を受けることになる。
(6)『アタメ』(89)
副題は「私をしばって!」だが、倒錯的なSМの物語もペトロ・アルモドバルの手にかかれば、なんとなくポップに見えてくるのだから不思議、、、というか、ちょっと卑怯かも。
(7)『アウトレイジビヨンド』(2012)
加瀬亮、椅子に縛りつけられバッティングセンターの刑? に処せられる。
イヤな殺されかただなぁ!!
(8)『ソウ』(2004)
死体ひとつ、そして、足を鎖でつながれた男ふたり―きょうのお題でアンケートを取ったとすれば、おそらくこの映画が首位に輝くか。
ただ、1作目はともかく、このシリーズになぜか乗れない自分なのだった。
(9)『気狂いピエロ』(65)
縛るとはちょっとちがうが、主人公(ジャン=ポール・ベルモンド)はダイナマイトを顔に巻きつけて爆死するのだった。
見つかった
何が?
永遠―。
(アルチュール・ランボー、『永遠』より)
(10)『氷の微笑』(92)
「コリーダ」と展開は似ているが、吉蔵と定のように「両者の性癖が一致した」とはいえないケース。
そのために、縛られた男は殺されてしまうのだ。
※『自縄自縛の私』…デリコによる主題歌もよかった
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