fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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歌人河野裕子と私の短歌のこと

2012年09月27日 | 日記

                なつめ

 うちはBSをいれていないのですが、先月花巻のホテルで、河野裕子さんのドラマを見ることができました。お亡くなりになられてから、一年以上経ちますが、闘病そして死を見つめたたくさんの歌と遺されました。ご主人が永田和宏さん、息子さんも娘さんも歌人という歌人一家ということも、永田さんとの出会いも短歌だったことも、その暮らしも全てが歌に詠まれています。そして死を見つめてからの歌は壮絶そのもの。どんどん透明感を増していきます。

 歌集『蝉声』 河野裕子

 『たとへば君-四十年の恋歌』  永田和宏  

 この二冊は、涙なしには読めません。(この頃すぐ泣きますが)ドラマでは、河野さんを歌手のりりぃさん、永田さんを風間杜夫さんが演じていましたが、ときおり挿入される写真や実際の家族の映像を見ると、ご本人たちのほうが、はるかに美しい。(りりぃさん達もいいのですけど)ドラマ化されるときは、だいたいが役者さんのほうがきれいだったりするものですが、めずらしい現象でした。それほど魅力的なご家族でした。永田さんは、このほかにも河野さんに関する本を出されていますが、とりあえずこの2冊を読めばいいかなと思っています。

 かつて、その河野さんが選者になっている賞で、入選したことがありました。鳥取県国府町の第10回大伴家持大賞です。

祖母の手と違う母の手母の手と違う我の手娘の手を曳く手  

 という歌です。今作品集を読み返してみると、もう一人の選者である佐々木幸綱氏が特に高く評価してくださっています。

 佐々木「130の歌(上の歌の番号)に感心しました。手という字がたくさんでてきますけれども、母と娘、親子三代が出てくる歌です。それぞれが娘の手をひいているけれど、それぞれが違う手なのだということです。これは父と息子とは違う感覚だろうと思いました。ちょっと早口言葉のような、名詞がたくさん出てくるわけですけれど、言葉の問題としても短歌のレトリックの問題としても、なかなかうまくできていると思いました」。これに対して、他の選者の先生や河野さんが、ここに出てくる人物は3人か4人かとあれこれ論議があり、いろいろ読めるおもしろさを楽しんでくださっています。鳥取の歌人の大寺さんは、「これだけ人を登場させて、これだけ手を使って嫌みがないというのはすごいです。大変リズム感もいいし、非常にうまくまとめてあり、後ろの内容もじわっと後に残してくれるという大変上手い歌だと思います」と。

 俳句を始める前、少しの時期短歌も作っていたのですが、ひとりで作っているのも限界かと思い、どこか短歌の会に入ろうと思いました。そのとき、いろいろと雑誌を取り寄せ、何気なく一冊だけ俳誌がまざっていたのが『童子』だったわけで。言葉を学ぶにはここのほうがいいと判断、そのまま今にいたっています。これもご縁だなあと思います。

 短歌では、他にまとまったものとして、角川短歌賞の最終選考に残った事が一度、中条ふみこ賞(確か第一回)で佳作をいただいたことが一度(ジャガイモ1箱いただきました)、モエという雑誌では大木あまりさんが何度も選んでくださいました。(この時期は景気がよかったのでしょう。一首掲載されるだけで、きちんと原稿料が送られてきました。)

 でもいつしか俳句一本になったのは、ちょっと短歌はしんどいものがあったからかもしれません。小説ではなく児童文学を書いている理由と通じるものがあるようです。

 他の短歌も、またいずれご紹介したいと思います。

 画像のなつめは、記事の内容とは全く関係有りませんが、育った家にはなつめの木があったので、なつかしく。なかなか見ないです。林檎に似た味がするのですが、食べ過ぎると頭が痛くなった思い出も。

 


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