如月真菜さんは、若手俳人として活躍されているかただ。
では、俳人として「若手」とは何歳くらいまでなのだろう? これは、難しい。私はもう、若手ではなくなっている。これは確か。真菜さんはその私の俳歴26年をはるかに超えた俳歴をお持ちの方。年はずっと若いけど。なにしろ小学生のときから、母親である辻桃子さんの元で俳句を作り続けているのだ。
『琵琶行』は、『蜜』『菊子』に続く第3句集になる。独身だった女性が、結婚し、夫の転勤に伴い転居を繰り返し、その間3人の子どもを生んでいる。その濃密な時間がつまった句集となった。
濃密だが、決して重くない。
横浜から関西へ行き、ついこの前までの多くの時間を大津で過ごされた。
私も昨年、子ども向け俳句本を書くため、真菜さんと子ども達との句会の取材をしに出かけた。あの琵琶湖に近い歴史ある土地で読んだ作品が、この句集に奥行きを与えている。
つかのまを近江住まひや遠砧
語らるる李朝の壺や春の影
本日の波の形や比良八荒
作風も恋も変はるや夕立晴
嫌なひと向かうもちらと月今宵
みどりごのいまだぬれゐて麦の秋
血の青き乳張ってきし薄暑かな
掃苔や一雨が湾にごらせて
叱られに来し小児科や麦熟るる
胎の子に明けましてとも申しけり 真菜
どの句も、繊細かつ貫禄がある。これはなかなかできることではない。
取り上げたのは、ぱらとめくって目についた句。佳句は他にもたくさん、いや全てだ。
カバー絵は、日本画家であった祖父の血の流れを彷彿させるご自身の絵。人の才能とは血とは尊いと、つくづく思う。
俳人として一生を生きるというのは、並大抵のことではない。真菜さんは、もうその道をすでに歩んでいらっしゃる。一つの道を歩いているその姿を、そして俳句を、できる限り見届け、賛辞を捧げ続けたいと願う。
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