「童子」各地にある句会が、次々と合同句集を出していますが、習志野句会では、とうとうⅡ号ができました。
母老いて三姉妹老い谷崎忌 辻 桃子
伯父ずらし伯母を納めて冬の墓 安部元気
買初や浅草橋で日めくりを 薗部庚申
風入れて創刊号のかく薄き たなか迪子
いつまでも喉の治らぬ立夏かな 黒木千草
玄関の四角の闇に豆打てり 小川こう
浜風の強き千倉やダチュラ咲く 奥出ひろ子
飛び立てば風に戻され寒雀 倉持万千
花茣蓙にころがしおくも子守かな 桑原いろ葉
末席に座る癖あり箒草 毛塚紫蘭
半熟の黄身滴れる厄日かな 幸崎桂花
半夏雨ぷすりぷすりと砂が吸ひ 高橋羊一
はんぺんのやうな女形や春芝居 中島鳥巣
渦巻くや二百十日の湯を抜けば 中村時人
袋より煙のやうな物の種 ひろおかいつか
新しき絨毯に猫ごろごろと 笛木かりん
師の庭のここも花野というべかり ふく嶋桐里
馬小屋の一頭ごとの扇風機 村井あきつ
またひとり喪服と出会ふ残暑かな 脇坂うたの
私も一つの句会を世話人として、やっていますが、このようなまとまった句集を出すにはいたっていません。結束力と、みなさんのパワーが、すごい! 一人一句で選びましたが、まだまだ好きな句があります。
私は、俳句をやることは、最初は一人で、こつこつと、筆記用具さえあればできると思っていたけれど、いざ始めてみると、一人では進歩がなく、やはり「座」が。大事。ところが人が集まる、組織というところに入ると、いいこと、楽しいことばかりではなく、傷ついたり、不愉快な気持ちになったりということも出てきます。俳句も、人と比べてしまったり・・・。でも時々、本来の目的やいやなことを乗り越えたときの自分なりの進歩を感じると、やめなくてよかったと思うわけで。
俳句は、ある意味、遊びです。やったからお金になるものじゃないから、仕事ではない。(一部のトップ俳人をのぞいて)でも、この「遊び」を真剣にやることが、その人本来の仕事や生き方につながっていくと信じています。
以前、何度か書きましたが、私の場合、俳句をやることと児童文学とが相乗効果になっていることは確かですが、それは、「俳句が勉強になる」「役に立つ」ということではなく、ものを見る目や、自分が生きている世界のすばらしさを感じること。これからも、そのあたりを考えながら、両方の文学に身を置いていきたいと思っています。
きっと、上の皆さんもそれぞれ、いろいろな思いを抱えながら、続けてらした成果がこの一冊なのだなと、感じました。
今月末には、「童子」30周年記念大会があります。全国津々浦々から集まる俳人とお会いできるのが、楽しみです。
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