
◎2019年5月25日(土)
かじか荘上駐車地(7:14)……尾根突端部(7:17)……1200mピーク(8:39~8:54)……舟石新道(8:59)……熊ノ平(9:06)……1360m付近で休憩(9:52~10:03)……1528m標高点付近(10:48~10:54)……塔の峰(11:41~12:17)……1662m標高点付近(12:45)……舟石新道(13:25~13:39)……庚申山水ノ面沢コース合流(14:58)……庚申七滝休憩場(15:50~16:06)……庚申川の滝見(16:26~16:44)……駐車地(17:32)
予定の目的はアカヤシオ見物。標高的に塔の峰の西、庚申山への進路が西から南に変わる1745m標高点鞍部あたりが見頃と素人判断をしている。中倉尾根から来れば、オロ山と庚申山の鞍部ということになる。もしかすると一週間遅かったという結果になるかもしれない。だとしたらそれはそれで仕方がない。こちらは二週続きで山歩きに行ける状態ではなかった。塔の峰の山名板メンテでもできればそれでいい。
ここで余計な話を入れる。今月に入ってから、朝夕の犬の散歩をしていると、腰から下、ことに両足のふくらはぎが痛くなり、小型犬ながらも、突然立ち止まったり、方向転換したりする犬の動きについていけず、この散歩や日常の歩行に苦痛が伴うようになっていた。ことに腰をかがめて犬のウンチを拾う際にはつらかった。まだ、杖をつきながら散歩していた時の方が楽だった。整形外科に診てもらうと、レントゲンを撮ったものの、医師は明確には言わないが、坐骨神経痛になってしまっているらしい。10日分の薬を処方されて様子見となったが、こんな痛み止めの飲み薬が効くわけもなく、相変わらず、リハビリは骨折以来の足の上げ下げとマッサージ機に横たわるだけで終始し、この整形外科にはここで見切りをつけ、柔道整復師のいる整骨院に通うようになった。通っていた整形外科医院の患者は多く、名医として評判は高いようだ。いずれにしても、日光市民病院で手術してから先、地元で通院できる整形外科の選択をしたのは自分自身だ。医師の出身大学と経歴だけで選んだのが失敗だった。少なくとも自分には名医としての適切な治療ではなかった。
三週間前に息子と歩いた根本山は整骨院に通う前のことで飲み薬に期待をかけている時だった。好きな山歩きをしている間は不思議に痛みを感じないでいられるが、下山すると下半身の痛みでヘタヘタになった。これでは山歩きも控えないと悪化しそうだ。新たな整骨院では電気マッサージも使うが、大半は手での荒っぽい治療になる。平日は仕事後にほぼ毎日のように通院している。それが効を奏してか、歩行が大分楽になった。何で坐骨神経痛になったのか。これは加齢による腰椎の変形、神経への圧迫もあるだろうが、自分としては、骨折後にケガ足をかばう歩きになり、歩き方の左右の足にかけるバランスが崩れたことに起因していると思っている。
長い与太話だった。受け取り方によっては、冒頭から言い訳がましく聞こえるし、そんなのはオフレコだろうと言われそうだ。だが結局は、この坐骨神経痛が出てきて今回の塔の峰歩きが展開することになるということだ。
塔の峰に行くコースは二案考えていた。一つは三年前の三月に見つけた作業道を改めて追ってみるプラン。そしてもう一案は、これも同日の帰路で使おうとした尾根ルートだが、途中で恐ろしくなり、舟石林道側に逃げ込んだ経緯がある。ちなみに、ノラさんも同様に下ろうとして舟石林道側に降りている。この尾根を南から登ってみようというもの。
後者のルートだが、この発想は、丸石沢の西側の尾根の大方は歩いているが、東側の尾根は熊ノ平経由の尾根しか歩いたことがないからといった単純な理由からだが、南から北上すると、向山に対座する1200m級ピークに至り、さらに下ると向山との鞍部を舟石新道が通っている。地形図を見ればわかるが「丸石沢」の「沢」の字に重なる尾根末端から登れそうだが、1060mにちょっとしたゲジマークがあり、まして、いつも林道を通りながら見上げては、こんな急斜面をどうやって登れるのかと思っていた。片や、庚申林道から舟石林道が分岐するところに末端のある尾根から登るとなると、等高線が10m分消えた崩壊地を通ることになる。いずれも現実的ではない。となると、第一案の丸石沢の作業道追いになる。ただ気乗りがしないのは確かで、というのも、丸石沢右岸側から一時的にせよ登るルートは植林があって、自分にはあまり好みではないのだ。さりとて、笹ミキ沢まで林道をテクテクと歩く気にはなれない。どうも天気予報では月曜日まで真夏日続きらしい(月曜日は猛暑日だった)。暑さの林道歩きは応えるし、地下タビでは足裏も痛くなる。
駐車地にはすでに車が10台。下には4台ほど。7時を過ぎたばかりなのに、準備をしていてもやって来る車はなく、この日どん尻のスタートかもしれない。時間的に、そしてナンバープレートを見る限りは他県がほとんどで、大方が百名山の皇海山だろうか。たいしたものだと思う。今の自分には無理な話だ。いわんや日帰りにおいてをやだ。自分なら不動沢から入って百名山の一座を〇にして済ます。ここは標高が800mを超えているというのに、朝から暑い。むしろ、山はやめにして沢でも歩きたいが、庚申川は単独素人には手に負えないし、場所によっては泳ぎにもなる。泳ぐにはまだ早い。笹ミキ沢は一回やったから十分だ。ここで敢えて記す。先日、庚申川の河原にかろうじて出られたが、例の滝を見るのが目的だけならともかく、例えば雨降沢から小法師尾根に上がることを考慮すれば、あのルートは使えないだろう。ふみふみぃさんから言われるまでもなく、上流に向かっての泳ぎまたは腰まで浸かっての徒渉になる。別の降り口を探さないといけないと思っている。
(尾根の玄関口。林道歩きで庚申山に登るならだれでも目にする)

林道ゲートに向かう。この時は丸石沢右岸尾根に向かおうとしているのだが、件の10m崩壊地付きの尾根が気になった。取り付きは目の前にある。好奇心が動いた。これを行ってみようじゃないの。行き詰ったら西の本尾根に移動すればいい。ゲート前で少し戻って、入り込む。何かの施設が三つある。KDDIと銀山平雨量観測所。もう一つのボコボコしたさいころ状の建屋は何なのか。確認に行くほどヒマでもない。塔の峰に行くのにこのルートを使えば時間がかかるだろうことは承知している。
(最初は植林と自然林の混合。これでも急だ)

(途中から見下ろすと)

急な尾根だった。早速、ストックを出す。しばらく左下に庚申林道が見え、ゲート前に車が止まった音が聞こえた。下から見られたらまずい。つい足早になり、林道が見えないところまで登り上げると、かなり息が上がってしまった。
シカ道なのか作業道なのか知らないが、踏み跡は続いている。植林の一部が入り込み、白ビニールテープをぐるぐるに巻いた樹もある。やがて植林が消えて岩混じりの自然林になると、テープは消えた。踏み跡は続いている。これはもうシカ道としか考えられない。相変わらずの急斜面で、上がるに連れてかなりきつくなった。見下ろすと足がすくんでしまう。もっともこんなところばかり歩いている身には、またかで終わるし、自分の「きつい」、「急」という言葉は、他人には「普通」に置き換えてもいい。
(おそらく、この辺が10m等高線切れのところだろうと思う)

(1286mピークだろう)

(小ピーク。左に鉄の棒と石柱)

岩場というか露岩になった。低い岩だが、右から巻けそうなので直登は避けた。そして、急に傾斜が緩くなって石混じり地帯に入った。上に小ピークが見える。樹間から左手に1286m標高点らしいピークが覗く。小ピークには真っ赤なヤマツツジが咲いている。ここで呼吸を整える。さっきの長い急斜面にはまいった。
これから10m崩壊地に入り込むようだが、先を見ると、そんな感じの景色は目に入らない。気になってGPSを見ると、10m崩壊地はすでに過ぎていて、その真ん中を通って来ていた。あの地図のゲジゲジは何だったのか。
ただ、安心するにはまだ早い。この先、尾根は等高線が3本分消えた崩壊地の脇をかすめ、庚申林道からの主尾根に合流する。崩壊地に接しながらの登りは気分的に萎える。さて、ここの小ピークには頭が赤で白い金属棒と石柱が置かれているが、これはいったい何の目印なのか。肩書はない。石柱には古河マークもない。
(これは地形図にはない下り)

(荒れてきたので)

(この作業道を歩いてみるがすぐに戻る)

少し下って鞍部。ヤマツツジが咲き乱れている。つい最近まで咲いていたのか、ピンクの花びらも落ちている。紫色の花びらは見あたらない。そして林野庁発行の境界見出標を見かける。古河と営林署が混在しているところらしい。
樹の根がはびこった荒れた尾根になり、左に明瞭な作業道が目に入った。やはり森林作業で人が入り込んでいるようだ。ちょっとがっかり。これを歩いてみると、そこだけ樹々の茂みのない更地のような空間に出て、別に危うくもないが、このまま作業道を歩くのもどうかと、右上の尾根に復帰した。作業道を歩いた時間は一分もない。作業道は先に続いているようだ。
(こんなところを歩くのはRRさんでしょう)

(1200mピークが視界に入る)

尾根に出てまた小ピーク。ここから先は見晴らし良好になる。目の前に1200mが見え、さほどに遠くには感じない。また気になってGPSをチェックした。30m崩壊地の真ん中を堂々と歩いていた。ここのゲジゲジマークにも疑問が残った。自然の流れに抗って復帰しつつあるのか。
ここの小ピークにはケルンが積まれていた。1200mにも大きなケルンがある。同一人物だろうが、こんなところでとなると、思い浮かぶ方は一人しかいない。失礼ながらつい笑ってしまう。それはともかくとして、この小ピークが林道側尾根との合流点のようだ。
(岩場の回廊も出てくるが、左右の木立のせいでたいして危険は感じない)

(備前楯でしょう)

岩尾根になった。危険は感じない。というのも、見下ろすと両サイドは急斜面だが、樹々の葉が濃くなっていて目立たないからだけのことで、三年前の三月にここを下ろうとして舟石林道側に逃げたのは、歩いていて恐怖心にかられたからなのであったが、その時のように葉を落としていたら、こうのんびり歩けるのかは怪しいところだ。さらにこの尾根、下り使用は結構つらいかもしれない。
塔の峰が見え出し、気分が良くなったところで自分もケルンを積んでみる。ついでに小休止。まだ早いが一服する。次第に暑くなってきている。漂う微風に涼感はまったくない。もう手拭い一本では足りず、これからは二本持ちにしないといけないな。真っ赤なヤマツツジが余計に暑苦しさを感じさせる。たまに聞こえるエゾハルゼミの鳴き声もアブラゼミのそれに似ている。水をついグイっと飲んだ。いつもなら、こう早々に水を摂取することはないが、今日は暑いだろうと、普段の1ℓを2ℓ持参にした気安さもあったからなのだが、自分の場合、水も一口飲めば、わかりやすく言えばクセになって際限がなくなり、やがては唇や口内の皮がむけて、常にノドが渇く状態になる。結果、今日は途中から水の心配をすることになる。十分に間に合ってはいても、貧乏性の至るところで、常に持参時の半分以上残っていないと不安になる。
(山頂が近づく)

(高低の遠近感からして特定は難しいが、手前が1455m三角点、中が塔の峰、右が1528mのような気がするが)

(今のところヤマツツジのみ)

木陰の、狭く薄暗い回廊を行くと露岩帯になった。ここにもケルン崩れがあった。形を整えてやる。やがて、見覚えのある風景の中を通過。以前この辺から東に逃げたんだったっけ。あの時、この尾根を下った際、尾根先がストーンと落ち込んで先が見えなかった。だから逃げた。今日はそこを登って来た。考えてみれば、今日のルートが安全で、あの時の逃げ込み先にした東側斜面への踏み込みは危険としか言いようがない。西側は問題外。歩ける範囲外だ。
(山頂)

(1200mは岩峰)

(中倉尾根)

(アップすると)

(こちらは向山。連休の頃はアカヤシオの洪水だったらしい。ということはこちらもそうだったのかも)

1200mピークに到着。頑丈そうだったケルンは少し崩れたか。最近脚光を浴びてきているらしい向山に比べれば、対面にありながら地味な山頂だ。向山の魅力は何といっても中倉山が正面に見え、中倉尾根もかなり奥まで見渡せることだろう。備前楯も視界に収まる。中倉山にいるハイカーの声すら聞こえたことがあった。そしてプチバリ歩きの気分に浸れるところにも魅力もあるのだろうか。ここからでは樹に隠れて中倉山の全容は見えない。かろうじて例のブナの樹と中倉尾根の一角は見えている。西側は塔の峰に隠れてしまっている。もはや俗化した中倉山には興味はないので、自分には中倉山が見えずとも十分に満足だ。
自分が歩いたルートは、わざわざGPS軌跡を出さずとも地図を見れば一目瞭然だ。物好きな方が後追いをするかも知れない。汚さないでくれればそれはそれで結構だ。結論として、地図にある二か所の崩壊地の通過はなかったということ。少し前まで歩くハイカーもまれだった井戸沢右岸尾根。今は中倉山への通常コースになり、落書きすらも派手にあるらしい。そんな愚かなハイカーがこの地味な尾根を1200mピークまで歩くとはとても思えない。
1200mでしばらく休んだ。小さなスペースの木陰を見つけて腰をおろした。汗は引かない。下部の急斜面にいかれた。この先の歩きに自信がなくなってきた。もはや目的の1745m鞍部は無理。そこまで行けたとしても、さらに庚申山までとなるとかなり厳しい。目標を塔の峰にしぼった方が無難だろう。その塔の峰までどうやって行くか。自分にとって、楽チンコースは舟石新道で日ヶ窪峠に出、南東尾根を使うことだが、当初の予定ルートはそうではなかった。熊ノ平から1528mを経由する北側のルートだ。これを選んだ理由は、もはや遅いだろうが、上がるに連れてツツジの咲き具合を楽しめると思ったからだ。これだけは律儀に歩くことにしよう。地図にもう用はない。ザックにしまう。この先で使うところはないだろう。
ここまでは歩いたことのない尾根だったのでダラダラと記したが、この先はいわば既存のコース歩きになるのではしょって記したいが、はしょるほどのスピード感のある歩きをしたわけではない。1200mから下ってぶつかった舟石新道からはどうもダラダラとした歩きになってしまった。この辺から坐骨神経痛と共に歩むことになる。風もピタリとやみ、汗をかいては水を飲んでの立休み。これを繰り返す。まったくスピード感はない。
(舟石新道に下る)

(ここはヤマツツジの天国らしい)

(ここは凍結でもしていたらかなり危ない)

舟石新道に入ると、ここでようやくミツバツツジが出てくる。干からびて見るに堪えない。それが見事な咲きであっても、みー猫さんには失礼ながら好みの問題で、自分があちこちをうろつくことはない。願わくはアカヤシオはもっと先になってから、塔の峰が近づいてから出てきてもらいたいものだ。途中の足止めは遠慮願いたい。カーブに差しかかる。ここは通る度に崩壊が進んでいる。そのうちに高巻くことになるだろう。
(熊ノ平)

(色がちょっと淡くなった。ヤマツツジはこれからなのでしょう)

(長い岩場。ミツバツツジが見えている)

熊ノ平に到着。風も通わずにただ暑いだけ。スコップの墓場を見に行くまでもなく、そのまま新道から外れて尾根に乗る。お祭りレベルにはいかないが、ミツバツツジとヤマツツジの共演になってきた。ミツバツツジは盛りのようだがまだ花は小さく、見ごたえにはもう少しだ。その後、長い岩尾根が続きツツジは一時的に消えた。この岩尾根、下った際にどう下るかわからず、脇の急斜面を下って失敗したことがある。これも3年前のことだったか。あの時は自分の稚拙な歩きによってバリエーション歩きにしてしまった。
(右手に中倉山。かすかにブナ)

(ミツバツツジがまた賑やかに復活)

(岩場を過ぎると尾根は広がり)

(男体山も出てくる)

中倉尾根が右手に見え、平らになったところに出たので休憩する。1360m。だれが置いたか小ぶりのケルンがある。この尾根はこれまで下り使用が多かったが、上りで使ったのは久しぶりだ。熊ノ平からここまでこんなにしんどかったかは記憶にない。ここからは等高線も緩やかになっている。地図を見ながら、1231m標高点のある尾根は歩いたことがないことに気づいた。その近くを舟石新道が通っているはず。だったら距離も短いし魅力はないか。むしろ、その東隣の尾根はどうだろう。丸石沢の水線から派生してこの尾根の先で合流している。問題はその尾根の源にどうやって行くかだ。岡田氏の『足尾山塊の沢』には、丸石沢は一級で、小ゴルジュの中に滝を連ね、それを過ぎると平凡な小沢になると記されているが、果たしてどんなものだろう。本に収録するくらいだからショボい沢ではあるまい。それをずっと遡行するのもいいか。入るにしてもどうせ林道の橋付近からになる。この時は、まだそんなことを考えている余裕もあった。唇の皮がむけてきたので水を飲む。そろそろ水分依存の症状が出てきている。
傾斜が緩くなったのは地図上の話で、現実には何ら楽にはならず、ふくらはぎも次第に痛くなった。普段なら、この辺で痙攣に至るのだが、水分摂取と塩飴のせいか、その兆候はない。取り残されたままのピンクテープを回収。その後に都合3本の見落としテープを撤去。ペンキ印はなし。右手後ろに男体山が見えるようになった。
(ここで残留アカヤシオ。しばらくこんな終焉ものが続き、あまり見られたものではない)

アカヤシオが出てきたのは1460m。こりゃまずい。山頂までまだ300mもある。と心配したのは取り越し苦労だった。枯れ落ちる寸前の花が枝に残り、地面に落ちた花の大方は飛ばされ、かろうじて枝に何枚かがへばりついている状態だ。先日の雨もさることながら、すでにピークは2週間前に終えているといったところ。一瞬どきりとしたが、いつまで経っても山頂に着かないといった状況からは救われ、ある意味安心もした。
(テープやらペンキよりはほっとするケルンだが、一般ルートでのケルンは意外にうるさく感じてしまう)

(1528m標高点付近)

(アカヤシオがぶり返して来た)

その後もアカヤシオの残存は続くが、ほとんどがお祭りははるか昔の思い出といった感じで1528m標高点に到着した。
一服して山頂を目指す。この先、アカヤシオは目立って増えてはくるものの、間近で見るには堪えられない。この状況では山頂付近も終わりだろうか。やはり、早々にあきらめた1745m鞍部が見ごろかもしれないが、暑さも増した中でダラダラと歩いている限りは到達は無理。だが、考えてみれば塔の峰の標高は1738mだ。7m違いだし、塔の峰で1745mの咲き具合も想像はつくだろう。ちなみに、下で我が物顔に咲いていたヤマツツジもミツバツツジもすっかりと視界には入らなくなった。後は黙々と登るだけのことで、笹ヤブに入り込むと、ちらほらのピンクも消えてしまった。
(大勢に流されて南東尾根に向かってしまったといったところだが、正直のところ南東尾根の方が安心感がある)

(去年はこの辺もアカヤシオで賑やかだった)

どうも歩くコースを間違えたらしい。笹ヤブを漕ぐ形になった。意識として南東尾根ルートに合流しようとするからこうなっているし、こちらには陽をさえぎる樹もない。これまでの延長で尾根の端を歩けば疎らながらも木立ちは続いている。たまらずに戻った。考えてみれば、南東からの尾根はこちらに合流するわけだから、わざわざへつらいの出迎えに行く必要もなかった。どこかの国の外交みたいなことをやってしまった。升席にソファまで設えて相撲を観戦した大統領の顔には終始つまらないものを眺めている表情が漂っていた。墜落の原因もはっきりしないF35を105機も発注する大盤振る舞いには開いた口がふさがらない。東アジアの火種になっているのは中国や北朝鮮ではなく、アメリカの外交出先機関国になり果てている日本ではないのか。怒りながら元尾根に復帰すると、笹ヤブも気にせずに木陰の中を歩けた。結局は独立自尊の歩きが正解だった。
(せっかくの木陰だが、ピークが先に見えているのでは素通りするしかない)

(ようやく塔の峰)

だが、その木陰も消え、いつしか南東尾根は合流していて、ふと目に入ったツツジの木はまだ大きなツボミのままだった。何だかよくわからない。これはミツバツツジの芽か? それでいて、地面にピンクの花びらの残骸はない。まだ早い? そんなことはないだろう。でもなぁ、去年の5月5日に来た時は、この辺はお祭り会場だった。日数としては20日後にあたる。全般に一週間遅れだとしても13日。やはり終わりかなぁ。そうだとしても花びらくらいは落ちているだろう。それがない。ここで南東尾根を下って、昨年のスポットの様子を見に行こうかと思ったが、どうせそちらを下って帰るつもりでもいるから、先ずは山頂を目指そう。
笹ヤブと疎らな日除けにもならない間隔の離れた樹が続く。周囲には紫もピンクもない。暑いわ。ヤブの間に何本かの細い踏み跡が通っている。ようやく山頂真下の樹の繁みに入ってほっとした。ここもアカヤシオは跡形もない。山頂はすぐそこだ。久しぶりの日陰といった感じで、休むかどうしようか迷いながらも足はそのまま山頂に向かった。
(塔の峰山頂のいつもの風景。あのピンクが目障りだった)

(盛りの花付きだった)

(ここまで撮らなかったアップで)

(メンテナンス終了。大きな変化はない)

山頂だけは去年と同じ風景だ。遠くにアカヤシオが点々と咲いている。どうも終わったわけではなさそうだ。荷をおろし、まずはやるべきことをやるつもりだが、気になって近くのアカヤシオを確認に行って山頂に戻る。山名板はまだツヤツヤしている。少なくともこのままでも一年は持ちそうだ。百均のニススプレーを取り出して吹き付ける。いつもなら、これで大失敗のパターンだが、今回は念には念を入れ、板の裏への吹き付け確認をしてから表面に満遍なくかけた。終了。これで一年半は持つか。表面のニスが落ち、文字色がむき出しになっていたら、赤倉山の時のようにおそらくお持ち帰りになっていた。
日陰を見つけて座って休みたいが日陰に腰掛けに適した石はない。地べたに座るのでは山ダニが恐い。結局、日照りの中の大きな石に腰掛けた。以前、反対側から登って来た際に、みー猫さんがここに腰をおろしていた。しばらくボーっとしていた。さてこれからどうしよう。1745mと庚申山をあきらめた以上は下るしかないが、どうやって下ろうか。さっきまでは南東尾根から丸石沢右岸尾根のつもりでいたが、それも考え物だ。というのも、目の前の西方向の斜面のピンクの花が目障りなのだ。
(西に下る。右はオロ山)

(その1)

(その2)

(その3)

(その4)

(その5)

(その6)

(その7。正面に庚申山。ここからではピンク色は見えていない)

(その8。日光白根山)

(その9。オロ山)

(その10)

(その11)

(その12)

とりあえず、ピンクを見ながら西に1662mまで下ってみようか。そして南下する尾根に乗れば舟石新道にぶつかる。その尾根は上り使用で歩いたことはある。その先は新道を歩いて丸石沢右岸尾根を下ればいい。南東尾根の岩場付近のアカヤシオを確認しておきたかったがこれはあきらめた。また、ここから見る庚申山とオロ山だが、目を凝らしても、ここから見える範囲で色づいた斜面はなかった。実は、はかない目論見ではあったが、12時までに塔の峰山頂に着けば、庚申山もありかなと思ったものだが、これで体の良い理由ができたとほくそ笑んだのは確か。あっちはまだ早いと。
始末の悪いことに、アカヤシオは集中していず点在して咲いていた。山頂下は見ごろだ。あっちに行ったりこっちに行ったりだ。何か変だなと思ったら、仁田元沢に下りかけていた。賑わいが収まったところで1662mに到着。この先も続いているがきりがない。この痛み付きのふらついた足取りでは1745mまでは行けても、庚申山までの150m登りはむごいことになりそうだ。痙攣でも加担したらなおさらだ。ここで見切りをつけよう。斜面にピンクは見えなかったが、意外にお祭りか海なのかもしれない。しかしどうでもいいことだが、今日なんかは暑さと坐骨神経痛のせいにしているが、こんな理由付けもそのうちにネタ切れになるだろう。現実の問題として身体と気力が着実に歩けない状態に向かいつつあることは確かだ。現に、近場を離れ、例えば山梨やら福島、新潟の山に行くことすら億劫になってきている。
(きりがないので1662mに飛ぶ)

(こちらにもあったその1)

(その2)

(その3。標高1615m付近で。この下のアカヤシオの写真を出すのは気の毒だ)

1662m標高点から南下する。まだこの尾根のアカヤシオは楽しめたが、1615mを過ぎると、花も大分落ち、生き残りの花もかなり痛んでいる。楽しみはなくなり、後は下るだけの作業になった。見落とさない限りは黙っていても舟石新道にぶつかる。
(袈裟丸山を見ながらの下り。あそこもそろそろナゲさんか)

(アカヤシオは消えてミツバツツジ。消費時間はかからない)

(この時点で舟石新道からかなり下になっている。実は戻って新道に出会わなかったらどうしようと、かなり不安になっている)

袈裟丸山を眺めながらの下り。ヤブは低い。踏み跡なし。尾根型明瞭。たまにミツバツツジとアカヤシオの花が2~3枚残ったのを見かける。無風。左からは沢の音が聞こえてきた。ぼんやり下っていたら尾根幅が広がり、疎林の中に入った。そろそろ新道に出るはずだと標高を確認すると1450m。あれっおかしいな。この辺は1500mの高さキープで新道が通っているはずだ。見落としたのかな。さらに下ると道が通っていそうな景色ではなくなった。地図を取り出し、現在位置をGPSで確認する。もちろん、GPSには新道ルートは書き込まれていない。このまま下って行くとどういうことになるのか。以前、この尾根を登った時には新道から入り込んだ。笹ミキ沢のガレ沢に出て140mの登り返しで右岸尾根に出られる。それはそれで一つのアイデアだが、できるだけ楽をして下りたい。
(舟石新道のマークを見つけて心底ほっとした)

戻る。息が切れた。下ったところを50mほど登るとアルミプレートを見つけた。ヤレヤレ。この辺の新道はヤブ化して道は不明瞭だ。これで助かったと、地べたに座りこんで一服。水を飲んで、嫌な唇の皮を剥ぐ。これで1ℓの水を飲んでしまった。前述したように不安になってきた。どこかの沢で1ℓの水を補給しないと。
東方面に行きかけた。ここで新道は北にカーブして、さっき聞こえていた沢をかすめる。その時に水の補充はできる。だが待てよ。新道歩きとはいえ、ここから丸石沢右岸尾根を目指すよりも、水ノ面沢沿いの登山道に出た方が安全圏は近いのではないのか。この先の新道が不明瞭なのは承知の上だ。毎回、登山道に出るところが違う。それは崩壊で、プレートを打ち込んだ樹が倒れたりして、プレートの間隔が広がり、あちこちに踏み跡ができているからだ。いずれにしても安全なところを歩けば登山道に出る。ここで登山道にこだわったのはそれなりの意味があり、後付けのようなところもあるが、10日に鏡岩で亡くなった方がいて、それが鏡岩付近だということ。一部の報道では「滑落」ともあった。あそこに滑落しそうなところはないと思うが、ここまで来たのなら、一応は現場を確認しておきたい。このニュースに興味を持ったのは、救助ヘリで搬送されたという事実からだが、自分の事故と同様に携帯電波は圏外のはず。まして自分の現場よりもさらに奥だ。おそらくは同じような形でレスキュー隊に電波だけは届いたのだろうが、さりとて、鏡岩から試しに119番してみるわけにもいかず、見るだけでも見ておきたかった。
(舟石新道歩き。このあたりはまだ道型も明瞭だ)

(この沢で水を補給したが、水量が多いような感じがする)

舟石新道を西に向かったはいいが、すぐにストックを収納した。ストック頼りでは非常に歩きづらい。道自体が斜めで、左手のストックをかなり長くしないと安定して歩けないし、あると岩場の通過時なんか邪魔にもなる。すぐに沢を通過。ほっとして空いたペットボトルに水を満たす。これはあくまでも気分的なもので、最後までこの水に手を出すことはなかった。
舟石新道の歩きの苦労話をしても詮方ない。ここも歩く度に不明瞭区間が広がっている。遠くにプレートを見つけるとほっとする。
(石垣がある。新道を通すのにかなりの手間をかけたことが想像される)

(伏流になった笹ミキ沢)

(笹ミキ沢右岸尾根の乗っ越し)

(ここはミツバツツジが主流)

(笹ミキ沢右岸尾根。遠くから見ると、あの登りがきつく感じる。実際はそうでもないだろうが)

(おなじみの風景。岩が庇状に出っ張ったところもあったはずだが、そこは通らなかった)

(あやふやになってこれを下ると)

(なぜか仁王門に出た)

ガレ沢を渉って笹ミキ沢右岸尾根に乗る。ここはミツバツツジが盛りだ。鏡岩のこともあったが、ここでまた迷う。このまま右岸尾根を下ろうかと思案する。だが、この尾根の先にある1462mピークがやたらと高く見えた。あの登り返しはきつそうだ。そう思うならやめた方が無難だろう。このまま新道を行く。新道も次第にかなり危うい状況になっていく。もうプレート探しも何もない。一番最初にこちらから歩いた時には、沢のようなところにロープが垂れていたが、以来、そこを通過したことがない。
出たところは「仁王門」の前だった。正解歩きなら100mは上の、ふれあい道だったかの道標のあるところのはずだ。
(つい最近、死亡事故のあった鏡岩。親子別れの悲しい逸話のある岩だが、事故は夫婦別れになったようだ)

夫婦蛙岩を通って鏡岩。3時14分。周辺を見回したが、どこで亡くなったのか皆目わからない。滑落するとすれば鏡岩の上からだろうが、あそこに登る人がいるとは思えない。まして80歳だ。周囲は木立で覆われている。自分の場合、救助ヘリが来た時にはホバリングによる落石と、木立で見えないからとヘリは引き返して行った。救助ヘリがこの上を飛んで搬送したということは、もう亡くなっているのが明白で、かなり荒っぽく運んだのではなかろうか。勝手な想像だ。
単独のハイカー3人と行きあった。この時間だ。庚申山荘に泊まって、明日は皇海山か。明日は今日よりも暑いだろうな。
(癒しの流れ1)

(癒しの流れ2)

(腐りかけのベンチにへたり込む)

(七滝の遊歩道で、今、唯一見られる滝)

だらだらと下っていく。落ち葉の下には石がゴロゴロしている。今日の地下タビはスパイクではない。ゴムのイボイボだ。そのせいだろうか。やけに足裏が痛くなった。とにかく腰をおろして休みたい。そのまま鳥居には向かわず、逸れて庚申七滝のベンチに腰かけた。何とかここまで来たか。もう4時近くになっている。自分のこの足では、最低でも林道歩きに一時間はかかる。庚申七滝を見物といきたいが、下は崩れたままで、見られる滝は一番上の一つだけ。かなり以前に遊歩道を歩いて全部見た記憶はあるが定かではない。もう三十五年以上前のことで、中倉山を知るまでは、足尾といえば庚申山ばかり登っていた。それも飽きもせずに登山道歩きだった。
(一の鳥居)

滝見を終えて帰路に就く。地元ナンバーの軽が一台。山荘関係者だろう。鳥居は素通り。前を青年が一人歩いている。この時間だから皇海山の帰りか。追いつくまいと歩程を緩めた。そのうちに姿は見えなくなった。
(ガードを乗り越えて下ってみる。これも好奇心からだ)

(すさまじい勢いで滝が落ちていた。この先は垂直になっているし、木立ちにさえぎられて滝の全容は見えない)

(かなり深そうな釜)

(ここを下に出られるが、水が多くて河原にはなっていない。水に入り込んだら流されるのがおちかも)

右手のガード下を眺めながら歩いた。どこかに庚申川に安全に下りられるところはないだろうか。これまでそんな感覚を持ってこの林道を歩いたことはなかった。笹ミキ沢を過ぎてから、ここ大丈夫そうだなと思うところがあり、ガードレールをまたいだ。かすかな踏み跡があった。決して緩くはないが岩場ではない。おそるおそる下ると、豪快な滝が下を流れていた。豪快というと語弊があるが、今日の庚申川はかなりの水量だ。その滝の上で足場は落ちていた。真下は滝の中段だ。下に降りられないのでは、これは坑夫滝ではないなと思ったが、下流方面を見ると、古い黄色のテープが垂れている。そちらに行ってみると、切れていた斜面は崩れ気味ながらも河原に出られそうだ。どうしようか迷った。ここを下ってみようか。ここにザックを置けば何とか下れそうだ。ロープがあれば確実に安全に下れる。ザックからロープを取り出そうとしたが、時刻はすでに4時38分。やめておこう。眼前に滝を見て気力だけはすっかりと回復したが体力は限界状態だ。何かがあったら、たとえ携帯を持って下ったとしても救助を期待しても明日以降だし、ザックが上の棚にあるのでは河原で少なくとも一晩過ごすことになる。まして、滝の音でホイッスルの音はかき消される。しかし、河原とはいっても激流で、滝の釜はかなり深くて広い。色は深緑に近かった。
(林道歩きに戻る)

しっかりした樹につかまってガードレールに戻った。この時は、上から見下ろしただけでもようやく坑夫滝に接近できたという満足感で引き続きの林道歩きは軽やか。以降、右下を覗き見ることはなかった。次回、来るのが楽しみだといった気分でしかない。わかりやすい言葉ではルンルンだ。だが、坑夫滝の看板とその先の雨降沢を見て、距離感からして、あれは坑夫滝ではないのではないのかといった疑心になった。帰ってからすぐに岡田氏の『足尾山塊の沢』の図に合わせれば、見たのは「8mナメ」ということになり、下っての次は「7mCS」(図ではナメとCSはくっついている)。そしてようやく坑夫滝といった手順になる。CSでないことは確か。ナメとはいっても、あの激流ではナメには見えない。上からロープを垂らしても相当な抵抗がかかる。むしろ、自分が下ろうとしたところを巻いた方が安全だ。ちなみに、故ひろた氏の記事では10m滝になっているのがそれかもしれない。その上の4m滝では決してない。見下ろしでは滝の落差の感覚もさっぱりだ。実際は4m滝なのかもしれない。ただ、河原に下りるまでの高さは少なくとも10m近くには感じた。
まぁそんなところで首をかしげながらの林道歩きになった。一応、川に下れそうなところをもっと冷静に見ておくべきだったが、そんな冷静さは欠いていて、結果は振り出しに戻ってしまった。
(丸石沢の滝。そのうちにこの一級沢を歩いてみよう)

(きれいな花だったので撮ってみた。何という花なのかは教わってもすぐに忘れるだろう)

(冷たすぎて手拭いをしぼるのにもかじかんだ)

(到着。もう5時半過ぎの時刻だ)

ゲート前で流れ落ちる沢水に手拭いを濡らして顔と身体を拭いた。頭も洗いたかったがかなり冷たくて手がかじかんだのでやめた。駐車地で帰り支度をしていると、見るからに自分よりも年配の単独氏が2名、それぞれに下りて来た。すでに5時半は回っている。すごい方々だなと感心した。
帰路の運転。あの滝のことばかりが頭を巡る。あれは坑夫滝ではなかったと結論づけるのに時間はかからなかった。むしろ、どの滝なのか、そして坑夫滝との位置関係は…。帰ったらすぐに岡田氏の『沢』を調べることにしよう。
まぁ何とも長い一日だった。
かじか荘上駐車地(7:14)……尾根突端部(7:17)……1200mピーク(8:39~8:54)……舟石新道(8:59)……熊ノ平(9:06)……1360m付近で休憩(9:52~10:03)……1528m標高点付近(10:48~10:54)……塔の峰(11:41~12:17)……1662m標高点付近(12:45)……舟石新道(13:25~13:39)……庚申山水ノ面沢コース合流(14:58)……庚申七滝休憩場(15:50~16:06)……庚申川の滝見(16:26~16:44)……駐車地(17:32)
予定の目的はアカヤシオ見物。標高的に塔の峰の西、庚申山への進路が西から南に変わる1745m標高点鞍部あたりが見頃と素人判断をしている。中倉尾根から来れば、オロ山と庚申山の鞍部ということになる。もしかすると一週間遅かったという結果になるかもしれない。だとしたらそれはそれで仕方がない。こちらは二週続きで山歩きに行ける状態ではなかった。塔の峰の山名板メンテでもできればそれでいい。
ここで余計な話を入れる。今月に入ってから、朝夕の犬の散歩をしていると、腰から下、ことに両足のふくらはぎが痛くなり、小型犬ながらも、突然立ち止まったり、方向転換したりする犬の動きについていけず、この散歩や日常の歩行に苦痛が伴うようになっていた。ことに腰をかがめて犬のウンチを拾う際にはつらかった。まだ、杖をつきながら散歩していた時の方が楽だった。整形外科に診てもらうと、レントゲンを撮ったものの、医師は明確には言わないが、坐骨神経痛になってしまっているらしい。10日分の薬を処方されて様子見となったが、こんな痛み止めの飲み薬が効くわけもなく、相変わらず、リハビリは骨折以来の足の上げ下げとマッサージ機に横たわるだけで終始し、この整形外科にはここで見切りをつけ、柔道整復師のいる整骨院に通うようになった。通っていた整形外科医院の患者は多く、名医として評判は高いようだ。いずれにしても、日光市民病院で手術してから先、地元で通院できる整形外科の選択をしたのは自分自身だ。医師の出身大学と経歴だけで選んだのが失敗だった。少なくとも自分には名医としての適切な治療ではなかった。
三週間前に息子と歩いた根本山は整骨院に通う前のことで飲み薬に期待をかけている時だった。好きな山歩きをしている間は不思議に痛みを感じないでいられるが、下山すると下半身の痛みでヘタヘタになった。これでは山歩きも控えないと悪化しそうだ。新たな整骨院では電気マッサージも使うが、大半は手での荒っぽい治療になる。平日は仕事後にほぼ毎日のように通院している。それが効を奏してか、歩行が大分楽になった。何で坐骨神経痛になったのか。これは加齢による腰椎の変形、神経への圧迫もあるだろうが、自分としては、骨折後にケガ足をかばう歩きになり、歩き方の左右の足にかけるバランスが崩れたことに起因していると思っている。
長い与太話だった。受け取り方によっては、冒頭から言い訳がましく聞こえるし、そんなのはオフレコだろうと言われそうだ。だが結局は、この坐骨神経痛が出てきて今回の塔の峰歩きが展開することになるということだ。
塔の峰に行くコースは二案考えていた。一つは三年前の三月に見つけた作業道を改めて追ってみるプラン。そしてもう一案は、これも同日の帰路で使おうとした尾根ルートだが、途中で恐ろしくなり、舟石林道側に逃げ込んだ経緯がある。ちなみに、ノラさんも同様に下ろうとして舟石林道側に降りている。この尾根を南から登ってみようというもの。
後者のルートだが、この発想は、丸石沢の西側の尾根の大方は歩いているが、東側の尾根は熊ノ平経由の尾根しか歩いたことがないからといった単純な理由からだが、南から北上すると、向山に対座する1200m級ピークに至り、さらに下ると向山との鞍部を舟石新道が通っている。地形図を見ればわかるが「丸石沢」の「沢」の字に重なる尾根末端から登れそうだが、1060mにちょっとしたゲジマークがあり、まして、いつも林道を通りながら見上げては、こんな急斜面をどうやって登れるのかと思っていた。片や、庚申林道から舟石林道が分岐するところに末端のある尾根から登るとなると、等高線が10m分消えた崩壊地を通ることになる。いずれも現実的ではない。となると、第一案の丸石沢の作業道追いになる。ただ気乗りがしないのは確かで、というのも、丸石沢右岸側から一時的にせよ登るルートは植林があって、自分にはあまり好みではないのだ。さりとて、笹ミキ沢まで林道をテクテクと歩く気にはなれない。どうも天気予報では月曜日まで真夏日続きらしい(月曜日は猛暑日だった)。暑さの林道歩きは応えるし、地下タビでは足裏も痛くなる。
駐車地にはすでに車が10台。下には4台ほど。7時を過ぎたばかりなのに、準備をしていてもやって来る車はなく、この日どん尻のスタートかもしれない。時間的に、そしてナンバープレートを見る限りは他県がほとんどで、大方が百名山の皇海山だろうか。たいしたものだと思う。今の自分には無理な話だ。いわんや日帰りにおいてをやだ。自分なら不動沢から入って百名山の一座を〇にして済ます。ここは標高が800mを超えているというのに、朝から暑い。むしろ、山はやめにして沢でも歩きたいが、庚申川は単独素人には手に負えないし、場所によっては泳ぎにもなる。泳ぐにはまだ早い。笹ミキ沢は一回やったから十分だ。ここで敢えて記す。先日、庚申川の河原にかろうじて出られたが、例の滝を見るのが目的だけならともかく、例えば雨降沢から小法師尾根に上がることを考慮すれば、あのルートは使えないだろう。ふみふみぃさんから言われるまでもなく、上流に向かっての泳ぎまたは腰まで浸かっての徒渉になる。別の降り口を探さないといけないと思っている。
(尾根の玄関口。林道歩きで庚申山に登るならだれでも目にする)

林道ゲートに向かう。この時は丸石沢右岸尾根に向かおうとしているのだが、件の10m崩壊地付きの尾根が気になった。取り付きは目の前にある。好奇心が動いた。これを行ってみようじゃないの。行き詰ったら西の本尾根に移動すればいい。ゲート前で少し戻って、入り込む。何かの施設が三つある。KDDIと銀山平雨量観測所。もう一つのボコボコしたさいころ状の建屋は何なのか。確認に行くほどヒマでもない。塔の峰に行くのにこのルートを使えば時間がかかるだろうことは承知している。
(最初は植林と自然林の混合。これでも急だ)

(途中から見下ろすと)

急な尾根だった。早速、ストックを出す。しばらく左下に庚申林道が見え、ゲート前に車が止まった音が聞こえた。下から見られたらまずい。つい足早になり、林道が見えないところまで登り上げると、かなり息が上がってしまった。
シカ道なのか作業道なのか知らないが、踏み跡は続いている。植林の一部が入り込み、白ビニールテープをぐるぐるに巻いた樹もある。やがて植林が消えて岩混じりの自然林になると、テープは消えた。踏み跡は続いている。これはもうシカ道としか考えられない。相変わらずの急斜面で、上がるに連れてかなりきつくなった。見下ろすと足がすくんでしまう。もっともこんなところばかり歩いている身には、またかで終わるし、自分の「きつい」、「急」という言葉は、他人には「普通」に置き換えてもいい。
(おそらく、この辺が10m等高線切れのところだろうと思う)

(1286mピークだろう)

(小ピーク。左に鉄の棒と石柱)

岩場というか露岩になった。低い岩だが、右から巻けそうなので直登は避けた。そして、急に傾斜が緩くなって石混じり地帯に入った。上に小ピークが見える。樹間から左手に1286m標高点らしいピークが覗く。小ピークには真っ赤なヤマツツジが咲いている。ここで呼吸を整える。さっきの長い急斜面にはまいった。
これから10m崩壊地に入り込むようだが、先を見ると、そんな感じの景色は目に入らない。気になってGPSを見ると、10m崩壊地はすでに過ぎていて、その真ん中を通って来ていた。あの地図のゲジゲジは何だったのか。
ただ、安心するにはまだ早い。この先、尾根は等高線が3本分消えた崩壊地の脇をかすめ、庚申林道からの主尾根に合流する。崩壊地に接しながらの登りは気分的に萎える。さて、ここの小ピークには頭が赤で白い金属棒と石柱が置かれているが、これはいったい何の目印なのか。肩書はない。石柱には古河マークもない。
(これは地形図にはない下り)

(荒れてきたので)

(この作業道を歩いてみるがすぐに戻る)

少し下って鞍部。ヤマツツジが咲き乱れている。つい最近まで咲いていたのか、ピンクの花びらも落ちている。紫色の花びらは見あたらない。そして林野庁発行の境界見出標を見かける。古河と営林署が混在しているところらしい。
樹の根がはびこった荒れた尾根になり、左に明瞭な作業道が目に入った。やはり森林作業で人が入り込んでいるようだ。ちょっとがっかり。これを歩いてみると、そこだけ樹々の茂みのない更地のような空間に出て、別に危うくもないが、このまま作業道を歩くのもどうかと、右上の尾根に復帰した。作業道を歩いた時間は一分もない。作業道は先に続いているようだ。
(こんなところを歩くのはRRさんでしょう)

(1200mピークが視界に入る)

尾根に出てまた小ピーク。ここから先は見晴らし良好になる。目の前に1200mが見え、さほどに遠くには感じない。また気になってGPSをチェックした。30m崩壊地の真ん中を堂々と歩いていた。ここのゲジゲジマークにも疑問が残った。自然の流れに抗って復帰しつつあるのか。
ここの小ピークにはケルンが積まれていた。1200mにも大きなケルンがある。同一人物だろうが、こんなところでとなると、思い浮かぶ方は一人しかいない。失礼ながらつい笑ってしまう。それはともかくとして、この小ピークが林道側尾根との合流点のようだ。
(岩場の回廊も出てくるが、左右の木立のせいでたいして危険は感じない)

(備前楯でしょう)

岩尾根になった。危険は感じない。というのも、見下ろすと両サイドは急斜面だが、樹々の葉が濃くなっていて目立たないからだけのことで、三年前の三月にここを下ろうとして舟石林道側に逃げたのは、歩いていて恐怖心にかられたからなのであったが、その時のように葉を落としていたら、こうのんびり歩けるのかは怪しいところだ。さらにこの尾根、下り使用は結構つらいかもしれない。
塔の峰が見え出し、気分が良くなったところで自分もケルンを積んでみる。ついでに小休止。まだ早いが一服する。次第に暑くなってきている。漂う微風に涼感はまったくない。もう手拭い一本では足りず、これからは二本持ちにしないといけないな。真っ赤なヤマツツジが余計に暑苦しさを感じさせる。たまに聞こえるエゾハルゼミの鳴き声もアブラゼミのそれに似ている。水をついグイっと飲んだ。いつもなら、こう早々に水を摂取することはないが、今日は暑いだろうと、普段の1ℓを2ℓ持参にした気安さもあったからなのだが、自分の場合、水も一口飲めば、わかりやすく言えばクセになって際限がなくなり、やがては唇や口内の皮がむけて、常にノドが渇く状態になる。結果、今日は途中から水の心配をすることになる。十分に間に合ってはいても、貧乏性の至るところで、常に持参時の半分以上残っていないと不安になる。
(山頂が近づく)

(高低の遠近感からして特定は難しいが、手前が1455m三角点、中が塔の峰、右が1528mのような気がするが)

(今のところヤマツツジのみ)

木陰の、狭く薄暗い回廊を行くと露岩帯になった。ここにもケルン崩れがあった。形を整えてやる。やがて、見覚えのある風景の中を通過。以前この辺から東に逃げたんだったっけ。あの時、この尾根を下った際、尾根先がストーンと落ち込んで先が見えなかった。だから逃げた。今日はそこを登って来た。考えてみれば、今日のルートが安全で、あの時の逃げ込み先にした東側斜面への踏み込みは危険としか言いようがない。西側は問題外。歩ける範囲外だ。
(山頂)

(1200mは岩峰)

(中倉尾根)

(アップすると)

(こちらは向山。連休の頃はアカヤシオの洪水だったらしい。ということはこちらもそうだったのかも)

1200mピークに到着。頑丈そうだったケルンは少し崩れたか。最近脚光を浴びてきているらしい向山に比べれば、対面にありながら地味な山頂だ。向山の魅力は何といっても中倉山が正面に見え、中倉尾根もかなり奥まで見渡せることだろう。備前楯も視界に収まる。中倉山にいるハイカーの声すら聞こえたことがあった。そしてプチバリ歩きの気分に浸れるところにも魅力もあるのだろうか。ここからでは樹に隠れて中倉山の全容は見えない。かろうじて例のブナの樹と中倉尾根の一角は見えている。西側は塔の峰に隠れてしまっている。もはや俗化した中倉山には興味はないので、自分には中倉山が見えずとも十分に満足だ。
自分が歩いたルートは、わざわざGPS軌跡を出さずとも地図を見れば一目瞭然だ。物好きな方が後追いをするかも知れない。汚さないでくれればそれはそれで結構だ。結論として、地図にある二か所の崩壊地の通過はなかったということ。少し前まで歩くハイカーもまれだった井戸沢右岸尾根。今は中倉山への通常コースになり、落書きすらも派手にあるらしい。そんな愚かなハイカーがこの地味な尾根を1200mピークまで歩くとはとても思えない。
1200mでしばらく休んだ。小さなスペースの木陰を見つけて腰をおろした。汗は引かない。下部の急斜面にいかれた。この先の歩きに自信がなくなってきた。もはや目的の1745m鞍部は無理。そこまで行けたとしても、さらに庚申山までとなるとかなり厳しい。目標を塔の峰にしぼった方が無難だろう。その塔の峰までどうやって行くか。自分にとって、楽チンコースは舟石新道で日ヶ窪峠に出、南東尾根を使うことだが、当初の予定ルートはそうではなかった。熊ノ平から1528mを経由する北側のルートだ。これを選んだ理由は、もはや遅いだろうが、上がるに連れてツツジの咲き具合を楽しめると思ったからだ。これだけは律儀に歩くことにしよう。地図にもう用はない。ザックにしまう。この先で使うところはないだろう。
ここまでは歩いたことのない尾根だったのでダラダラと記したが、この先はいわば既存のコース歩きになるのではしょって記したいが、はしょるほどのスピード感のある歩きをしたわけではない。1200mから下ってぶつかった舟石新道からはどうもダラダラとした歩きになってしまった。この辺から坐骨神経痛と共に歩むことになる。風もピタリとやみ、汗をかいては水を飲んでの立休み。これを繰り返す。まったくスピード感はない。
(舟石新道に下る)

(ここはヤマツツジの天国らしい)

(ここは凍結でもしていたらかなり危ない)

舟石新道に入ると、ここでようやくミツバツツジが出てくる。干からびて見るに堪えない。それが見事な咲きであっても、みー猫さんには失礼ながら好みの問題で、自分があちこちをうろつくことはない。願わくはアカヤシオはもっと先になってから、塔の峰が近づいてから出てきてもらいたいものだ。途中の足止めは遠慮願いたい。カーブに差しかかる。ここは通る度に崩壊が進んでいる。そのうちに高巻くことになるだろう。
(熊ノ平)

(色がちょっと淡くなった。ヤマツツジはこれからなのでしょう)

(長い岩場。ミツバツツジが見えている)

熊ノ平に到着。風も通わずにただ暑いだけ。スコップの墓場を見に行くまでもなく、そのまま新道から外れて尾根に乗る。お祭りレベルにはいかないが、ミツバツツジとヤマツツジの共演になってきた。ミツバツツジは盛りのようだがまだ花は小さく、見ごたえにはもう少しだ。その後、長い岩尾根が続きツツジは一時的に消えた。この岩尾根、下った際にどう下るかわからず、脇の急斜面を下って失敗したことがある。これも3年前のことだったか。あの時は自分の稚拙な歩きによってバリエーション歩きにしてしまった。
(右手に中倉山。かすかにブナ)

(ミツバツツジがまた賑やかに復活)

(岩場を過ぎると尾根は広がり)

(男体山も出てくる)

中倉尾根が右手に見え、平らになったところに出たので休憩する。1360m。だれが置いたか小ぶりのケルンがある。この尾根はこれまで下り使用が多かったが、上りで使ったのは久しぶりだ。熊ノ平からここまでこんなにしんどかったかは記憶にない。ここからは等高線も緩やかになっている。地図を見ながら、1231m標高点のある尾根は歩いたことがないことに気づいた。その近くを舟石新道が通っているはず。だったら距離も短いし魅力はないか。むしろ、その東隣の尾根はどうだろう。丸石沢の水線から派生してこの尾根の先で合流している。問題はその尾根の源にどうやって行くかだ。岡田氏の『足尾山塊の沢』には、丸石沢は一級で、小ゴルジュの中に滝を連ね、それを過ぎると平凡な小沢になると記されているが、果たしてどんなものだろう。本に収録するくらいだからショボい沢ではあるまい。それをずっと遡行するのもいいか。入るにしてもどうせ林道の橋付近からになる。この時は、まだそんなことを考えている余裕もあった。唇の皮がむけてきたので水を飲む。そろそろ水分依存の症状が出てきている。
傾斜が緩くなったのは地図上の話で、現実には何ら楽にはならず、ふくらはぎも次第に痛くなった。普段なら、この辺で痙攣に至るのだが、水分摂取と塩飴のせいか、その兆候はない。取り残されたままのピンクテープを回収。その後に都合3本の見落としテープを撤去。ペンキ印はなし。右手後ろに男体山が見えるようになった。
(ここで残留アカヤシオ。しばらくこんな終焉ものが続き、あまり見られたものではない)

アカヤシオが出てきたのは1460m。こりゃまずい。山頂までまだ300mもある。と心配したのは取り越し苦労だった。枯れ落ちる寸前の花が枝に残り、地面に落ちた花の大方は飛ばされ、かろうじて枝に何枚かがへばりついている状態だ。先日の雨もさることながら、すでにピークは2週間前に終えているといったところ。一瞬どきりとしたが、いつまで経っても山頂に着かないといった状況からは救われ、ある意味安心もした。
(テープやらペンキよりはほっとするケルンだが、一般ルートでのケルンは意外にうるさく感じてしまう)

(1528m標高点付近)

(アカヤシオがぶり返して来た)

その後もアカヤシオの残存は続くが、ほとんどがお祭りははるか昔の思い出といった感じで1528m標高点に到着した。
一服して山頂を目指す。この先、アカヤシオは目立って増えてはくるものの、間近で見るには堪えられない。この状況では山頂付近も終わりだろうか。やはり、早々にあきらめた1745m鞍部が見ごろかもしれないが、暑さも増した中でダラダラと歩いている限りは到達は無理。だが、考えてみれば塔の峰の標高は1738mだ。7m違いだし、塔の峰で1745mの咲き具合も想像はつくだろう。ちなみに、下で我が物顔に咲いていたヤマツツジもミツバツツジもすっかりと視界には入らなくなった。後は黙々と登るだけのことで、笹ヤブに入り込むと、ちらほらのピンクも消えてしまった。
(大勢に流されて南東尾根に向かってしまったといったところだが、正直のところ南東尾根の方が安心感がある)

(去年はこの辺もアカヤシオで賑やかだった)

どうも歩くコースを間違えたらしい。笹ヤブを漕ぐ形になった。意識として南東尾根ルートに合流しようとするからこうなっているし、こちらには陽をさえぎる樹もない。これまでの延長で尾根の端を歩けば疎らながらも木立ちは続いている。たまらずに戻った。考えてみれば、南東からの尾根はこちらに合流するわけだから、わざわざへつらいの出迎えに行く必要もなかった。どこかの国の外交みたいなことをやってしまった。升席にソファまで設えて相撲を観戦した大統領の顔には終始つまらないものを眺めている表情が漂っていた。墜落の原因もはっきりしないF35を105機も発注する大盤振る舞いには開いた口がふさがらない。東アジアの火種になっているのは中国や北朝鮮ではなく、アメリカの外交出先機関国になり果てている日本ではないのか。怒りながら元尾根に復帰すると、笹ヤブも気にせずに木陰の中を歩けた。結局は独立自尊の歩きが正解だった。
(せっかくの木陰だが、ピークが先に見えているのでは素通りするしかない)

(ようやく塔の峰)

だが、その木陰も消え、いつしか南東尾根は合流していて、ふと目に入ったツツジの木はまだ大きなツボミのままだった。何だかよくわからない。これはミツバツツジの芽か? それでいて、地面にピンクの花びらの残骸はない。まだ早い? そんなことはないだろう。でもなぁ、去年の5月5日に来た時は、この辺はお祭り会場だった。日数としては20日後にあたる。全般に一週間遅れだとしても13日。やはり終わりかなぁ。そうだとしても花びらくらいは落ちているだろう。それがない。ここで南東尾根を下って、昨年のスポットの様子を見に行こうかと思ったが、どうせそちらを下って帰るつもりでもいるから、先ずは山頂を目指そう。
笹ヤブと疎らな日除けにもならない間隔の離れた樹が続く。周囲には紫もピンクもない。暑いわ。ヤブの間に何本かの細い踏み跡が通っている。ようやく山頂真下の樹の繁みに入ってほっとした。ここもアカヤシオは跡形もない。山頂はすぐそこだ。久しぶりの日陰といった感じで、休むかどうしようか迷いながらも足はそのまま山頂に向かった。
(塔の峰山頂のいつもの風景。あのピンクが目障りだった)

(盛りの花付きだった)

(ここまで撮らなかったアップで)

(メンテナンス終了。大きな変化はない)

山頂だけは去年と同じ風景だ。遠くにアカヤシオが点々と咲いている。どうも終わったわけではなさそうだ。荷をおろし、まずはやるべきことをやるつもりだが、気になって近くのアカヤシオを確認に行って山頂に戻る。山名板はまだツヤツヤしている。少なくともこのままでも一年は持ちそうだ。百均のニススプレーを取り出して吹き付ける。いつもなら、これで大失敗のパターンだが、今回は念には念を入れ、板の裏への吹き付け確認をしてから表面に満遍なくかけた。終了。これで一年半は持つか。表面のニスが落ち、文字色がむき出しになっていたら、赤倉山の時のようにおそらくお持ち帰りになっていた。
日陰を見つけて座って休みたいが日陰に腰掛けに適した石はない。地べたに座るのでは山ダニが恐い。結局、日照りの中の大きな石に腰掛けた。以前、反対側から登って来た際に、みー猫さんがここに腰をおろしていた。しばらくボーっとしていた。さてこれからどうしよう。1745mと庚申山をあきらめた以上は下るしかないが、どうやって下ろうか。さっきまでは南東尾根から丸石沢右岸尾根のつもりでいたが、それも考え物だ。というのも、目の前の西方向の斜面のピンクの花が目障りなのだ。
(西に下る。右はオロ山)

(その1)

(その2)

(その3)

(その4)

(その5)

(その6)

(その7。正面に庚申山。ここからではピンク色は見えていない)

(その8。日光白根山)

(その9。オロ山)

(その10)

(その11)

(その12)

とりあえず、ピンクを見ながら西に1662mまで下ってみようか。そして南下する尾根に乗れば舟石新道にぶつかる。その尾根は上り使用で歩いたことはある。その先は新道を歩いて丸石沢右岸尾根を下ればいい。南東尾根の岩場付近のアカヤシオを確認しておきたかったがこれはあきらめた。また、ここから見る庚申山とオロ山だが、目を凝らしても、ここから見える範囲で色づいた斜面はなかった。実は、はかない目論見ではあったが、12時までに塔の峰山頂に着けば、庚申山もありかなと思ったものだが、これで体の良い理由ができたとほくそ笑んだのは確か。あっちはまだ早いと。
始末の悪いことに、アカヤシオは集中していず点在して咲いていた。山頂下は見ごろだ。あっちに行ったりこっちに行ったりだ。何か変だなと思ったら、仁田元沢に下りかけていた。賑わいが収まったところで1662mに到着。この先も続いているがきりがない。この痛み付きのふらついた足取りでは1745mまでは行けても、庚申山までの150m登りはむごいことになりそうだ。痙攣でも加担したらなおさらだ。ここで見切りをつけよう。斜面にピンクは見えなかったが、意外にお祭りか海なのかもしれない。しかしどうでもいいことだが、今日なんかは暑さと坐骨神経痛のせいにしているが、こんな理由付けもそのうちにネタ切れになるだろう。現実の問題として身体と気力が着実に歩けない状態に向かいつつあることは確かだ。現に、近場を離れ、例えば山梨やら福島、新潟の山に行くことすら億劫になってきている。
(きりがないので1662mに飛ぶ)

(こちらにもあったその1)

(その2)

(その3。標高1615m付近で。この下のアカヤシオの写真を出すのは気の毒だ)

1662m標高点から南下する。まだこの尾根のアカヤシオは楽しめたが、1615mを過ぎると、花も大分落ち、生き残りの花もかなり痛んでいる。楽しみはなくなり、後は下るだけの作業になった。見落とさない限りは黙っていても舟石新道にぶつかる。
(袈裟丸山を見ながらの下り。あそこもそろそろナゲさんか)

(アカヤシオは消えてミツバツツジ。消費時間はかからない)

(この時点で舟石新道からかなり下になっている。実は戻って新道に出会わなかったらどうしようと、かなり不安になっている)

袈裟丸山を眺めながらの下り。ヤブは低い。踏み跡なし。尾根型明瞭。たまにミツバツツジとアカヤシオの花が2~3枚残ったのを見かける。無風。左からは沢の音が聞こえてきた。ぼんやり下っていたら尾根幅が広がり、疎林の中に入った。そろそろ新道に出るはずだと標高を確認すると1450m。あれっおかしいな。この辺は1500mの高さキープで新道が通っているはずだ。見落としたのかな。さらに下ると道が通っていそうな景色ではなくなった。地図を取り出し、現在位置をGPSで確認する。もちろん、GPSには新道ルートは書き込まれていない。このまま下って行くとどういうことになるのか。以前、この尾根を登った時には新道から入り込んだ。笹ミキ沢のガレ沢に出て140mの登り返しで右岸尾根に出られる。それはそれで一つのアイデアだが、できるだけ楽をして下りたい。
(舟石新道のマークを見つけて心底ほっとした)

戻る。息が切れた。下ったところを50mほど登るとアルミプレートを見つけた。ヤレヤレ。この辺の新道はヤブ化して道は不明瞭だ。これで助かったと、地べたに座りこんで一服。水を飲んで、嫌な唇の皮を剥ぐ。これで1ℓの水を飲んでしまった。前述したように不安になってきた。どこかの沢で1ℓの水を補給しないと。
東方面に行きかけた。ここで新道は北にカーブして、さっき聞こえていた沢をかすめる。その時に水の補充はできる。だが待てよ。新道歩きとはいえ、ここから丸石沢右岸尾根を目指すよりも、水ノ面沢沿いの登山道に出た方が安全圏は近いのではないのか。この先の新道が不明瞭なのは承知の上だ。毎回、登山道に出るところが違う。それは崩壊で、プレートを打ち込んだ樹が倒れたりして、プレートの間隔が広がり、あちこちに踏み跡ができているからだ。いずれにしても安全なところを歩けば登山道に出る。ここで登山道にこだわったのはそれなりの意味があり、後付けのようなところもあるが、10日に鏡岩で亡くなった方がいて、それが鏡岩付近だということ。一部の報道では「滑落」ともあった。あそこに滑落しそうなところはないと思うが、ここまで来たのなら、一応は現場を確認しておきたい。このニュースに興味を持ったのは、救助ヘリで搬送されたという事実からだが、自分の事故と同様に携帯電波は圏外のはず。まして自分の現場よりもさらに奥だ。おそらくは同じような形でレスキュー隊に電波だけは届いたのだろうが、さりとて、鏡岩から試しに119番してみるわけにもいかず、見るだけでも見ておきたかった。
(舟石新道歩き。このあたりはまだ道型も明瞭だ)

(この沢で水を補給したが、水量が多いような感じがする)

舟石新道を西に向かったはいいが、すぐにストックを収納した。ストック頼りでは非常に歩きづらい。道自体が斜めで、左手のストックをかなり長くしないと安定して歩けないし、あると岩場の通過時なんか邪魔にもなる。すぐに沢を通過。ほっとして空いたペットボトルに水を満たす。これはあくまでも気分的なもので、最後までこの水に手を出すことはなかった。
舟石新道の歩きの苦労話をしても詮方ない。ここも歩く度に不明瞭区間が広がっている。遠くにプレートを見つけるとほっとする。
(石垣がある。新道を通すのにかなりの手間をかけたことが想像される)

(伏流になった笹ミキ沢)

(笹ミキ沢右岸尾根の乗っ越し)

(ここはミツバツツジが主流)

(笹ミキ沢右岸尾根。遠くから見ると、あの登りがきつく感じる。実際はそうでもないだろうが)

(おなじみの風景。岩が庇状に出っ張ったところもあったはずだが、そこは通らなかった)

(あやふやになってこれを下ると)

(なぜか仁王門に出た)

ガレ沢を渉って笹ミキ沢右岸尾根に乗る。ここはミツバツツジが盛りだ。鏡岩のこともあったが、ここでまた迷う。このまま右岸尾根を下ろうかと思案する。だが、この尾根の先にある1462mピークがやたらと高く見えた。あの登り返しはきつそうだ。そう思うならやめた方が無難だろう。このまま新道を行く。新道も次第にかなり危うい状況になっていく。もうプレート探しも何もない。一番最初にこちらから歩いた時には、沢のようなところにロープが垂れていたが、以来、そこを通過したことがない。
出たところは「仁王門」の前だった。正解歩きなら100mは上の、ふれあい道だったかの道標のあるところのはずだ。
(つい最近、死亡事故のあった鏡岩。親子別れの悲しい逸話のある岩だが、事故は夫婦別れになったようだ)

夫婦蛙岩を通って鏡岩。3時14分。周辺を見回したが、どこで亡くなったのか皆目わからない。滑落するとすれば鏡岩の上からだろうが、あそこに登る人がいるとは思えない。まして80歳だ。周囲は木立で覆われている。自分の場合、救助ヘリが来た時にはホバリングによる落石と、木立で見えないからとヘリは引き返して行った。救助ヘリがこの上を飛んで搬送したということは、もう亡くなっているのが明白で、かなり荒っぽく運んだのではなかろうか。勝手な想像だ。
単独のハイカー3人と行きあった。この時間だ。庚申山荘に泊まって、明日は皇海山か。明日は今日よりも暑いだろうな。
(癒しの流れ1)

(癒しの流れ2)

(腐りかけのベンチにへたり込む)

(七滝の遊歩道で、今、唯一見られる滝)

だらだらと下っていく。落ち葉の下には石がゴロゴロしている。今日の地下タビはスパイクではない。ゴムのイボイボだ。そのせいだろうか。やけに足裏が痛くなった。とにかく腰をおろして休みたい。そのまま鳥居には向かわず、逸れて庚申七滝のベンチに腰かけた。何とかここまで来たか。もう4時近くになっている。自分のこの足では、最低でも林道歩きに一時間はかかる。庚申七滝を見物といきたいが、下は崩れたままで、見られる滝は一番上の一つだけ。かなり以前に遊歩道を歩いて全部見た記憶はあるが定かではない。もう三十五年以上前のことで、中倉山を知るまでは、足尾といえば庚申山ばかり登っていた。それも飽きもせずに登山道歩きだった。
(一の鳥居)

滝見を終えて帰路に就く。地元ナンバーの軽が一台。山荘関係者だろう。鳥居は素通り。前を青年が一人歩いている。この時間だから皇海山の帰りか。追いつくまいと歩程を緩めた。そのうちに姿は見えなくなった。
(ガードを乗り越えて下ってみる。これも好奇心からだ)

(すさまじい勢いで滝が落ちていた。この先は垂直になっているし、木立ちにさえぎられて滝の全容は見えない)

(かなり深そうな釜)

(ここを下に出られるが、水が多くて河原にはなっていない。水に入り込んだら流されるのがおちかも)

右手のガード下を眺めながら歩いた。どこかに庚申川に安全に下りられるところはないだろうか。これまでそんな感覚を持ってこの林道を歩いたことはなかった。笹ミキ沢を過ぎてから、ここ大丈夫そうだなと思うところがあり、ガードレールをまたいだ。かすかな踏み跡があった。決して緩くはないが岩場ではない。おそるおそる下ると、豪快な滝が下を流れていた。豪快というと語弊があるが、今日の庚申川はかなりの水量だ。その滝の上で足場は落ちていた。真下は滝の中段だ。下に降りられないのでは、これは坑夫滝ではないなと思ったが、下流方面を見ると、古い黄色のテープが垂れている。そちらに行ってみると、切れていた斜面は崩れ気味ながらも河原に出られそうだ。どうしようか迷った。ここを下ってみようか。ここにザックを置けば何とか下れそうだ。ロープがあれば確実に安全に下れる。ザックからロープを取り出そうとしたが、時刻はすでに4時38分。やめておこう。眼前に滝を見て気力だけはすっかりと回復したが体力は限界状態だ。何かがあったら、たとえ携帯を持って下ったとしても救助を期待しても明日以降だし、ザックが上の棚にあるのでは河原で少なくとも一晩過ごすことになる。まして、滝の音でホイッスルの音はかき消される。しかし、河原とはいっても激流で、滝の釜はかなり深くて広い。色は深緑に近かった。
(林道歩きに戻る)

しっかりした樹につかまってガードレールに戻った。この時は、上から見下ろしただけでもようやく坑夫滝に接近できたという満足感で引き続きの林道歩きは軽やか。以降、右下を覗き見ることはなかった。次回、来るのが楽しみだといった気分でしかない。わかりやすい言葉ではルンルンだ。だが、坑夫滝の看板とその先の雨降沢を見て、距離感からして、あれは坑夫滝ではないのではないのかといった疑心になった。帰ってからすぐに岡田氏の『足尾山塊の沢』の図に合わせれば、見たのは「8mナメ」ということになり、下っての次は「7mCS」(図ではナメとCSはくっついている)。そしてようやく坑夫滝といった手順になる。CSでないことは確か。ナメとはいっても、あの激流ではナメには見えない。上からロープを垂らしても相当な抵抗がかかる。むしろ、自分が下ろうとしたところを巻いた方が安全だ。ちなみに、故ひろた氏の記事では10m滝になっているのがそれかもしれない。その上の4m滝では決してない。見下ろしでは滝の落差の感覚もさっぱりだ。実際は4m滝なのかもしれない。ただ、河原に下りるまでの高さは少なくとも10m近くには感じた。
まぁそんなところで首をかしげながらの林道歩きになった。一応、川に下れそうなところをもっと冷静に見ておくべきだったが、そんな冷静さは欠いていて、結果は振り出しに戻ってしまった。
(丸石沢の滝。そのうちにこの一級沢を歩いてみよう)

(きれいな花だったので撮ってみた。何という花なのかは教わってもすぐに忘れるだろう)

(冷たすぎて手拭いをしぼるのにもかじかんだ)

(到着。もう5時半過ぎの時刻だ)

ゲート前で流れ落ちる沢水に手拭いを濡らして顔と身体を拭いた。頭も洗いたかったがかなり冷たくて手がかじかんだのでやめた。駐車地で帰り支度をしていると、見るからに自分よりも年配の単独氏が2名、それぞれに下りて来た。すでに5時半は回っている。すごい方々だなと感心した。
帰路の運転。あの滝のことばかりが頭を巡る。あれは坑夫滝ではなかったと結論づけるのに時間はかからなかった。むしろ、どの滝なのか、そして坑夫滝との位置関係は…。帰ったらすぐに岡田氏の『沢』を調べることにしよう。
まぁ何とも長い一日だった。
体調不良の中で、お疲れ様でした。見事な咲きっぷりのアカヤシオがまぶしいです。
「たかが塔の峰」とおっしゃいますが、私にとっては遥かなる深山ですよ。場面場面で、適宜に判断される歩きは、とうてい真似できませんです。
適宜な判断とはいってもすべてが気まぐれの思いつき判断で、緻密に計算しての歩きをしたわけでもないのですよ。暑くて、頭もボーっとしてもいましたからね。
山頂から下りで見たアカヤシオ、今になって後悔しているのですよ。庚申山から登っていれば、簡単に見頃らしい鞍部に行けて、塔の峰経由にしてもわりと楽に下れたでしょう。
どうも、体力は次第に衰えても、人とは違った歩きをしてみたい。こんな歩きはある意味危険でもあるわけで、考えないといけないなぁと思っています。
あの滝さえ見られれば、足尾の山の歩きもオーソドックスな歩きになるような気がしていますけどね。
それはさておき,1200mへのルート,参考になりました。自分も,ノラさんの苦戦された記事を読んで,1200mの南はヤバイと思っていたモノですから。とはいえ,さすがにいきなり下りは躊躇われるので,今度,登りで利用させていただきますヨ。
ところで,教えていただいた例のルート,雨降沢に入るのに使えないですか。むしろ,ひろたさんの記事を拝見すると,坑夫滝手前の淵は,泳ぐか,若しくは懸垂が必要な巻きとなりそうですケド。
それと,4m滝か10m滝かは分かりませんが,きりんこさんの記事によると,巻き降りるなら右岸側なんでしょうネ。ただ,この水量の沢を渡るのは,容易ではないように思いますが。
しかし,骨折の次は坐骨神経痛とは。
たそがれオヤジさんも,怪我が尽きませんネ。かくいう自分も,人様のことはいえませんが,長いことやっていれば故障は付き物だし。治すなら,しばらく止めておくしかないし。此ればかりは,騙しだましやるしかないですネ。
向山の南尾根を末端から歩かれた様ですね。その尾根、今年は何件か記録がアップされてますね。自分はよく冬の塔の峰で利用しますよ。それと別に1200ピークはカミさんと何回かBBQしに行きました。丸石沢のゴルジュ上迄は林道から作業道が通じてますから簡単に行けますよ。1231mピークの尾根と右隣の尾根は出だしは岩がちの急尾根だった位しか記憶にないな~。ちなみにゴルジュ手前の枝沢から熊の平を抜けて一か八かを下る古道が有った様ですが、現在はほぼ道径は確認できませんね。
向山周辺も最近は有名になってきましたね。中倉山の様にならなければいいんですけど。
5月3日に塔の峰ですか? 記事を確認しましたが、サクラマスさんは遅筆のようですね。まだアップなしじゃないですか。それだけ、歩く回数も多いということでしょうが、早いとこアップしないとアカヤシオも旬の花ではなくなってしまいますよ(笑)。
同じようなコースとはまさか1200m経由でしょうかね。もしくは向山経由でしょうか。気になりますから、余計に早いとこお願いいたします。
塔の峰のアカヤシオは、実はあまり期待もせず行ったのですが、私の場合、去年は5月5日にお祭りだったものですから、20日近くは遅れていますね。3日でしたら、まだ芽がようやく顔を出したあたりでしょうか。今年は標高が高い程遅いような気がします。
向山でアカヤシオはまだ見たことがありません。かなりの見ごたえのようですから、来年は平日にでも行って来たいと思っています。私がその情報を見たのもまた某アプリで、その何とかさんという女性とは一度、お会いしたことがあるのですよ。その時は備前楯に行くとおっしゃっていましたが、何ということはない。向山に行っていました。
鏡岩の事故は、何というか、80歳とご高齢ですから、滑落なんてことはないと思います。疲労によるものではないでしょうか。
なるほど、足尾のアカヤシオは日光よりも遅いということですか。ということは、今日、明日あたりは私が行こうとしていた1745m周辺のオロ山方面、もしくは庚申山方面が海の状況なのかもしれませんでしたね、残念ながら、今日は仕事で、荷物運びでクタクタになっていました。
1200mへの登りですが、下り使用には不向きかもしれません。前に南に下った時は先がスパっと切れた感じで、よく覗きもせずに東に逃げましたが、むしろ逃げた方が危うく、作業道に出た時にはノドカラでした。上り使用でしたら、これは順応性というものでしょうか、危険は感じませんでした。これを使えば便利なことは確かです。舟石林道をテクテク歩く手間も省けますから。ただ、若干、時間はプラスにはなるでしょう。この記事の情報があれば、むしろ先の予測はつきますから、意外に楽な気分で歩けるかと思います。
坑夫滝の件ですが、例のルートでは雨降沢までの間に腰までの深みとヘツリがあるようです。それをいとわない限りは問題はないと思いますが、私には自信がありません。何せ、庚申川は松木川と違って急流ですから。今回の下ったところは、笹ミキ沢が合流するちょい下流なんですよ。ここから雨降沢に向かうとなると、今度は坑夫滝の上に出てしまう。右岸高巻きで下るようでしょう。
私の場合、滝を見るだけですから、その前の深い淵を泳いだり高巻きで先に行くつもりはありません。滝を見て、雨降沢に出られればいいんですよ。実は他に何か所か下降の候補スポットがありますのでいずれ覗いてみてくるつもりでいます。
坐骨神経痛にも困ったものです。昨日、今日の荷物運びでかさらに悪化したようです。ただ、山を歩く分にはそれほどの障害にならないのは気分的なものだからでしょうか。
やはり、1200m南尾根はRRさんがよく歩かれるところでしたか。そのネットでの記録というのを読んだことはありませんが、物好きな方もいるようですね。ちょっと意外で残念な気分にもなりますが。今回は初めてでしたから、次回以降は苦戦せずに登れるような気がします。
丸石沢の情報、ありがとうございます。やはり、あの作業道から下るようですね。いつも見ながらどんな沢なのか歩いてみたいなとは思っていました。ただ、その岩がちな急尾根というのが気になります。場合によってはそのまま沢通しに舟石新道でしょうか。それもいいでしょうね。
足尾の山も、自分自身、次第に×印をつける山が出てきました。中倉山しかり。次は向山が候補です。庚申山や大平山、皇海山のようにごく当たり前に行ける山には何とも感じないのですが、かつてはマイナーだった山が賑わいになりつつあるというのが、自分には何ともたまりませんよ。何をほざいていると言われたらそれまでですけど。