たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

<Mamma Mia ! Here We Go Again>。これは映画の話で、つれづれ雑記再びといったところ。

2018年09月06日 | 雑記
◎2018年9月5日(水)

 もう10年も前のことだろうか。山手線で劇団四季の『マンマ・ミーア』公演のつり革広告を見たことがある。ロングランだったようだが、あまり舞台劇方面には興味がなく、ミャンマーの難民の話かなと思ったりした。何でそんな連想になったのか。タイトルの語呂と広告に描かれていたイラストからの勝手なイメージだったのだろう。同じ四季の『ライオン・キング』あたりはディズニーのアニメをすでに見ていたから、ストレートにアレだなとわかった。
 今年の春頃からまともな休みがとれず、山に行ける時間もなく、自然に映画を観に行く回数が多くなっていた。映画なら丸一日も必要ない。せいぜい半日で済む。まして天気に左右もされない。
 映画館に行く度に流される最新映画の予告編、いつもイラつきながら見ていたが、ここ2か月間ずっと出てくる<Mamma Mia ! Here We Go Again>が気になった。マンマ・ミーア? ここで10年前のことを思い出した。何だ、元は洋画のミュージカルだったのか。ミャンマーとはまったく関係ないじゃないか。
 もっと驚いたことがあった。バックに流れているのはABBAの曲。自分はABBAが好きで、車の中でもよくABBAのCDを聞いているが、一曲、一曲の曲名なんてのは知らないし、知ろうともしなかった。改めてアルバムに記された曲名を見ると、その中に<Mamma Mia>という曲があった。なるほど、この曲を元にしたミュージカルで、<Here We Go Again>はその続編か。そういえば、以前、次女が「マンマ・ミーアはつまらなかった」とか言っていたなぁ。
 映画の予告そのものはお祭り騒ぎのような感じがしたが、ABBAの曲が流れているのなら自分の趣味かも知れない。封切りになったらすぐに観にいくつもりでいた。そして、事故で延び延びになった。

 前のブログで、毎日が長く、ベッドで本を読んでばかりいるようなことを記したが、本も10日で7冊も読んだりしていると飽きてくる。最近は、ウォークマンを聴きながら寝そべっている時間が多くなった。リハビリに移行したとはいえ、松葉杖はそのままだ。果たして、映画館に出向いて、他人様の迷惑にならなきゃいいがと思ったりしたが、平日の午前中なら、土日ほどには人もいず、松葉杖も目障りにはならないだろう。思い切って出かけることにした。ただ、昨日の病院帰りにヒマつぶしでヤマダ電機に寄ったら、売り場をかなり歩くことになり、それだけでも疲れ、ようやく車の座席に戻った時には汗だくでぐったりし、息切れもすごいものだった。
 前の記事に、K女さんからツタヤ劇場のお薦めコメントをいただいた。それもいいかもしれない。だが、ツタヤの中をグルグルと松葉杖で歩き回ってDVDを探すような体力的な自信はない。ましてお目当てのDVDを手にすれば荷物にもなる。車イスなら楽だろうが、店舗にあったとしても、それを使う勇気はない。まして家の中でのDVD鑑賞よりも映画館に行く方が健全な気がする。
 映画館とはいってもイオンのミニシアターだ。果たして松葉杖で駐車場から自分の指定席まで行けるかどうか。それが唯一の心配事だ。

 シネマ館までは難なく入れた。車は正面すぐに駐められたし、エスカレーターで戸惑うこともなかった。チケットも事前予約の受け取りだけだ。問題はシアターに入ってからだった。足を延ばせるようにと、わざとシアター端の2人並び席をとったが、そこに至るまでの階段の間隔が不揃いだった。2か所ほどで歩程のリズムが崩れてぐらついた。これは帰りもまた同じ。ただ、帰りの場合は条件が悪かった。だれももういないだろうと、立ち上がって階段を下って行くと、後ろに二人が付いた。先に行ってもらおうと脇に寄ったら、抜いてくれずに待機している。こうなったら山歩きと同じでいらつくパターン。本音では有難迷惑。後ろから見られているという意識もあって、歩を早めると、すんでのところでひっくり返りそうになった。
 観客は10人もいなかった。田舎のミニシアターはこんなものだろう。直近では、トム・クルーズの<Mission:Impossible Fallout>を観たが、その時もこんなものだった。せっかくだからこの<ミッション・インポッシブル>のことをちょっと記すが、こちらとしては、トム・クルーズが来日してまで宣伝した映画だ。さぞ面白いだろうと観に行ったはいいが、前半部のストーリーがまったくわからなかった。それもそのはず。この映画はシリーズになっていて、前から続くその手の組織系統、人間関係を知っていないと、話の展開がさっぱりわからない。そんなこととは知らなかった。単発の映画とばかりに思っていた。総じてアクションまじりで面白くはあったが。帰宅してからツタヤに行き、旧作を探したが、新しいものはレンタル中で、かなり古いのを2枚借りたが、事故で見ずのままに返した。

 さて<マンマ・ミーア>。ヘタな感想をダラダラと記してもしょうがないし、個人個人のとらえ方だの問題だ。自分には、単純明快、一部荒唐無稽といった感が残った。ミュージカルなんてものはそんなものだろう。自分にとって内容ともに楽しめたミュージカル映画は<サウンド・オブ・ミュージック>と<メリー・ポピンズ>、そして<南太平洋>くらいのものだ。
 別に<マンマ・ミーア>を酷評しているわけではない。絶えず流れるABBAの曲にぴったりと合ったストーリーの展開。ロケ地の風景の美しさだけは印象に残った。キャストを流した後のとぼけたラストのシーンもまたユニークだった。
 長々と前置きしたわりには、この程度のあっけない感想だ。映画を趣味にする方の趣向はいろいろ。感想もまた十人十色。自分の感想を長々と記しても一人よがりの文章になるだけだ。

 以下から、まったく話の方向が変わる。さっと読み飛ばしていただければ幸いだ。独り言でもあるし、読まずとも結構だ。

 お気づきの方もいたろうか。ここのところ、山記事の中に映画のことをちらっと入れることが多くなった。自分が新たな趣味に映画を入れたというわけではない。以下はその弁明みたいなものである。

 映画鑑賞を趣味にするようになったのは高校一年の時だった。生物の先生が映画好きで、いろいろと、上映中の映画の内容をプリントしては割引券付きで推薦してくれる。当時の桐生には映画館が多かった。通学する足尾線は2時間に一本。列車の待ち時間を図書館での勉強に当てたのはほんの数か月。必然的のように、時間つぶしで映画館通いが始まる。金はあまりかからなかった。学割で入ったし割引券もあった。中でも決定的だったのは、友人の母親が映画館の受付をやっていて、その友人とよくタダで映画を観に行けたこと。これが三年まで続く。彼とはクラスがずっと一緒だった。
 進学した際のアパート探しは西武池袋線の椎名町にした。学校までは一時間以上かかったが、池袋、高田馬場、大塚と、安い映画館が並ぶ街には至って近く、池袋には通学途上の一駅、高田馬場は歩いて行けた。椎名町を選んだのはそんな理由があった。三年、四年になると、学校よりも映画館に行く回数が多くなっていた。せっせと観ては、せっせと感想をノートに記した。

 映画は任侠物以外は何でも好きだった。いわゆる名画に限らず、ピンク、ポルノ、団鬼六もありで、一時期、大蔵映画にはまったこともあったし、池袋の日勝地下劇場で<ディープ・スロート>を観た時は、ボカシだらけで、字幕だけを読んで終わりといった思い出もある(後日、ある女史が友達に誘われるがままに映画館に行き、ディープ・スロートをボカシなしで観たとおっしゃっていた。もちろん、日本でのことではない。今になって思うと、あんなもの…といった感がある)。
 こんな学生生活を送ると、就職先の希望は自然とその業界志向になる。学校推薦で受けたNHKはあっさりと落ち、映画配給会社二社に内定をもらった。悩むところだ。一社は配給だけではなく、映画、テレビ番組、CF制作、吹替まで手広くやっていて、そちらに決めた。ちなみに、蹴った一社は、今日観に行った<Mamma Mia ! Here We Go Again>の配給元になっていた。老舗の配給会社だ。
 たまたま入社試験で英語の成績が良かったためか、国際部なるところに配属となった。CF制作も含めた現場にAD見習いとして配置されたのは同期の半分以上。彼らがうらやましかった。
 毎日、海外のテレビ局、プロダクションが制作したテレビ番組や映画のスクリプトの翻訳をやらされ、生の番組をビデオや16ミリで見ては、そのあらすじを文章にして営業に渡す。ろくに英語なんか理解できず、画面のシーンを見ては想像してあらすじを起こした。
 営業はこれを持って各放送局を回る。あまりに面白くない番組をさも面白そうな話に仕立てて渡したら、局が興味を示し、局の担当がビデオを見たらまったくお粗末なもの。後で営業に怒られたのは一度や二度ではない。
 そのうちに、営業もやらされることになった。お世辞も言えない口ベタな営業不向きの男が売ったのはアメリカNBCの特番で、日本の驚異的な経済成長を扱った番組が唯一のもの。NHKが高額で買ってくれた。その時の番組タイトルは今でも覚えている。<If Japan can, Why can't We ?>だった。あとは、フィルムのフーテージ(部分)使用やら、ヒラーといった穴埋め番組ばかりで、10万円、せいぜい高くて50万円のチビチビしたものだった。
 忙しい会社だった。退社時間はほとんど10時を過ぎていた。その後に赤坂見附というロケーションが災いした。金もないのに他部署の同期の連中との連日の飲み会が続いた。たまに行く二次会は六本木と決まっていた。いっぱしの業界の人間ぽくなっていた。
 休日は日曜日だけ。その日曜日ですら、会社の野球部やらの応援に行かされることもあったり、映画制作のロケ地にアメリカから来日した映画関係者を連れて行くことも頻繁だった。
 次第に、オレ、こんなことをいつまでもやっていていいものかと疑問が出てくるのは自然なこと。自分の時間がまったく持てない。本すら読めない。そのうちに、自転車に乗ってよろけて転倒。脳震盪を起こして一週間の入院。在社中に取った唯一の有休休暇だ。
 まぁ、こんなことがあって、会社は辞めた。あっけない二年間だったが、いまだに強烈な印象が残っている会社だった。

 新聞の求人広告で見つけて転職した昨年まで在籍した会社。ダラダラと何十年もいたが、残っているものは何もなく、仕事を通しての自分の成長もまるでなかった。いまでこそ社会的には知名度もある会社だが、その場しのぎの、その日暮らしのような仕事の日々の連続だった。会社そのものに展望、ビジョンというものもなかった。朝令暮改も日常的。上司も責任逃れ。それを責めると、二言目には決まって「オレもつらいんだ」と、飲みながらグチをたれる。そんなのが役員をやっていた。個人経営二代目、三代目ともなるとそんなものだろう。入社時の一代目には、その人間性に好感が持て、群馬でやった結婚式にわざわざ主賓で出席してもらったくらいだ。一代目はインパール作戦の生き残りでもあった。
 何でそんな会社に何十年もいたのか。それは、責任を問われるということがまったくなかったからだ。自分に起因する仕事のヘマをしでかしても、だれからもとがめられることはなかったし、多額の赤字を出しても、だれからも文句は言われなかった。こんな甘い会社はどこにもない。そんな甘えに便乗していたら、今度は居心地すら良くなってしまっていた。

 話がどんどんとおかしな方向にいってしまったが、そういえば、学校を卒業してから、映画館に足を運ぶということはしばらくはなく、ここのところよく行くようになって、ついこんなことを記してしまった。
 せいぜい、これからは、もうかつての名画はDVDに収まってしまい、ホームセンターでも売っているくらいだし、専門の上映館もないに等しいが、新作だけでもせっせと観ることにしよう。ツタヤ劇場もいいが、やはり臨場感からして映画館で見る映画に優るものはない。
 ここで余計なことを記す。自分がこれまでに観た映画に好みの序列をつけると、一番はジョン・フォード監督の<わが谷は緑なりき>。戦前の映画だ。二番目は<イージー・ライダー>といったところになる。

 日光市民病院で手術を受けた際。医師は、何を根拠にそう言ったのかは知らないが、松葉杖は三週間と言われた。そして、こちらの整形外科に通うようになり、勤務先から診断書の提出を求められ、先生に相談し、一か月半くらいにしておいてくれと頼んだら、その通りに書いてくれた。実際は二か月くらいと言われていたのだが、今の勤務先、外に出られないのなら会社に出て来なくてもいいよといった扱いで、内勤で書類やら統計作成だのというのは、オレの仕事の範疇ではないようだ。さりとて、だれかがやっている様子もない。だったらそうしてやるよと、もう居直った状態になっている。何とも不思議な会社だ。田舎の会社は何でもありだ。

 昨日から、風呂に入れるようになった。だが、ギプスと松葉杖は欠かせない。事故から17日。汚れきった左足はすっきりし、手術口キズのかさぶたも消えつつある。だが、台風過ぎのこの暑さ、相変わらずたまったものではないなぁ。しばらくは、暑さとの戦いも続くことになりそうだなぁ。

コメント (6)    この記事についてブログを書く
« 足尾<坑夫滝>。つれづれ雑記。 | トップ | 東野圭吾の小説を読んで。 »

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素敵な時間を過ごしてますね (KIITI)
2018-09-07 21:08:14
大スクリーンの映画館、行ってませんね。
たそがれさん、住所は太田市ですよね。H8年発行の同窓会名簿に載っている電話番号に電話したのですが、10回くらい呼び出してもどなたも出なかったのですが、二回チャレンジ、電話番号代わったのかな?

返信する
KIITIさん (たそがれオヤジ)
2018-09-08 06:39:30
KIITIさん、おはようございます。
電話もらいました? 私が二階にいてベッドで横になっていて、松葉杖でもたもたしていて階段を下りている間に切れたのが二回ほどありましたけど。
もしくは、毎日、整形にリハビリに行っては不在のこともありますから、タイミングが合わなかったのかもしれません。電話番号は同じですよ。妻は仕事で出かけていますので、電話を取る者もいず、失礼いたしました。
その名簿、私も持っていますから、そのうち、余裕ができたらこちらから電話しますよ。おそらく、携帯の方からかけますね。
今、桐生には映画館が一軒もないようですね。昔は十軒以上はあった記憶があります。こんなことを言っては何ですが、本町通りも、日中、車で通っても歩いている人が少なく、シャッターを閉めている店も多い。昔日の思いです。
ブログに触れた、高校時代に一緒にタダで観に行った映画館、相手は吉田ですよ。彼とも三年間一緒ですね。いまだに年賀状のやり取りはありますが、お互いの結婚式以来会っていませんよ。
返信する
ABBA (雪田爺)
2018-09-08 17:46:26
映画館d映画ですか、、、しばらく行ってません.最後に映画館で観たのは、アランドロンの「怪傑ゾロ」.あとは、テレビかDVD.
マンマ・ミーア、感想よりもたそがれさんの歴史の方が面白いです.メディア関連に就職なさってたとは、どうりで長文も平気な訳ですね.
ABBAが好きだと言うこと、実は私もそうですが彼等の全部が良いとか言う訳ではなく、「ダンシングクイーン」をFMか何かで聞いてカセットのアルバムを買ったんですよ.頻繁に聞いててダメにしてしまい、今はDVDを購入しています.なる程、「ママミーア」←曲タイトルはこうなってます) が、入ってますね.どういう曲かタイトルと一致しない聴き方をしてますから、たそがれさんの記事を見て気が付いたという情けなさです(笑い) 
因みに、テレビでその映画のコマーシャルをやってますが、バックにながれているのは「ダンシングクイーン」ですよね.確か.
余談ですが、私の高校時代は花岡(今は大館市)で、役所の叔父の所に下宿していて、映画館は銅山会社の回数券(一枚50円くらいだった)をもらって観に行ってました.館内の2階席は椅子ではなく、広い階段のステップにゴザを敷いた様なもの.いつも寝転んで観てました.
返信する
雪田爺さん (たそがれオヤジ)
2018-09-09 08:28:57
雪田爺さん、おはようございます。
つまらない、映画記事へのコメント、ありがとうございます。
山歩きされる方に映画も趣味にした方はあまり多くないようで、他の方の山ブログを見ていて、一度だけ、笹本稜平の小説を映画化した『春を背負って』というのが話題になっていたことを覚えているくらいで、その映画は山小屋の話でした。関連がないと、山のブログにも出さないのでしょう。
雪田爺さんもABBAはお好きでしたか。確かに、テレビCMではダンシング・クイーンが流れていますね。マンマ・ミーアよりもテンポが良いのでそれを流しているのでしょうが、映画では一回しか流れていなかった気がします。私の好きなのは、レイ・オール・ユア・ラヴ・オン・ミーという曲ですが、神に祈るおごそかな雰囲気といった感じがします。
ただ、ABBAの曲、今回の映画で歌詞を字幕で見ていましたが、惚れたはれた感じの、あまり深みはないんですね(笑)。何だ、こんな歌詞だったのかと、少々、がっかりもしました。それでも、これからもドライブ中は流し続けるでしょうけど。
雪田爺さんは高校時代は花岡に下宿されていましたか。阿仁合線ではどうしてもそうなるでしょうね。私の同級生も、鳳鳴やら桂、工業に行ったのはみんな下宿していましたね。米高や合川、農林は通っていましたが。
映画館でゴザを敷いて寝ころんで鑑賞というのもいい風情ですね。いかにも鉱山町といった感じで。鉱夫なり坑夫の方々が気軽に行けたのでしょう。
阿仁合にも銀映という映画館があって、そこでモスラやらゴジラ、マタンゴ(きっと知らないでしょう)を観ましたが、ほとんどがピンクばかりで、前を通ると、上映している映画の女性の泣き叫ぶ声が外に漏れてきて、つい、立ちすくんでしまうこともありました。その銀映も、大火で焼け、再建されることもありませんでした。
アラン・ドロン。いいですね。私も好きで、名画座で観た「太陽がいっぱい」と「ル・ジタン」は忘れられませんよ。
返信する
車イス (俺だ)
2018-09-09 15:37:53
レンタルであると聞いたが、車いすに乗ってれば介助はあるし、座席も優先席。やめられなくなると聞いた。
返信する
俺だへ (たそがれオヤジ)
2018-09-10 06:43:30
俺ださん、おはよう。
情報ありがとう。
だけどねぇ、オレの家のこと知っているだろ。車イスを転がすスペースがないんだよ。まして寝ているのは2階だ。
どうしても松葉杖しかないんだ。
車イスは、松葉杖が必要なくなった時点で考えるよ。
返信する

コメントを投稿

雑記」カテゴリの最新記事