たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

舟石新道を求めて徘徊し、早々に退散する。

2010年11月21日 | 足尾の山
◎2010年11月21日(日)

 舟石峠の駐車場に車を置き、7時15分に出発する。恥ずかしながら、舟石新道そのもののルートをまったく知らないし、解説書らしきものにも触れたことはない。知っていることといえば、舟石峠付近から入れ、猿田彦神社跡に出られるらしいということだけだ。岡田敏夫氏の『足尾山塊の山』に、新道を下った際の記載はあるが、23年前のことであり、地図も略図になっていて、あまり参考にはならない。これ以上はネット情報に頼るしかない。それによれば、廃道化してはいるものの、ブリキのマークが随所にあるようだ。ただ、ネット情報にしても、そのほとんどが、「舟石峠へ下るルート」であり、上りに使ったものはなかった。大甘な考えだが、踏み跡、目印、テープを期待しての歩きになる。正直のところ、コースを知らなきゃ、歩く方角もとれない。取りあえず、@宇都宮氏の舟石新道・周遊マップを持参した。

(住居跡の石垣)


 舟石峠から銀山平に向かうと、すぐにヤブに入る踏み跡を見つけた。取りあえずはこの踏み跡を追ってみるが、すぐに消え、一帯が住居跡らしいところに出た。石垣があちこちに散在し、階段状に平らになっている。先ずは上を目指す。天気は良く、紅葉も終わり、葉も散って、全体が明るい。薄暗かったら、ちょっと不安だろう。考えてみると、そもそも、ここから間違っていたようだ。いつもの尾根歩きの気分が抜けないから、つい上に向かってしまう。ここはずっと、トラバースしながら、じわりじわりと高度を上げるべきところであったようだ。いきなり、高みに出ようとしたのが失敗のもと。

(かなり先でも石垣を見つけた)


 はるか下に鳥獣観察小屋がポツンと見えた。来る時に、車が駐まっていた。今日は昨日同様に暖かいせいか、庚申山に向かう駐車場に車が5台、備前楯山は7台くらいあった。さて、目印らしきものを探すが見あたらない。そこいら中に獣道らしき踏み跡はある。1本、うっすらと北西に向かう踏み跡を見つけた。噂の舟石新道はこれだろうか。しばらくこれを追う。落ち葉に覆われ、窪みがあるので、踏み跡と分かる程度の道だ。ブリキの目印は見つからない。これ、きっと間違えているなと思いながら歩いていると、道路組みの石垣があった。こんな奥深いところに、住居があったとは思えない。こんなのを見てしまうと、不安ながらも「もしかしたら、これでいいのかな」なんて錯覚してしまう。でも、ブリキ印も廃れた標示もない。

(1251mピーク=舟石)


 やがて、踏み跡は尾根にぶつかる。つい、登ってみたくなる。少し先がピークらしい。自分の位置をもう失いかけているし、ここのピークはちょうど良かった。岩場のピーク。東側には岩山が続き、北正面に中倉山と社山。西側は1251mピークか? ということは、地図上の1251m三角点の東南寄りにある小ピークにいるようだ。ここも、北側は切れている。@宇都宮氏マップを見てみると、かなり上を歩いている。間違っていることは確かだ。ここから1251mピークを覗いて見ると、下部斜面に何やらうっすらと道型のようなものが見える。あれが正解なのだろうか。あそこに行ってみよう。そこを鹿が2頭走って行くのが見えた。ここで少し休みたいが、じっとしていると、熊がのそのそと上がってきそうな気分にかられる。さっさと元に戻る。

 尾根を下り、さっきの尾根取り付きに戻り、その尾根を踏み跡に沿って越える。何ということはない。小ピークから見えた道型はこれだった。ここもトラバース気味に歩く。そのうち、自分はずっと獣道を歩いているのではないかと不安にかられてきた。強烈に獣の臭いが立ちこめるところが数か所あったし、縦横に、小径が離れたり、くっついたりしている。

(中倉山とその先は社山か?)

(塔の峰に続く尾根。左に見えるのが1528mピークだろうか。もしくは、コブを挟んでいるから、あれが塔の峰かな、)


 また尾根にぶつかる。この尾根の南側先は丸石沢だろう。急にテープが出て来た。続けて2か所。そして、梱包用のヒモ。これはずっと尾根の上に向かっている。この尾根の先は1251mピーク。この尾根も越えないといけないはずだが、その先の踏み跡は消えてしまった。しばらく、尾根を上り下りしながら、様子をうかがったが、西側はどこも立木のヤブが続いている。参考マップのルートがかすめる1231mポイントには行けそうもない。ここで、進退窮まってしまった。まさかとは思い、尾根を登り、1251mピークに立ったが、その先には、やはり踏み跡らしきものはなかった。ここで、地形図と参考マップをしっかりと見比べれば、この尾根を丸石沢方面に標高差で70~80mほど下り切った鞍部で舟石新道に合流することに気づいただろうが、「もう、いいや。ここで終わりにしておこう」といった気持ちが先行してしまった。

 このままでは未消化だが、行けないのでは仕方がない。ちょっと休んで退散と相成った。このピーク、正式には「舟石」という名称らしい。遠くから見れば、そう見えるのだろうか。まっ、それはともかく、これで塔の峰ははるか先の話になってしまった。先ずは舟石新道をマスターしてから塔の峰と、段取りをしてあったのだが、この第一段階が中途半端で終わってしまった。仁田元沢も丸石沢も通らずに行くには最良のコースと考えていたのは甘かった。もしかして、今日は、正式な舟石新道にはまったく触れていなかったのではなかろうか。おかしいと思いながらも、舟石新道のかなり上を歩いていたのだから、失笑、赤面ものである。今度は、改めて猿田彦神社跡側から入ってみるといった手もあるが、舟石新道とのお付き合いは、しばらくはいいやといったところだ。ヘタすれば遭難しかねない。そのうちにだれかが下から歩いて、詳細なGPS軌跡付きマップを提供してくれるだろう。

(あっけなくピリオドがついた)


 帰りも、すんなりとは行かなかった。どういうわけか、通った道なのに、踏み跡を失うことが頻発した。獣道歩きでは仕方がないか。2時間半のあっけない歩きだった。備前楯山を歩いているらしい人たちの車が一気に増えていた。今さら、備前楯山に登る気にもなれない。足尾から大間々にかけ、122号線の沿線は紅葉もピークは過ぎてはいたがきれいだった。

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4 コメント

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Unknown (ハイトス)
2010-11-21 19:00:31
こんばんは。
いやはや難関にチャレンジされましたね。
確かにあてに出来そうな舟石新道の資料はネット上では数少ないですね。
手書きの資料もあったりして歴史を感じます。
塔の峰はシロヤシオの時期に行ってみたいと思っています。
そのときは舟石新道を下ってみたいものだと思っていますが、やまのまち桐生の方々が今春行かれたときはやはり舟石新道は道が無くなっていてすんなり下れなかったと聞いております。
ちなみに45年前はちゃんとした道だったとか。
またGPSも谷間では不感で衛星をとらえられない状態だったらしく、小滝も有るようなので要注意の新道探しになりそうですね。
たそがれさんも苦戦されたとなるとこれは心してかからないといかんですな。
ちなみにそんなに簡単じゃないですよとの忠告も貰った事が有りますので余計慎重になります。
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ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2010-11-21 19:59:38
ありがとうございます。
正直に申しますと、GPS軌跡付きマップを提供する「だれか」とはハイトスさんを想定しております。塔の峰も舟石新道も関心をお持ちのようですから。お先にお願いしますよ。
桐生みどりさんの塔の峰は読みましたよ。大抵のものはネットで確認しました。ただ、ほとんどが丸石沢経由なんですよね。私には沢を歩く自信はまったくありません。
他の塔の峰へのルートは、仁田元沢のスリットダム経由で急なガレ場を登り詰めるルートのようですが、ここも皆さん、苦戦されていますね。ズルズルでかなり危いようですね。
それから、私のは「苦戦」なんてものではありませんよ。最初から新道らしからぬ珍道を歩いていたわけですから。
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Unknown (ぶなじろう)
2010-11-21 21:19:40
今晩は。
どこにあるか判らない道を捜して歩く。真似できません。凄いと云うしかありませんです。
夕日新道もそうですが、山の場合、新道の方が先に消えてしまうことが多いような気がします。谷川岳の吾策新道、茂倉新道も藪化してきているようですし。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2010-11-21 22:26:27
こんばんは。
いわゆる新道というと、ショートカット的な意味合いが多いような気がしますけど、新道という名称がそのまま付随して残っているルートは、谷川岳もそうでしょうが、案外、昭和、それも戦後直後の道が多いですよね。やはり、クラシックなヤブのルートなっちゃうのですかね。安易なルートでの山歩きが定着しそうで、ちょっと残念です。
私のような者にとっては、こんな、クラシカルルートでさまようのも、寝覚めはよろしくないものですけど、それなりの充実感はありますけど。

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